Eno.122 春海 日雀

異邦列車に連れられて

なんにも用事がないけれど、列車を取って旅に行って出るのが好きだ。
それは別に、列車を愛しているだとか、名所巡りを心の支えにしているということでもなく。
ただ、観光地の余所余所しさが、澄ましたよそいきのような顔つきが。

好ましく、惹きつけて、止まなかった。


誰かの暮らしが染みついた街を歩くとき、足を踏み出すのが恐ろしいことがある。

野ざらしにされた張り紙の色が変わっていくその過程を、変化を、知らないことが。
曲がり角の次に現れる店の名前を、屋根の色を、答えられないことが。
とてつもなく大きな欠落のように感じられてしまう時がある。

誰かが踏み固めた土の上で、自分だけがここに歓迎されていない気がして。
次に踏み出した時には、私の靴裏を支えずにどこかへ放り出してしまうようで。
そうなれば歩き出せない私はもう、天を仰ぐ以外に出来ないのだけれど。
そういう日の太陽は決まって真っ黒い点に見えて、私の空には穴が開いてしまったように思うのだった。


……この島が、手つかずそのものだったのは幸運そのものだった。
余所余所しいどころか、何も知らないような顔で私たちを受け入れた。
その幸運のおかげで今こうして。ふと足元を踏み外すこともなく景色を見ている。

けれどこの島にも暮らしは募る。誰かが生きるために、暮らしは積まれていく。
私はそこに息づく生活を感じている。……の、だが。

一度千切れたロープの継ぎ目が、いつ結ばれたのかを分かることが。
寝床に放った布の小さな染みは、誰がどうして残したのかを耳で聞くことが。

私の知る暮らしが積み上げられることが、誰かの生きていることを感じることが。
こんなにも私の呼吸を落ち着けるのだということは。
寡聞にして今日日まで存じなかったのである。


この日々自体がある意味、旅の一つなのかもしれない。
遠い文化の知らない暮らしを、真っ白な箱に詰め合わせて。
終点も知らないまま未舗装のがたつく道を、暢気な声で引いては押して。
まだ未熟で、けれども好ましい日々のことを。
『異邦列車』とでも呼んでみようか、と思う。

「この丁寧な結び目はルプティム君かな」


「こっちの独特な形は……飛燕君か。
 じゃあ、これは……」


「いやあ、分かるものだねえ。案外」



「……修理担当者当てクイズとか、やらないかなぁ~?
 景品付きで……」