RECORD

Eno.171 『薬煙』のルイシャの記録

When one door shuts, another opens. 2


 
 ルイシャの二人目の師――戦い方について教えてくれた師は、燻る炎のような人物だ。

 光を失い、視界を失っているはずの薬師を支えている相棒。
 いつも気怠そうにしながらも、ひとたび戦闘に入れば気怠げな気配を消して相手を圧倒する獣人族。
 とにかくルイシャを構い倒してくる薬師とは反対に、こちらは最初ルイシャに対して距離を取り、自身の相棒が見知らぬ子供を拾ったことにもあまり納得していなさそうな様子だった。
 けれど、ルイシャを追い出すことはなく、話しかければちゃんと返事をするし危ないことをすればきちんと止める、そんな不器用な男というのが最初の印象だった。
 それから、自身の相棒の世話をよく焼いている人だとも。

「ルシィ! ×××! 聞いてください! あの薬をより良いものへ改良するための道がようやく見えたんです!
早速可能かどうか試したいので手伝ってくれませんか!」


「よーしよーし、よォくやったなぁ。寝ろ」


 ……という会話とやり取りをはたして何度耳にして、何度目にしたか。


 なお、途中からルイシャも薬師の師の研究に参加するようになったため、

「よーしよォくやった。お前ら二人の研究の成果が出たみてぇで俺も涙が出そうなほどに嬉しいぜ。
とっとと寝ろ馬鹿共がよ」


 ……と言われながらベッドに叩き込まれるようになった。
 同性というのもあってか、わりと容赦なく叩き込まれたのを今でも覚えている。




 彼がルイシャへ戦い方を教えるようになったのは、ルイシャ本人が希望したからだった。
 しかし、彼は最初、ルイシャへ戦い方を教えることにそれほど乗り気ではなかった。
 むしろ面倒だと顔にでかでかと書かれていて、戦い方を少し教えたところでどうなるんだとでも言いたげな目を向けてきて、それが無性に気に食わなかった。
 何度もしつこく強請って、頼んで、ようやく彼の重い腰を上げさせることに成功したときは嬉しかったけれど、戦い方を教わるために提示された条件をクリアするのはとても苦労した。

「条件だ。初撃を防ぐか回避できるようになれ」


「それができねェんじゃ、いつまで経っても戦い方を教えてやることはできねェな」



 直後。
 相手が地を蹴ったと思ったら開いていた距離があっという間に詰められ、次の瞬間には首を押さえられて地面に押し倒されていた。
 何が起きたのかわからなかったし、何をされたのか一瞬理解が追いつかなかった。それぐらい一瞬の出来事だった。
 ルイシャは海の氏族だ。人魚族という海にまつわる氏族。半分は人間という陸の生き物の血も混じっているが、意識は海の氏族のもの。
 水中では上手に立ち回れる身体も陸の上では役に立たない。獣人族ほどの身体能力は持っていない。そんな自分が身体能力に優れた獣人族の一撃を防ぐだなんて、無理がありすぎる。



 ――まあ、だからといって諦める選択肢はなかったのだけれど。



 何度も挑んでは地に倒され、応戦しようとしては反応しきれず。
 それをひたすらに繰り返し、諦めろと言われても反抗して繰り返し続けて――ついに迎えたその瞬間。
 相手の手がこちらの首を捕らえる前に姿勢を落とすことに成功したときはとても嬉しかったし、その瞬間に彼が驚愕を隠しきれない顔をしていたのを目にしたときは本当に気分が良かった。
 今思えば、自分よりも強い相手を打ち負かした際に得られる甘美な味と充足感をあの瞬間に覚えたのかもしれない。
 戦い方を学ぶ条件を満たした、あのとき。支配と蹂躙の味とは異なるものを確かに感じたのだから。




 本格的に戦い方を教えることになると、彼は複数の武器の扱い方をルイシャへ叩き込んだ。
 興味がある武器を好きに選ばせて、その武器の扱い方を徹底的に叩き込む――彼から戦い方を教わるとき、いつだってその流れで鍛錬が進んだ。

 最初はカットラスを選び、剣術を。
 カットラスを扱えるようになったら次は仕込みブーツを選んで、体術を。
 打刀や苗刀を選んでみたときもあったが、そのときも彼はそれぞれの刀に適した振るい方や立ち回りを教えてくれた。
 ルイシャが興味を持って選んだのはどれも彼が普段握っている武器とは異なるものなのに、どうして扱い方を教えることができるのか。
 少しだけ疑問に思って聞いてみたとき、彼は普段どおりの気怠げな声で答えてくれた。

「できるだけ一つの武器に頼らねェようにしてるんだよ」


「……なんで? 一つの武器を極めたら、最強なんじゃねーの?」


「一つの武器を極めんのも有効な手だ。そうやって研ぎ澄まされた一撃は大体の敵を打ち砕く。
けど、その武器が何らかの理由で使えなくなったら? たった一つの武器しか使えねェ場合、そういったアクシデントが発生したときに死を待つことしかできなくなるだろ」


「ぅ……それは……」


「あっさり全てを諦めて、死を待つだけなんてごめんなんでなァ。最後の最期まで足掻いてりゃ、小さな小さな突破口を見つけられるかもしれねェ」


「……もし、見つからなかったら?」


「……ま、そんときゃ腹くくって死を待つしかないだろうなァ」



 そういって紫煙を吐き出して、戦い方も良いことも悪いことも教えてくれた、大きな手で頭を撫でてくれたことを覚えている。
 少し乱暴な手つきで。けれど、どこかくすぐったくなるような――妙な温かさも覚える手つきで。

「ルイシャ。お前も簡単には諦めンなよ」


「最後の最期まで、万策尽きはてて、完全に状況を打開できない。諦めて死を待つしかない状況になって、はじめて諦めることを考えろ」


「そうなる前は、何が何でも足掻け」



 唇をかすかに持ち上げて、緩く笑って、彼はそういったけれど。
 あの瞬間、覚えた違和感は今でもルイシャの胸の奥にぼんやりと残っている。


 だって。
 簡単に諦めるなと口にしたときの彼の目は。
 言葉とは反対に。




 まるで、何かを諦めたかのような。
 そんな無気力な目をしていたのだから。