Eno.571 みちる

無題?


 ――まず前置きとして、齋藤あかねは間違った母親ではない。

 確かに《裏社会の人間に関わった》し、《その血を引く子供を産み落とした》という大罪はあれど、だからこそ、後に九条とは縁を切り、産んだ子供を棄てずに女手ひとつで育て上げた。それが齋藤みちる…まぁ、正確に言えば【九条みちる】か、彼女は比較的真っ当な価値観を持った人間になったわけだ。

 …なら、ここで何故私がわざわざ出てきて話すことになったと思う?
 単純明快!彼女が九条の血を引いてるからだ。

 九条組は、みちるの住む【世界】においての日本では関東随一の暴力団体だ。裏社会に生きるものなら当たり前に名を聞く程に、奴らは広く蔓延っている。
 それこそ、元凶となった男をバラして棄てるぐらい造作にもなかったことだろう。アイツは綺麗さっぱりに消えた、身体も、経歴も。警察にもマスメディアにも通じてる、文字通り存在を抹消するぐらい容易いのさ。

 齋藤あかねは、物理的に離れることで九条を絶ったと思い込んでるが…あいつらの影響は、それぐらいじゃ振り切れんよ。
 …ああ、確かにそれもある。離婚時に交わした約束の1つ、『九条みちるが成人するまでの養育費を全て支払う』…変に義理堅いっつーか筋を通すっつーか…"ちゃんと学校に通えてるかまで見る"のは仕方ないことだろう?で、それが消滅するやもしれん事態に発展しかけたんだから、あのカラオケボックス事件は正当防衛だったと思うぜ私は。
 まぁ、私が言いたいのはそこじゃあないんだよ。


 九々くく家から9つに分かれた内の1つ、九条くじょう家は【暴力性】が極めて高い。


 それはより、本能に近しいものだろう。
 マス……あー、直彦だっけ?アイツが破綻してたのはその素質と環境、トドメが母親だったな。パンを食べるぐらいの感覚で捻り潰された哀れな肉塊はいくつになったっけ?
 照彦も、照子も、雪彦も、…あの血筋の人間は、みぃんな内に暴力性を秘めている。その安全装置セーフティが外れれば、立派なヤのモンだよ。みちるも例外じゃない。

 …うん、それはそう。外すか否かは、結局のところ、本人の意志次第だ。特に、真っ直ぐで純真で、時折不運を被りながらも折れずに育ってきた彼女なら、今がまさに運命の岐路に立たされていることだろう。
 本当ならもう少し後の"別の島"……な予定だったんだが、どこから噂を嗅ぎ付けたのか、箱の魔女おんなが搔っ攫っていったんだよ。僕の愉しみを奪いやがってあの阿婆擦れ。

 失礼、言葉が汚かったな…
 先に話した本能については、もう既に目覚めてる。その力の意味と影響を理解してて、少し…コントロールを試みようとしているところか。幸い、ここじゃ動物の命は"真っ当な理由で"屠殺出来るし、彼女はそれも分かってる。同時に――その重さに、潰されかけている。

 希死念慮と生存本能、その2つがみちるの天秤にかけられている。
 意味が分かるかい?彼女は【死にたい】とも思うし、【生きたい】とも思ってる。けれど【生きて】しまえば、罪の清算、真実の開示、そして己が持ってしまった【人を殺せるという認識】など、様々なものと向き合わねばならない。…そうだなぁ、もっと簡単に言おう。
 孵化をする前の雛鳥が、卵の中で腐ろうか成鳥しようか悩んでる。…うん、そんなとこだな。


 …
 ……
 ………


 九条みちるは、まだ間に合う。少なくとも、このシマにいる間は。
 始めに言っただろう?『比較的真っ当な価値観を持った人間』だと。直彦や照彦のように既に手遅れじゃない、幸いにも良い人々に囲われ、5日目"まで"問題なく過ごしてきたんだ。…まぁ、一部悪いモノは混ざってるようだが、それはそれとして。

 私も箱のアイツも、結局のところ人間の可能性が好きだ。
 思う通りに描いて出来上がる人間よりも、様々な経験を経て何度も孵化を繰り返し成長していく人間の方がずーっと好きだ。むしろ愛してるぐらいだ。

 …あー、別に"人間"に限ったことじゃないぞ。あの怪異だって、なんだかんだ向き合うつもりなんだろう?その行く末が楽しみじゃないか、フフ。

 とにかく、ここで必要そうな情報は十分に開示した。
 あとは我々はノータッチで、運命に任せるとしようじゃないか。


 願わくば、主人公斎藤みちるの望む終焉エンディングが迎えられることを祈ろう。





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 街を歩いていた。通学バッグに、なけなしのお金が入った財布と、ホームセンターで買った真新しいナイフを入れて、あてもなく、ふらふら、と。未成年が歩くべきではない夜の街を、街灯を求める蛾のように、ふらふら。


『安息が、欲しいですか。』


 凛とした、声が聞こえた。雨に濡れて重い筈の足が、自然と、声の主の元へと向いて歩いていく。道を抜けて、抜けて、抜けて。辿り着いたのは、いつか見覚えのある公園で。見覚えのあるベンチ……の、街灯の下に、車椅子の女の人がいた。雨の中なのに、何故か濡れておらず、綺麗なのが、羨ましかった。


『安息が、欲しいですか。』
『ここではないどこかへ、旅立ちたいですか。』


 わたしは、何も疑わずに頷いた。女の人は長い裾を口元に当て、笑う仕草を見せる。


『素直な子、とても可愛らしいです。』
『ちょうど、貴方にぴったりな【箱庭】があるのですよ。』


 箱庭、と彼女が告げると、わたしの背後から風が通り抜け、長い裾の上へと集まり……小さな、四角形の白い箱が出来上がる。


『ナーサリーライムは、貴方を気に入りました。』
『貴方の境遇、犯した罪、狭間で揺れる葛藤…』
『まぁ、まぁ、なんて素敵な人間の物語でしょう。』


 さぁ、さぁ。
 手招きをされる。ぼんやりとした頭で、糸を引かれるように彼女へと近付いていく。箱により近づくと、波の音とカモメの声が聞こえてくる。


『この【箱庭】は、入ったら最後、出られません。』
『だけど、1つ、方法はあります。』
この【箱庭】から生きて、脱出すること。
『とても、シンプル、そして、簡単…でしょう?』


 入って出られないなら、いっそずっと閉じ籠っていたいのに。でも、わたしはもう、居場所を探すのに疲れ果てていた。だから、箱に手を伸ばして…触れた。


 眩い光。
 徐々に溶けていく意識。
 どこかへと落ちていく、そんな感覚。



 そうして、意識が途切れる最後……確か、何かを聞いた気がした。





『ようこそ、幻のシマへ。』