RECORD

Eno.58 ミオリッツァの記録

道楽日記その19

連れ合い探しは進まない。進む気もしない。
己の寂しさを埋めるために、誰かを道連れにする行為に折り合いなどつけられるのだろうか。
あるいは、その行為さえどうとも思わぬほどに相手を思う感情が、愛というのだろうか。

………分かりづらいところだ。
こればかりは千差万別の解釈がある。
唯一真実の正解を求める者が多い問いほど、答えの定まらぬ問いはないものな。

もし、星の終わりを超えてなお、俺の隣にいてくれる存在が見つかったら、俺はどうなるのだろう。
きっと恐れから不老不死を始めとした加護と祝福と寵愛を与えてしまうのは、分かっている。
そこから先が、俺にも分からない。ただ穏やかであれるのか、はたまた、溺れてしまうのか。

その点、マネスやノヌムルアは羨ましい妬ましい限りだ。



時に、すべての美徳は欲望と表裏一体だ。
表があり裏があり、矛盾するようで常に同じ。
それが生と死、祝福と呪い、自己犠牲と自己満足。

大いなる循環か、はたまた堂々巡りか。
それは捉え方による。視座による。経験による。
だが、選択は常に責任を伴う。

如何なる信仰においても決定的に変わらないものはなんだろうか。
犠牲を強いて破滅を説く神と、救済と慈悲を説く神に共通するものはなんだろうか。

それは、自己の救済と自己の満足だ。
道徳と倫理を神の教えに投げ渡し、信仰は人の始まりと終わりを示す。
神は試みの始まりと終わりを見て満足する。
そして、神の道に終わりはない・・・・・・・・・・