神崎の手記(沈む島)
それは島から出るまでの残された時間で、星を見る為に行動を開始しようとしていた時の事だった。
「――神崎、こちらに来て頂戴」
ニシュは落ち着いた様子でその場に座り込むと、控えめに手招きをして俺を呼んだ。
先程までは一度目、二度目の“怒り”がやって来ると備え、警戒をしながら彼女のすぐ傍に座った。
「……お手柔らかに頼む」
そう言った俺に彼女は苦笑して見せた。
その後に彼女が口にしたのは意外にも例え話であった。
彼女は例えばの話だと前置きをして語る。
「人は生まれながらに“悪”だとして、それを殺してしまう事こそ“正義”なのだと。
そうする我々が“ヒーロー”なのだと思っている夫婦がいるとするわ」
「そこにある日、子供が生まれるの。夫婦は勿論、子供にもそれを熱心に教えるわ」
「――そうすると、子供はどんな大人になると思うかしら」
彼女の意図する所は分からなかったが、この例え話の答えならすぐに分かる。
「…………子供は人を“悪”だと認識して殺し、
“正義”を実行する“ヒーロー”という大人になる」
彼女は俺の言葉に頷きながら続けてこう口にした。
「そうね、子供はそれをとても“正しい事”だと思うはずだわ。
だって両親はそれを咎めないもの」
「子供にとって親とは、それくらい強大な存在なのだわ。それだけが“正しい”の」
「私はね、神崎」
「あなたがそうなりえるかもしれないという事が分かるから、怖くなるのよ」
彼女の例え話は、どうやら俺の事を指していたモノだったようだ。
俺は全くそう考えていなかったので動揺する事となった。
「あなたは私をまるで、“正しい”と思ったりしていないかしら」
「私は私が全て正しいだなんて、思わないわ。だからこそあなたや誰かに話す時、
色々考えて言葉を選んでいるつもりよ」
俺もニシュの言う事が“正しいか”どうか“状況”などを踏まえた上で再度確認し、話す時も言葉を選んでいるつもりだと伝えた。
「私はあなたの言う事を聞く、利口な“犬”かしら」
「それともあなたの望みを全て叶えて不安を和らげる、物言わぬ“人形”かしら」
「いいえ、それともあなたの行動、言葉、
その悪も正義も指し示す“コンダクター”かしら?」
「私は私を、そのどれでも無いと思うの。どれにもなりたくないと思うのよ」
「ここまで、私の気持ちは分かるかしら」
俺はその言葉の数々を聞きながら“痛みのようなモノ”を覚えた。
「違う。君はそんな存在ではない。君は俺にとって“特別な”存在だ」
俺は自分の“感情”という確かめる事の出来ないモノを
“特別”という言葉でしか伝える事が出来ない。
水と湯の違いは水温で確かめる事が出来るが、それらが一切出来ない場合は“液体”という大きな括りにするしかないからだ。
彼女は今、自分を便利な道具として捉えられたくないと、その気持ちが分かるかと聞いている。
「分かる。分かるとも。君は自分を
“間違えた認識で”捉えられたくないと、そう思っている」
彼女はそれを聞くと少し不思議な事を言った。
「そうよ。私からみたら“そう”みえるの」
言葉は尚も続く……
「あなたが私を頼るのは良いわ。あなたは上手く言葉を話せないと知っているから。
だから、話せて分かってくれる私と居たいのだわ。雨が降らなくても」
「でもね、あなたが呼んだように
――私はいつでもあなたの傍に居るという訳では無いわ。
あなたが“犬”でも“人形”でも無い、というのなら。
私は自由に歩き回り、考えるという事。私はそれを“許されている”ハズだわ」
「そして私は、あなたの全てを示す“コンダクター”ではない。
あなたはあなたとして、色んなものを見て聞いて、色んな人と話すべきなの。
おろかな子供も、他の大人と話せば
『人殺しはいけない事なのだ』と分かるかもしれないわ」
「……私が言いたいのは、“呼べば来る”と思って欲しくない事。
それって“犬”みたいだし、信用されていないみたい。
もしあなたが寂しくて死んでしまうというのなら、
あなたはもっと色んな人と手を繋いでみるべきだわ」
「それから、“私に答えの全てを委ねるべきでない”ということ。
私はきっと間違った事も言うのだわ。私の全てが正しいなんて、
そんな事こそ間違っているの。
これもまた、多くの人と話せばおのずと分かる事だと思うのよ」
「――特別であるという事と、“依存する”という事は、全く別なのだわ」
俺はようやく理解した。
この“特別”という感情とは別に、ニシュに頼り“依存”していた事実に……
「“傍に居て欲しい”という言葉を“呼べば来てくれる”言葉にしてごめん……
俺は、もっと多くの事を知り、学んでいかなければいけなかった。
君が俺にとって“特別”である事実に甘え、
自分の事も、周りの事も見えていなかった……」
「俺は自分で選択して行く。だから今は……」
周りを見るべきだと思った時、違和感に気づく事が出来た。
海水が急激に増え始めている。
――この島はもう長くは持たない。
「今は君を守らせてくれ! 島がもうじき沈む。
……君を背負って、救助船まで走る事を許してくれ!」
彼女はそれを聞いても尚、平静を保ちながら言葉を紡ぐ。
「あなたは私を信じて、声を掛けなかった時があったわ。
私はあれの方が……信用されている気がして、嬉しかったのよ」
「え? もうそんなに来ているのかしら」
彼女はおっとりとした声をあげ、まだ状況を理解していない事実を俺に与えた。
「それなら俺に、もう一度そのチャンスをくれ。
これが決して“依存”というモノから来る行為では無いと、
君を正しく“特別”に想えている事から来る行為なのだと」
「確かに君に“全てを委ねるべきではない”今、俺にもそれが理解出来たよ。
君の言葉という“きっかけ”から生まれたモノに代わりは無いのだろうけど、
俺は俺の考えとして、君は大いにこの事態に関して
“間違って”認識していると言おう!」
俺はその場で声を出して自分の場所を知らせつつ屈んだ。君がチャンスを与えてもいいと“考えた”のであれば、俺はそれに応える。
決して無理矢理連れて“人形”のような扱いはしない。
そうする事が、彼女を“信用”していると証明する最初の一歩だと思ったから……
「チャンスはいくらでも振るわ。掴めるかはあなた次第でしかないの」
「どのあたりかしら。背負うなら、スカートがめくれないようにして頂戴」
そういう彼女の声音はいつもと変わらず、まるでテレビのリモコンでも探すかのように
日常的な雰囲気を壊さず背中を探していたのだ。
……最初の一歩にこの状況を選んだのは間違いだったと判断する。
彼女はチャンスなどいくらでもやると言ったのだ。
それなら今必要なのは彼女の信用を得ようとする事ではない。
「だぁああもうやっぱりやめだ! 俺が今は急がないといけないと決めた!
このままだと本当に沈む! 俺が勝手に君を背負う! 君は危機感を持つべきだ!」
ニシュはまだ全くと言っていいほど危機感を持っていなかったのだ。
それならもう知らん。俺は勝手にする。
彷徨う手を取り、スカートなど一切考慮せず、彼女を背負った。
背負いあげられる前はまだおっとりと何か言っていたが知らん。
背負いあげてからもスカートがなんだとか言ってるけど知らん。
俺はニシュを背負い、ぎゃーぎゃー騒ぎながら救助船までの道をひた走った。
「――神崎、こちらに来て頂戴」
ニシュは落ち着いた様子でその場に座り込むと、控えめに手招きをして俺を呼んだ。
先程までは一度目、二度目の“怒り”がやって来ると備え、警戒をしながら彼女のすぐ傍に座った。
「……お手柔らかに頼む」
そう言った俺に彼女は苦笑して見せた。
その後に彼女が口にしたのは意外にも例え話であった。
彼女は例えばの話だと前置きをして語る。
「人は生まれながらに“悪”だとして、それを殺してしまう事こそ“正義”なのだと。
そうする我々が“ヒーロー”なのだと思っている夫婦がいるとするわ」
「そこにある日、子供が生まれるの。夫婦は勿論、子供にもそれを熱心に教えるわ」
「――そうすると、子供はどんな大人になると思うかしら」
彼女の意図する所は分からなかったが、この例え話の答えならすぐに分かる。
「…………子供は人を“悪”だと認識して殺し、
“正義”を実行する“ヒーロー”という大人になる」
彼女は俺の言葉に頷きながら続けてこう口にした。
「そうね、子供はそれをとても“正しい事”だと思うはずだわ。
だって両親はそれを咎めないもの」
「子供にとって親とは、それくらい強大な存在なのだわ。それだけが“正しい”の」
「私はね、神崎」
「あなたがそうなりえるかもしれないという事が分かるから、怖くなるのよ」
彼女の例え話は、どうやら俺の事を指していたモノだったようだ。
俺は全くそう考えていなかったので動揺する事となった。
「あなたは私をまるで、“正しい”と思ったりしていないかしら」
「私は私が全て正しいだなんて、思わないわ。だからこそあなたや誰かに話す時、
色々考えて言葉を選んでいるつもりよ」
俺もニシュの言う事が“正しいか”どうか“状況”などを踏まえた上で再度確認し、話す時も言葉を選んでいるつもりだと伝えた。
「私はあなたの言う事を聞く、利口な“犬”かしら」
「それともあなたの望みを全て叶えて不安を和らげる、物言わぬ“人形”かしら」
「いいえ、それともあなたの行動、言葉、
その悪も正義も指し示す“コンダクター”かしら?」
「私は私を、そのどれでも無いと思うの。どれにもなりたくないと思うのよ」
「ここまで、私の気持ちは分かるかしら」
俺はその言葉の数々を聞きながら“痛みのようなモノ”を覚えた。
「違う。君はそんな存在ではない。君は俺にとって“特別な”存在だ」
俺は自分の“感情”という確かめる事の出来ないモノを
“特別”という言葉でしか伝える事が出来ない。
水と湯の違いは水温で確かめる事が出来るが、それらが一切出来ない場合は“液体”という大きな括りにするしかないからだ。
彼女は今、自分を便利な道具として捉えられたくないと、その気持ちが分かるかと聞いている。
「分かる。分かるとも。君は自分を
“間違えた認識で”捉えられたくないと、そう思っている」
彼女はそれを聞くと少し不思議な事を言った。
「そうよ。私からみたら“そう”みえるの」
言葉は尚も続く……
「あなたが私を頼るのは良いわ。あなたは上手く言葉を話せないと知っているから。
だから、話せて分かってくれる私と居たいのだわ。雨が降らなくても」
「でもね、あなたが呼んだように
――私はいつでもあなたの傍に居るという訳では無いわ。
あなたが“犬”でも“人形”でも無い、というのなら。
私は自由に歩き回り、考えるという事。私はそれを“許されている”ハズだわ」
「そして私は、あなたの全てを示す“コンダクター”ではない。
あなたはあなたとして、色んなものを見て聞いて、色んな人と話すべきなの。
おろかな子供も、他の大人と話せば
『人殺しはいけない事なのだ』と分かるかもしれないわ」
「……私が言いたいのは、“呼べば来る”と思って欲しくない事。
それって“犬”みたいだし、信用されていないみたい。
もしあなたが寂しくて死んでしまうというのなら、
あなたはもっと色んな人と手を繋いでみるべきだわ」
「それから、“私に答えの全てを委ねるべきでない”ということ。
私はきっと間違った事も言うのだわ。私の全てが正しいなんて、
そんな事こそ間違っているの。
これもまた、多くの人と話せばおのずと分かる事だと思うのよ」
「――特別であるという事と、“依存する”という事は、全く別なのだわ」
俺はようやく理解した。
この“特別”という感情とは別に、ニシュに頼り“依存”していた事実に……
「“傍に居て欲しい”という言葉を“呼べば来てくれる”言葉にしてごめん……
俺は、もっと多くの事を知り、学んでいかなければいけなかった。
君が俺にとって“特別”である事実に甘え、
自分の事も、周りの事も見えていなかった……」
「俺は自分で選択して行く。だから今は……」
周りを見るべきだと思った時、違和感に気づく事が出来た。
海水が急激に増え始めている。
――この島はもう長くは持たない。
「今は君を守らせてくれ! 島がもうじき沈む。
……君を背負って、救助船まで走る事を許してくれ!」
彼女はそれを聞いても尚、平静を保ちながら言葉を紡ぐ。
「あなたは私を信じて、声を掛けなかった時があったわ。
私はあれの方が……信用されている気がして、嬉しかったのよ」
「え? もうそんなに来ているのかしら」
彼女はおっとりとした声をあげ、まだ状況を理解していない事実を俺に与えた。
「それなら俺に、もう一度そのチャンスをくれ。
これが決して“依存”というモノから来る行為では無いと、
君を正しく“特別”に想えている事から来る行為なのだと」
「確かに君に“全てを委ねるべきではない”今、俺にもそれが理解出来たよ。
君の言葉という“きっかけ”から生まれたモノに代わりは無いのだろうけど、
俺は俺の考えとして、君は大いにこの事態に関して
“間違って”認識していると言おう!」
俺はその場で声を出して自分の場所を知らせつつ屈んだ。君がチャンスを与えてもいいと“考えた”のであれば、俺はそれに応える。
決して無理矢理連れて“人形”のような扱いはしない。
そうする事が、彼女を“信用”していると証明する最初の一歩だと思ったから……
「チャンスはいくらでも振るわ。掴めるかはあなた次第でしかないの」
「どのあたりかしら。背負うなら、スカートがめくれないようにして頂戴」
そういう彼女の声音はいつもと変わらず、まるでテレビのリモコンでも探すかのように
日常的な雰囲気を壊さず背中を探していたのだ。
……最初の一歩にこの状況を選んだのは間違いだったと判断する。
彼女はチャンスなどいくらでもやると言ったのだ。
それなら今必要なのは彼女の信用を得ようとする事ではない。
「だぁああもうやっぱりやめだ! 俺が今は急がないといけないと決めた!
このままだと本当に沈む! 俺が勝手に君を背負う! 君は危機感を持つべきだ!」
ニシュはまだ全くと言っていいほど危機感を持っていなかったのだ。
それならもう知らん。俺は勝手にする。
彷徨う手を取り、スカートなど一切考慮せず、彼女を背負った。
背負いあげられる前はまだおっとりと何か言っていたが知らん。
背負いあげてからもスカートがなんだとか言ってるけど知らん。
俺はニシュを背負い、ぎゃーぎゃー騒ぎながら救助船までの道をひた走った。