Eno.315 直箟 素直

追憶の書 六頁目

 
──父さんが家に帰らなくなってから、
母さんは決定的に変わってしまった。


母さんは、僕が嘘をつく度に僕の背を打った。

それは、僕だって誠実で、正直な人間になれるなら、
それに越した事はない。
実際、僕は出来得る限り、母さんの意に沿った人間になろうとした。


ただ、数か月に一度、
ふと発せられるこの言葉には、
どうしても答える事が出来なかった。


『あなたはあの人のような嘘吐きにならないでね』


僕は東京もんと揶揄されながら、
誰にでも優しく、誠実な父さんが好きだった。
だから、その父がそんな事をする人間だとは、
どうしても思う事が出来なかった。


けれど、僕にとっての真実の言葉は、
母さんにとっての嘘になる。
僕はこの不均衡の中で、
その両方を守るために沈黙を選んだ。

母さんも少しずつ成長する僕の強情には手を焼いたのか、
烈しく僕の頬を張る頻度こそ減っていったけれど、
気分を害して食事の出ない日数は次第に伸びていった。