RECORD

Eno.58 ミオリッツァの記録

真なる奇跡

 白髪の君、つまるはオレの行使できる文字通りの奇跡に関して記す。いったい誰が見るというのだ……?
 これは光あれと唱えれば光が生じるように、成ったから成ったという原理だ。
 現在は二つ名・異名を消費して使ったり、文字通り自分の身を削って使うことが出来るに留まるが。昔は際限なく使えたといっても誰も信じてくれぬ。
 治癒として用いる場合、たとえ先天性の障害や欠損であってもそれを治癒することが出来る。
 が、一方で自己意識すら定義できない状態の者や可否の判断すらできぬ者相手ではかなりの無理を通すためか、リソースの消費は激しいものとなる。

 クローンやホムンクルスといった人をベースとした生命体に関しても記しておく。
 対象がそうである場合、治癒は簡単である。ただしそれが寿命の延長である場合、そもそも人間にそっくり創造し直すため負担は大きい。できないことはないが。
 また、生命体としての寿命を迎えつつある者の寿命を延ばすことはできない。蘇生や治癒は出来るが、生命力そのものは奇跡によって賄えるものではない。
 この場合可能なことは、怪我や病巣を取り除くことや、緩和ケアを行うことくらいなものである。
 死そのものを克服させるには創造し直すしかない。

 これは便利なようではあるが実際のところ、不便もある。原理もあったものではないが、そういう原理だ。
 この技には、こうだからこうそれだからそれ、という、始点と終点・・・・・しかない。

 術式もなにも、必要がない。
 故に、魔法や呪いなどと違って応用が出来ない。

 この奇跡を用いて魔法や呪いを消し去ることは容易いが、リソースは有限だ。
 また魔法をかけられたり、呪われたりするようなら、まずそちらを解決するべきだ。


 しかし、奇跡でさえ運命には逆らえぬ。