RECORD

Eno.171 『薬煙』のルイシャの記録

When one door shuts, another opens. 0


 
 体調を崩し、床に伏せる母の姿を何度も見てきた。
 普段は穏やかに微笑んでいる母が苦しそうな呼吸を繰り返し、ベッドの上から一歩も動けず、こちらに対して謝ってばかり。
 そんな母の苦しみを少しでも和らげたくて、少しでも笑顔に戻ってほしくて。
 ――だから、薬をもらってこようと思ったのは、間違ったことだっただろうか。


 今ではわかっている。間違いであったのだと。
 無力で何も知らない子供一人だけでどうにかしようとせず、信頼できる大人――それこそ娼館のオーナー辺りにでも頼ればよかったのだと。
 でも、当時はそれが最善だと思って、母が眠っている間に少しの金銭を持って娼館の敷地内に存在する離れから抜け出した。
 『特別な理由がない限り、離れから出てはならない』という言いつけを破って。
 偶然見つけた抜け道を使って娼館の敷地内からも抜け出して。
 そうしてはじめて一人で向かった町は、ちょうど祭りの時期で賑わっていた。


 目的を果たして、そのまま真っ直ぐ帰ればよかった。
 薬屋はこちらの顔を覚えていた。事情を話したらすんなり薬を渡してくれて、目的は達成できたのだから。
 けれど、はじめて目にする祭りの景色はきらきらしていて、楽しそうな気配に満ちていて。
 自分と同じぐらいに見える年齢の子供たちも、楽しそうに笑っていて。
 ――己の中で渦巻く好奇心に負けた結果、苦く恐ろしい思いをすることになった。


 恐怖に不安。孤独と痛み。向けられた嘲笑に悪意。
 外の世界において、自分のような存在亜種族や混血は立場が低く、虐げられるものなのだという現実。
 『痛い』も『やめろ』も何の意味もなく、逆に向けられる悪意を色濃くするだけ。
 学びたくなかったそれらを学び、味わいたくなかったそれらを味わい、それら全てを自身の歌声で塗りつぶして――支配と蹂躙の甘やかな味を学んだ日。



「――見慣れねぇ坊っちゃんだなァ。拾う気か?」


「ええ、もちろん。意識は……ありそうですね。大丈夫ですよ、私たちはあなたを害する気はありませんから」




 閉じ込められていた小屋から抜け出し、見知らぬ町の中を走り、とっさに逃げ込んだ路地裏の奥。
 当時は原因不明と思っていた急な発熱に苛まれ、一歩も動けなくなっていたとき。
 打ち捨てられてあとは死を待つだけの子猫子供に手を差し伸べる者がいることを知った。





 それが、のちに師として信頼を向けることになる者たちとの出会い。
 光を失っても歩み続ける人間の薬師と、彼女の相棒として隣を歩み続ける獣人族の傭兵との出会いだった。