Eno.338 物好きな吸血鬼

一生とは

私の母の話だ。

墓に入る前は人間であり、死のきっかけは吸血鬼。
どう殺されたかなど定かではないが、彼女はとにかく、吸血鬼に殺された。

埋葬された母の死体の中には私がいて
やがて、私は母のかたきの力を得て、土を這い出た。
(死因や敵討に興味はないが、便宜上、かたきと言わせてもらう)

死の寸前で母は吸血鬼となり、人の命を超越し終える前に体が尽きたのか?
それとも、人間としての生を終えたのか?
彼女の体を開いても、そこに答えはないだろう。

私はただ、赤子の身で土を出て、初めて目にした花を覚えた。
小さな動物の生き血を啜り、時には虫を食べ
慣れてきたころには人の血に手を出した。

もちろん、人に手を出すころには、
『奇妙な赤ん坊』という噂が流れていたが
狙いやすい相手を選び、死角から騙して突けば関係はなかった。



生きることに慣れてからは
人の世に馴染むことを選んだ。
穏やかな顔を持ち、物静かで無害な様子を見せていれば
人間は敵意がないと見て、こちらの言葉を聞く。
そうしていれば、旅人として怪しまれることはまず無くとけこめた。

それまでは殺した人間の名を名乗っていたが
本を読み、花の名を覚えて
それからは名乗る名を変えた。


さて。
私、フィグという者の生き方は、どこから始まったか?
全ての物事は連続しているが、区切りをつけるならばここだろう。
しかし、もう一度記す。全ての物事は連続している。

その場その場の課題を解決した結果こそが、私なのだ。
勿論、赤ん坊の頃と今の私では
人間という種族へ持つ感情や、物事への関心などは
大きく変わっていることだろう。
難題に覚えたことも、いつのまにやらするりと喉を通り越している。

これは、人の体で言えば適応力と言い換えられる。
ストレスに対して、体が適応したのだ。
吸血鬼もそうなのだろうか?


とにかく。
一生とは、「今」の連続であると、私は考える。
その時、その時の連続であるのだから
その時に、もう終わりだと思うほど悩むのであれば
大いに悩めば良い。
それこそが、「今」なのだから。