RECORD
Eno.58 ミオリッツァの記録
道楽日記その18
儂にはすでに起こったことを、なかったことにする力はない。
すでに確定した死を、時を巻き戻してなかったことにすることはできない。
時間は常に何もせずとも進んでいき、何もせずとも身体は、心は、疲れていくものだ。
そうして、ちくたくと時計の音を刻みながら、運命の車輪はぐるぐると回り続ける。
御者台に座る者は、何もせずとも選択を強いられ、選ばぬという選択までもが道となる。
進みたくない、選びたくない、そういう者を多く見てきたが、長く御者台に座っていると分かることもある。
道は実に多様だが、その先の最後はすべて死に繋がっている。
道は無数にあるが、その実、正解や真理などと言うものは存在しない。
常に死は道端の側に転がっているが、それは常に、救いでもなんでもない。
道は常にいくつもある。
一か百か、あるいはゼロか五十か百か。
少しばかり摘みを弄って調節すれば、道はいくらでも見つかる。
死の上を揺蕩うことは高尚ではない。
理性と狂気の膜の狭間で苦しむことは、決して楽ではない。
そも、生きていなければ、そのような考えすらも浮かばぬのだ。
産まれた苦しみを知るがいいという者もいる。
では、産まれた苦しみを知っているのなら、それ以上の苦しみなど早々無いと思わないか。
己の意志と無関係にこの世に産み落とされた苦しみが、本当に苦しみであるのなら、その苦しみをすでに過ぎ去った者としている者が、さらに絶望することがあろうか。
底知れぬ、ということを口にする者もいる。
しかし、底なしの沼にも大海にも底はある。
ただ、暗く澱んで見えぬだけで、己が内面にも底は存在する。
なにせ、よくよく考えれば俺は、それを見たことがあるのだ。
すでに確定した死を、時を巻き戻してなかったことにすることはできない。
時間は常に何もせずとも進んでいき、何もせずとも身体は、心は、疲れていくものだ。
そうして、ちくたくと時計の音を刻みながら、運命の車輪はぐるぐると回り続ける。
御者台に座る者は、何もせずとも選択を強いられ、選ばぬという選択までもが道となる。
進みたくない、選びたくない、そういう者を多く見てきたが、長く御者台に座っていると分かることもある。
道は実に多様だが、その先の最後はすべて死に繋がっている。
道は無数にあるが、その実、正解や真理などと言うものは存在しない。
常に死は道端の側に転がっているが、それは常に、救いでもなんでもない。
道は常にいくつもある。
一か百か、あるいはゼロか五十か百か。
少しばかり摘みを弄って調節すれば、道はいくらでも見つかる。
死の上を揺蕩うことは高尚ではない。
理性と狂気の膜の狭間で苦しむことは、決して楽ではない。
そも、生きていなければ、そのような考えすらも浮かばぬのだ。
産まれた苦しみを知るがいいという者もいる。
では、産まれた苦しみを知っているのなら、それ以上の苦しみなど早々無いと思わないか。
己の意志と無関係にこの世に産み落とされた苦しみが、本当に苦しみであるのなら、その苦しみをすでに過ぎ去った者としている者が、さらに絶望することがあろうか。
底知れぬ、ということを口にする者もいる。
しかし、底なしの沼にも大海にも底はある。
ただ、暗く澱んで見えぬだけで、己が内面にも底は存在する。
なにせ、よくよく考えれば俺は、それを見たことがあるのだ。