Eno.526 鍋島直哉

「親無し貧乏人で悪かったな」

――といって、当時の俺は中学生を全員ぶちのめした。
思いっきり拳を握って腹を狙い、
足のすねを蹴り込んだり……。

うちの家には親がいない。
父親はいないし、母さんは病院にいる。
結婚を反対されたから、母さんは実家を飛び出して、二度と帰らない、わからず屋、差別主義者……とか、酷いことを色々言って。遠い町に引っ越したんだそうだ。

父親は大層腕がいい、人に愛される料理人だったらしい。
お客はいつのまにかファンになり、いくらでも出資するという人が現れるような、
愛想がよくて、誰の傍にも駆けつけてくれて、人の心に潜り込むのがうまい。
そんな人間だ。

気さくで愛想がよく、誰とでも仲良くなれる親父は、
そのまま母親以外の女と仲良くなって消えたらしい。
これは近所の人の良さそうなおばちゃんが、聞いてもいないのに聞かせてくれたことだ。

ここから俺が得た教訓は二つ。
一に、勝手に同情して子供に相応しくない話をする人間の性格は悪い。
二に、誰にでも駆けつける愛想の良いような人間は、いつまでも自分の傍にいる保証はない。


―――――――――


中学卒業前は、「――中学の裏番」…とか言う滅茶苦茶恥ずかしい二つ名をつけられていた、らしい。
(喧嘩をした相手がそんなことを言うので、無理やり聞き出したのだが。)

何だ、その恥ずかしい名前は。漫画じゃねえんだぞ………。
こんなことになったのも、喧嘩売ってくるアホが多いせいだ。
そいつらを全員ぶちのめしてたら不良扱いだ。
いや不良はいい。100歩譲っていい。番長!?

………高校は少し遠くを選んだ。
入院している母親は、俺の噂を知らない。
ただ、父親が消えてから噂されているのは勿論知っているだろうし、
ちょっとずつ、きもちを可笑しくして、入院している。

致命的に何かが悪くなったわけじゃない。
治らないような憂鬱が少しずつ溜まったんだと、医者は言っていた。


―――――――――


中学2年生の頃に遡るが、アルバイトを探していた。
そうはいっても中学生にできる仕事なんてなく、年齢をごまかそうか?とか、
中学生でもできることはないか、なんて探していたのだが……。

「直哉、アルバイト探してるんでしょ。お爺ちゃんに頼んでおいたから」

そういう母の一声で決まってしまった。
しかも……

「あんな奴の”父親”に頼るなんてどうかしてる」
「直哉。お爺ちゃんでしょ。それに、あんな奴、なんて」
「弟、妹、そんで俺、母さんを置いてった奴だろ。……あのジジイも好かねえ」
「そんなこと言わないの。私も安心できるし、お爺ちゃんもいいって。人手足りないみたいで」

そういわれて、かなり渋々向かうことになった。
……母さんは普通に見えるが、夜が一番危ない。
だから入院が続いている。母さん方のじいちゃんばあちゃんも死んじゃってる。
俺が働いてやっと少しは生活をマシにできると思ったのに。
まだ、あんな奴の家を頼らないといけないとは。

そうは言っても、頼み込んだ母さんの顔を潰すわけにもいかず、
やってきたのが普通の中華料理店――「なべしま」、だ。
久しぶりに、その暖簾をくぐった。
ここに来たのは、小学校低学年が最後だったかもしれない。



「お前、成長してみッてヨ、ますます似てねえなあ~、ほんとにアイツの子かい?」



顔を見て最初の一言がそれだ。帰ろうか、と思ったとき、鈍い打撃音がして目を瞬かせることになった。

「ごめんねえ、うちの宿六がデリカシーがなくって。直哉ちゃん、お手伝い来てくれてありがとね。あんまり高くないんだけど、お小遣いも出せるから」

ころころと笑うのが祖母だ。手には金属のお玉を持っている。
殺す気か!?とジジイがうるさいが、これで死ぬなら有難いんだが。

「フン。俺が若い頃ならおめえ、何の技術もねえ小僧が店入るッたら最初はオアシはいりませんので飯と寝るところだけはっつうもんでヨ」
「直哉ちゃんはお家もご飯もちゃんとありますし、そんな時代でもないでしょ!ほら、さっさと麺打ちをやんなさい!捏ねて伸ばしちまうよ!」
「とんでもねえ女と結婚しちまった」

……茫然と眺めていた。
それをビックリしているものだと思ったのか、祖母は笑う。


「あんまり、大きくなってからウチにはこなかったものねえ。あれで、直哉ちゃんが来てくれてとびきりよろこんでるの。お料理はできる?お手伝いでも、最初はお運びからでもいいけど」


「料理は家庭料理ならやったことがある。あのうるせえジジイは確かに性格最悪、品性も最悪と来てるが、料理だけは確かだ。この際、技を全部盗ませて貰うとするか」

「あらあら、本当。うれしいわ。あの人もねえ、しょっちゅう寝る、とか言ってサボるから。おネギ切ったり、ショウガ切ったり、そういうのでも」


思わず笑みがこぼれた。
そんなことで金がもらえるとは。

「お安い御用だ。今から入るよ、エプロンは」
「フフ、あるのよ丁度。しまってあったのを洗ったの。さあ、こっちいらっしゃい」


こうして、俺は「なべしま」の厨房に入った。
ジジイと喧嘩しながらも、料理人のプライドだけは捨てない姿に、俺は感心して高校生、現在に至るまで仕事を共にすることになる。


「誰からも愛される」ような人間じゃあとてもない、性悪ギャンブル好きのハゲジジイだが。
曲がったことはしないと思った。




じゃあなんで、この爺さんと、優しいばあちゃんの息子が。
あんな人間に育ったんだか。