Eno.610 エポラ

日記 その20

今回ばかりは、ちゃんと戻るつもりでした。
帰るに帰れずまごついていて、じきに雨足が強くなってきて。
そしたらもう、離れるわけにはいかないのです。


大事な大事な、宝物だったのです。

嵐を越えた先にあった もっと大きな悲しさの波に、彼女はきっと 耐えられなかったのでしょう。

かぞくたちは、ずっと寄り添ってくれたのです。
微睡む彼女を ずっと起こさず支えてくれたのです。


かぞくとも離れ離れになって、彼女を支える誰かは いなくなってしまいました。
そう思っていました。

いつも誰かが迎えに来ました。
みんなに無事を願われておりました。

とりとめのない話を交わし、
怒鳴るほどの心配をもらい、
幸せを分けてもらい、
やさしい約束を結び、
あたたかく柔らかく 頭を撫でられ、
醒めた夢の先で、待ってくれている


やっと認めて、やっと、初めて泣きました。

涙で洗った傷口は、暫くじくじく痛むことでしょう。
瘡蓋の奥が、嵐の夜には疼くこともあるでしょう。
傷痕になっても、死ぬまで抱えていくことでしょう。

でも、無駄にしてはいけませんから。
前に歩くための足ですから。



シャチは海の生き物です。
陸で生きることなど、決してできない生き物なのです。
あのシャチエポラは、トクベツでした。

お姉ちゃん想いの海の神様レプンカムイが、置いてかないでと泣きじゃくる彼女のために、縋り付ける手足を 貸してあげたのかもしれません。

真実も彼女も、海の奥に沈むでしょう。
彼女はもう、岸辺に向かう理由がなくなりましたから。





再び海へと帰る、あと ほんの少しの間。
木々のざわめきと、風の乾きと、人々の喧騒と、あたたかさを
精一杯受け取って、沢山持ち帰りたいものです。