Eno.614 紅尾パトラ

ははうえどのへのてがみ

ははうえどの。
いかがおすごしでしょうか。
わたくしはいまそこくともにほんともことなるちにて、
がくゆうたちとのきょうどうせいかつをおくっています。

ここはどのりくちともつながらないかんぜんなるしまであり、
ぶんめいもなく、わたくしたちいがいのひとかげもございません。
がくゆうたちはみずからのてでおおきなふねをつくり、
おおうなばらにこぎだしてこのちをぬけだすこころづもりです。

わたくしはまだおさないみですが、このけいかくにきょうりょくしたくおもいます。
みなでちからをあわせておおきなことをなしとげるというのは、
なかなかえがたいけいけんですこしどきどきしています。


いまこのしまはおおあらしにおそわれています。
つよいあめかぜのおとをきいていると、ははうえどのとわかれたひのことをおもいだします。
ははうえどの。
わたくしがおもむくちとわがそこくとは、うみもときもおおきくへだてているとおっしゃっていましたね。
あれはもしやははうえどののうそではないのかと、ちかごろこっそりうたがっています。

にほんとよばれるかのちは、ちずでみたところちちゅうかいからはとてもはなれております。
しかしときをこえてかこからみらいへととびたつなどということは、
わたくしのみのまわりではまったくのゆめものがたりとされております。
ははうえどのがうそをついていたのなら、なぜわたくしにうそをついたのでしょうか。


わたくしはそこくへもどることはできないのだろうと、うすうすきがついております。
あのときのははうえどののおことばは、まるでいまわのわかれのようでした。
わたくしはきっともどれないというよりは、もどってはいけないのでしょう。
そしてははうえどのとも、わがしんかたちとも、ふたたびあうことはできないのかもしれません。
ははうえどのがうそをついたのは、ときをへだてているならばしかたないと、
わたくしをあきらめさせるためだったのでしょうか。

ははうえどの。
もうおあいすることかなわぬとしても、ははうえどのがごぶじでいてくだされば、
わたくしはさいわいにございます。
わたくしはこのがくゆうたちと、ぶじににほんへともどります。
ははうえどのもどうか、わたくしがおらずともおげんきですごしていてください。


はるかなるエジプトよ。ははなるナイルよ。
いまはとおきちにありて、されどわがこころはおんみのながれとともにあり。
わがそこくにアメンのかごよあれかし。