RECORD
Eno.378 カナリア・クリフォード・ディアの記録
令嬢、父を
母の亡くなった後の屋敷は、少しばかり静かだった。
良く聴こえていた歌声も、ピアノの音も、歌う人も引く人も居なくなってしまったのだから。
そうでなくても家族一人がいなくなった屋敷は、寂しさや悲しみに包まれていたのだから、余計に。
「カナリア、ただいま」
それでも父は、いつも通りで在ろうとしてくれたのだろう。
いつも通り――ではある、ものの。
其の実、仕事を終えればなるべく早めに屋敷へと帰ってきてくれて、娘の傍に良く居た。
流石に四六時中そうできるわけではなかったし、朝や昼は本当に信用できると父が判断した使用人と過ごしていたけれど。
ディア家の一人娘であるカナリアを、母をなくした娘を、父である男はできる範囲で、或いはそれ以上に良く気にかけていた。
娘は母を亡くしてから、歌を口ずさむ事がなくなった。
それどころか歌を聴くことすら、特に女性の歌声には過剰に反応して半ば恐慌状態になってしまう。
そうなってからは父も使用人達もそういうものからできる限り距離を取らせ、かつて母と娘とが良く利用していた部屋には近付かせないようにした。
「カナリア」
父が、もう一度娘の名を呼んだ。
娘は少し後にぱたぱたと走り寄って、父に強く抱きつく。
そうして片腕で少女を抱き上げて、ぽんぽん、と背中を撫で叩きながら自室へと向かった。
長い時間。
そのようにして暫く穏やかな時を過ごしていた。
なるべく夕食時には帰宅できるように、それができなくとも夜眠る時には必ず帰宅できるように。
そうして必ず父の寝室で、父娘揃って眠っていた。
効果は、あったのだろう。
塞ぎ込んでいた少女は徐々に笑顔を見せるようになり、時折泣き出す事もあったけれど概ね健やかに時間を重ねる。
転機は。
そんな父親が帰ってこなくなってから。
父の部屋で、寝室で、少女は父親の帰りをずっと待っていた。
だが、父親は帰って来る事はなく、やがて屋敷へ訪れた祖父が、もう二度と会えない事を少女に告げる。
葬式は、屋敷の者達だけで、祖父の指示の元、行われた。
だが漸く立ち直りかけていた少女は、父の死をうまく飲み込めないまま、長い時間をまた過ごすことになる。
二度と父の入ってくる事のない部屋。屋敷。
使用人や祖父にどれだけ何を言われても、いつも通り帰って来るのではないかとずっと部屋で待っていて。
朝まで起きてしまっていては、部屋に入ってくる者に父だろうか、なんて期待を向けて、落胆して。
屋敷の戸が開くたび、期待して、落胆して。
そんな日々を何度も繰り返し、そうして、少女はゆっくりと父が亡くなったという現実を現実として受け止めざるを得なくなる。
そうして少女は、再び塞ぎ込む事になる。
ただ、祖父が両親の分も愛してくれて、教育もしっかりしてくれて。
彼の手腕で家も保たせてくれていて。
そうして少女は、また再び元の明るさを取り戻していく事になるのだが。
部屋で一人で待つ時間に怯えるようになった。
両親が良く褒めてくれて、教えてくれていた事が軒並みほぼできなくなった。
できないまま、それでもできるようにと努力し、学習に取り組み、教育も受けてきたのだけれど。
とうとう年頃になっても多くを成せる事はなく、そんな有り様だったものだから。
「ディア家の絞りカスのような令嬢」といった認識が貴族の間で広まる頃には、当主夫婦の死と、様々な影響と周囲の画策でもう大分家も傾いていて。
そんな家で施せる教育も限界が見えてくる。
何もできない価値なき令嬢の意識は、そうして出来上がった。
その頃からだ。
令嬢が、必要以上に声を張るようになったのは。
それは、祖父を心配させまいと笑顔で前を向き続ける自身への鼓舞と――強がりだ。
良く聴こえていた歌声も、ピアノの音も、歌う人も引く人も居なくなってしまったのだから。
そうでなくても家族一人がいなくなった屋敷は、寂しさや悲しみに包まれていたのだから、余計に。
「カナリア、ただいま」
それでも父は、いつも通りで在ろうとしてくれたのだろう。
いつも通り――ではある、ものの。
其の実、仕事を終えればなるべく早めに屋敷へと帰ってきてくれて、娘の傍に良く居た。
流石に四六時中そうできるわけではなかったし、朝や昼は本当に信用できると父が判断した使用人と過ごしていたけれど。
ディア家の一人娘であるカナリアを、母をなくした娘を、父である男はできる範囲で、或いはそれ以上に良く気にかけていた。
娘は母を亡くしてから、歌を口ずさむ事がなくなった。
それどころか歌を聴くことすら、特に女性の歌声には過剰に反応して半ば恐慌状態になってしまう。
そうなってからは父も使用人達もそういうものからできる限り距離を取らせ、かつて母と娘とが良く利用していた部屋には近付かせないようにした。
「カナリア」
父が、もう一度娘の名を呼んだ。
娘は少し後にぱたぱたと走り寄って、父に強く抱きつく。
そうして片腕で少女を抱き上げて、ぽんぽん、と背中を撫で叩きながら自室へと向かった。
長い時間。
そのようにして暫く穏やかな時を過ごしていた。
なるべく夕食時には帰宅できるように、それができなくとも夜眠る時には必ず帰宅できるように。
そうして必ず父の寝室で、父娘揃って眠っていた。
効果は、あったのだろう。
塞ぎ込んでいた少女は徐々に笑顔を見せるようになり、時折泣き出す事もあったけれど概ね健やかに時間を重ねる。
転機は。
そんな父親が帰ってこなくなってから。
父の部屋で、寝室で、少女は父親の帰りをずっと待っていた。
だが、父親は帰って来る事はなく、やがて屋敷へ訪れた祖父が、もう二度と会えない事を少女に告げる。
葬式は、屋敷の者達だけで、祖父の指示の元、行われた。
だが漸く立ち直りかけていた少女は、父の死をうまく飲み込めないまま、長い時間をまた過ごすことになる。
二度と父の入ってくる事のない部屋。屋敷。
使用人や祖父にどれだけ何を言われても、いつも通り帰って来るのではないかとずっと部屋で待っていて。
朝まで起きてしまっていては、部屋に入ってくる者に父だろうか、なんて期待を向けて、落胆して。
屋敷の戸が開くたび、期待して、落胆して。
そんな日々を何度も繰り返し、そうして、少女はゆっくりと父が亡くなったという現実を現実として受け止めざるを得なくなる。
そうして少女は、再び塞ぎ込む事になる。
ただ、祖父が両親の分も愛してくれて、教育もしっかりしてくれて。
彼の手腕で家も保たせてくれていて。
そうして少女は、また再び元の明るさを取り戻していく事になるのだが。
部屋で一人で待つ時間に怯えるようになった。
両親が良く褒めてくれて、教えてくれていた事が軒並みほぼできなくなった。
できないまま、それでもできるようにと努力し、学習に取り組み、教育も受けてきたのだけれど。
とうとう年頃になっても多くを成せる事はなく、そんな有り様だったものだから。
「ディア家の絞りカスのような令嬢」といった認識が貴族の間で広まる頃には、当主夫婦の死と、様々な影響と周囲の画策でもう大分家も傾いていて。
そんな家で施せる教育も限界が見えてくる。
何もできない価値なき令嬢の意識は、そうして出来上がった。
その頃からだ。
令嬢が、必要以上に声を張るようになったのは。
それは、祖父を心配させまいと笑顔で前を向き続ける自身への鼓舞と――強がりだ。