だら間いなだか人はやん
僕の住んでいる土地には、こんな暑さは無かったもので、
正直なところ、身体がかなり辛いのです。
ただ、僕よりもリトル達の方が、ずっと堪えるはずです。
随分昔に旅人から聞いた、低温を保つ方法が役立って良かったと思います。
妙な植物が生えていたお陰ですね。本当に植物なのか、不思議なくらいですが。
それでも、ああ、ミナの湖の、しんと刺す冷水が恋しい。
寒冷地方の山岳沿い、ミナの峠。
ミナには終わりという意味があり、終わりの峠に唯一が棲みつくのは、他人にとってはえらく神秘的に映ったらしく、
神なる御身を信仰する方々が、数か月に一度、風のようにやって来ます。もの心つく前からそこに住んでいた僕としては、非常に過ごしやすい環境なのですが、
ミナの峠は背の高い木々が多く、オ・トワを通して肌寒い日ばかりが続くところです。
なので、神秘を求めてやって来る人々への御馳走といえば、火とスープでした。
僕の瞳を通して、人々は神を知り、祈り、
僕の体を通して、彼らは神を感じ、より一層深いところへと灯火を持つのです。
大事にされていなかったといえば、きっと嘘なのでしょうけれど。
それこそ、僕が幼い頃には老人と思しき方々と、同じく眼の見えぬような人を含め、数名が傍にいましたし、彼らがひとりで生きる術を僕に叩きこんだとも言えます。
僕に対する環境を築きあげた彼らは、僕がひとりで魚を得て、
ひとりで薪を融通できるようになった頃には、ミナの峠を引き上げていきました。
多分、ですが。
アルファグロリアスはみな、孤独に耐えうる人間が選ばれるのだと思います。
先代が亡くなるその一瞬を同じくして、致命傷の傷か病で世を去るか否かの一歳児の中でも、元から孤独である魂に、そうあらんことを宿すのです。
僕は別に、神を恨んでおりませんし、致命傷を負った僕を庇ったからこそ死んでしまった両親と兄にも、怨みはありません。
むしろ、両親と兄が僕を最期まで大事にしてくれたから、僕は致命傷と共に神の手を受けたのでしょう。
寂しくはない。これは本当です。
ただ、僕はたまに自分の中身が分からない事があります。
他の方もそうなる事があるのか、訪ねて来てくれる信者の方々に問う事もありましたが、みな一様に「人間とは己の中身が分からなくて当然なのだ」と、慰めてくださいました。
「だから神を指針とするのだ、案ずることは無い。貴方は神のお膝元にいるのだから」とも。
分からないから考えたくて、
考えたいから、人に問うだけなのに、どうしてこれほど難しいとされてしまうのか。
答えなど、一度も求めていないのに。
正直なところ、身体がかなり辛いのです。
ただ、僕よりもリトル達の方が、ずっと堪えるはずです。
随分昔に旅人から聞いた、低温を保つ方法が役立って良かったと思います。
妙な植物が生えていたお陰ですね。本当に植物なのか、不思議なくらいですが。
それでも、ああ、ミナの湖の、しんと刺す冷水が恋しい。
寒冷地方の山岳沿い、ミナの峠。
ミナには終わりという意味があり、終わりの峠に唯一が棲みつくのは、他人にとってはえらく神秘的に映ったらしく、
神なる御身を信仰する方々が、数か月に一度、風のようにやって来ます。もの心つく前からそこに住んでいた僕としては、非常に過ごしやすい環境なのですが、
ミナの峠は背の高い木々が多く、オ・トワを通して肌寒い日ばかりが続くところです。
なので、神秘を求めてやって来る人々への御馳走といえば、火とスープでした。
僕の瞳を通して、人々は神を知り、祈り、
僕の体を通して、彼らは神を感じ、より一層深いところへと灯火を持つのです。
大事にされていなかったといえば、きっと嘘なのでしょうけれど。
それこそ、僕が幼い頃には老人と思しき方々と、同じく眼の見えぬような人を含め、数名が傍にいましたし、彼らがひとりで生きる術を僕に叩きこんだとも言えます。
僕に対する環境を築きあげた彼らは、僕がひとりで魚を得て、
ひとりで薪を融通できるようになった頃には、ミナの峠を引き上げていきました。
多分、ですが。
アルファグロリアスはみな、孤独に耐えうる人間が選ばれるのだと思います。
先代が亡くなるその一瞬を同じくして、致命傷の傷か病で世を去るか否かの一歳児の中でも、元から孤独である魂に、そうあらんことを宿すのです。
僕は別に、神を恨んでおりませんし、致命傷を負った僕を庇ったからこそ死んでしまった両親と兄にも、怨みはありません。
むしろ、両親と兄が僕を最期まで大事にしてくれたから、僕は致命傷と共に神の手を受けたのでしょう。
寂しくはない。これは本当です。
ただ、僕はたまに自分の中身が分からない事があります。
他の方もそうなる事があるのか、訪ねて来てくれる信者の方々に問う事もありましたが、みな一様に「人間とは己の中身が分からなくて当然なのだ」と、慰めてくださいました。
「だから神を指針とするのだ、案ずることは無い。貴方は神のお膝元にいるのだから」とも。
分からないから考えたくて、
考えたいから、人に問うだけなのに、どうしてこれほど難しいとされてしまうのか。
答えなど、一度も求めていないのに。