Eno.645 ヴィクトル・トート

応答

それは、おそらく救助船が島のあった地点から十分に離れた頃。
ぼんやりしていたヴィクトルの耳に、久しぶりに聞く通知音が届いた。
特殊な周波数だから、受信機を持たない他の人間たちには聞こえないはずだ。
物陰に隠れ、ヴィクトルは慌てて端末の画面を確認する。

【アリアドネの糸玉】より【9074 No.14】



画面の文字が規則的に点滅している。
どうやら音声通信を試みているようだ。
酷く不安定だろうに、繋がったということは、それだけ接続状況が良くなったということだろうか。
軽く舌打ちして、ヴィクトルは応答キーを押した。
開口一番罵詈雑言を浴びせてやろうと、端末を手にしたまま大きく息を吸う。

『……の、……ている……ですかね……?
 ……ーい、おーい、ヴィク。ヴィクトル? 声が聞こえる?』

「……っ、……は、え?」

『あ、聞こえたかもしれない。悪い、ヴィクトル。もう一度、何か喋ってくれるかな』



端末の向こうから聞こえた声に、ヴィクトルは思わず言葉を失った。
何を言っていいのかわからないまま、とりあえず聞くべきことだけを先に確認する。

「おま、……お前、なんで、そこにいるの。アリアドネだろ?」

『ああ、そうだよ。ヴィクトルが戻らないって聞いて、心配してたんだ。そうしたら、手伝ってくれって言われて』

「……それで、アリアドネの奴らに起こされたのか?」

『いや、起こしてくれたのはそっちの主任さん。状況を教えてもらったんだ。協力を頼まれたのはその後だよ』

「へえ……そう。そうか」



話を聞きながら、ヴィクトルは頭の中のメモにいろんなことを書き込んでいく。
アリアドネの連中、どういうつもりだ。帰ったら覚えてろよ。
物騒なことを考える頭に、やけにのんびりとした声が届く。

『でも、繋がりが回復してよかったよ。
そっちの状況は報告してくれてたからよかったけど、こっちは何もしてやれないんだから。本当に心配したんだぞ』

「は? ああ……ま、それはそうだけど……。
 ……ちょっと待て。報告してくれてたって、どういうこと?」

『え? 送ってくれてただろう? 報告書……というか、日記みたいなものだったけど』

「こっちではエラーで送れてないぞ。届いてないだろ?』

『ううん、届いてるし、ちゃんと全部読んだよ』

「……嘘だろ?」

『本当なんだけど……。……ま、まあ、そういうこともあるだろうし。
エラーなんだから、あんまり気にしなくても。状況がわかったのは本当に助かったしさ』



宥めるような、励ますような声に、ヴィクトルは眉を顰めて唇を尖らせた。
別にいいのだ。どうせ送るつもりだったのだし、読まれたからって困るようなことは書いていない。
別にいいのだが……なんだろう、この微妙な感じ。

「もう、その話はいい。それより、回収は? もう出来るの?」

『ああ、うん。ヴィクトルがよければ、いつでも出来るよ』

「別に、いつでもいいけど」

『本当に? ちゃんと、お別れはした? 随分、楽しかったみたいだから』



再び、苦虫を噛み潰したように押し黙る。
端末の向こうの気配はにこにこ笑っている。それがどうにも腹が立つ。

『こっちはいつでも構わないから、心残りがないようにしておいで』

「……別に、そういうんじゃないけど。
 ……もう、いいよ。わかった」



渋々といった体で、頷いて返す。どうせ、何を言っても聞きはしないのだ。
そうすると、満足したように『それじゃあ、また』と通話が切れた。
これで、帰ることはいつでも出来る。
物陰を出て、ヴィクトルは軽く息をついた。
仕方がない。もう少しだけ、この偶然の旅を堪能することにしよう。