Eno.571 みちる

魔女と追う者



 日本のどこか。
 人と建物が無数に蔓延る都会の喧騒に紛れ、薄暗い路地を抜けた先の店。
 店内は異国情緒を漂わせるトルコランプが妖しく輝き、置かれている品物は特段国籍を問わずだが、どれもこれも並べられているのは全て――【箱】だった。

「………」

 こじんまりとしたその雑貨店…ならぬ、【箱】店には、中華風の衣装を身に纏う車椅子の女性が1人いた。同じように白い【箱】を手に取り、大事そうに布巾で拭いている。

「よぉ、魔女サン。こんにちは。」

 そう言って店に入ってきたのは、小さな店舗に似つかわしくない背丈をした男…着崩したシャツとスーツに季節感を問わない黒いコート、丸いレンズのサングラスと首筋まで見える刺青を持った彼は、どう見ても"普通の客"とは形容しがたい。

「………。…あら、あら、これは、これは…」

 そのような風貌をした来客を、"魔女"と呼ばれた女は特に嫌悪感を見せずに対応する。丁寧に、壊れぬようにと【箱】を別の棚へと置いてから、どうぞ、と向かいの席へ手の見えぬ袖を伸ばす。

「いらっしゃいませ、九条張彦はりひこ様。いつも御贔屓いただき、誠にありがとうございます。ただいま従魔に、お茶を淹れさせますね。」
「ああ、茶はいいよ。今日は熱いから、水がいいなー」
「では、冷えた真水を。」

 男は羽織っていたコートを椅子の背にかけてから、黒手袋の手で引き、椅子へと座った。

「最近は、いかがでしょうか。【箱】、お役に立っておりますか?」
「ああ。手軽く運べていいな、輸送もそんな気にせずに済む。…けどよぉ、マル婆の麻薬がどうしても透けちまうんだよ。あれか?お前らの中の"ウィッチルール"ってやつか?」
「ええ、ええ。マルガレータ様お手製の麻薬には、魔女の魔法がかかっております。"魔女の魔法は魔女を通さない"…ので、その効果が適用されているかと。」
「なぁるほど、じゃあ別の手段を考えなきゃいけねぇなぁ…」

 雑談をしている内に、2人の間に水の入ったコップが置かれた。何も雑菌など入っていない、綺麗な綺麗な、透明の水だ。

「…で、どうだ?みちるの様子は。」

 みちるの名が、男の口から出てくる。何も不思議なことではない、彼は彼女の腹違いの兄なのだから。
 女は袖を口元に当て、楽しそうな様子で薄く笑う。

「初めは、ありきたりな人間のように嘆き喚くものかと思いましたが…思いの他、彼女は"出来た"人間のようでして、皆様と同じく、順応していきました。」
「親父と別れた時、まだ赤ん坊だったからな。そっからあかねさんが1人で育ててきたんだ…まぁ空気が読めるイイ子ちゃんになったんだろうな。
 その上、親父の方針で名門の私立学校に通わせろって指示してきたもんだ…苦労はしただろうなぁ相当。」
「しかし、入学には九条が加担したとお聞きしましたが?」
「そりゃ、いいとこに行かせるには金とコネが必要だろうよ。親父も、それが子供に出来る慈善活動か何かだと思っているのかね。」
「まぁ、お優しいこと。」

 それで、と男は続ける。

「みちるは、帰ってくるか?」

 サングラスの下から、射貫かんばかりの視線が突き刺さる。対して、女は涼しい顔で答える。

「帰ってはきます。ただ、条件がつきます。」

 条件、と言葉を繰り返す彼に、女は続ける。

「1つ、齋藤みちるは『貴方達から離れます』。
 九条直彦…今は、"ご不在"でしたね…彼が圧をかけたようですが、シマにいる他漂流者からの諭しにより、彼女は明確に決意しました。」
「だろうなぁ、2つ目は?」
「2つ、齋藤みちるは『陽桜市と"繋がり"ました』。
 これにより、彼女は今までいた世界から離れることになるでしょう。」
「ふーん…具体的な変化は?」
「陽桜市が"認知"されます。世界の紐はとても曖昧ですから、交わることはそう難しくはありません…今回のケースのように。よほどこちらとあちらの摂理がかけ離れていない限りは、張彦様の生活にも支障は出ないかと。」

 からん、からん、と。水の中で氷が泳ぐ。

「3つ目。」
「齋藤みちるは『怪異の"種"を保有しています』。
 シスターベラライヤーという怪異との絆を求めたことにより、彼女はそれを受け入れました。現在、その存在を知る者はごく僅かですが…後に、"何らかの影響"が出ることは確実でしょう。」
「何それ、みちるの腹からエイリアンでも出てくるワケ?笑える。」
「そうかもしれませんし、退魔師…怪異を敵とみなすモノ達から、排除される可能性も有り得ます。九条組は保護いたしますか?」

 袖を口元に当てた女からそう尋ねられ、男は天井を見上げ、椅子の前足を地面から離す。酷く、アンバランスな姿勢だ。

『九条の子は九条の資産』

 ぽつ、と呟く。どちらだろうか。

「"神隠し"の前にうちで回収するし、仮に何かが生まれようが怪異が近付こうが、利用価値があんなら受け入れてやるよ。
 その方が、あんたも面白いだろ?」

 ガタッ、と前足が戻り、男が女を覗けば、彼女は照れた様子で小さく笑う。

「ええ、ええ、【対価】に値するならば、彼女の一生を眺めるのも一興でしょう。」

 それはよかった、と男が両肩を竦めると立ち上がり、背凭れにかけたコートを手に取る。

「みちるが帰ってきたら連絡を入れろ。」
「はい、仰せのままに。張彦様。」

 男が背を向けて、店から出て行く。それを伏した眼で女は見送る。
 再び店に、静寂が訪れたのであった。