RECORD
Eno.367 フィリア・バルナルスの記録


海上にてのこと。
時間にして数分だったのだろう。やり残しがあると、シオンがこちらから離れていった。
船の上という海に放り出された状況に冷静でいられるかと問われると、そうではなく。
甲板でめちゃくちゃびくびく震える哀れなウサギちゃんが完成していた。
彼女の世界に造船技術がないわけではない。
海中のモンスターに太刀打ちできる術があまりにも少ないことが、海を渡る技術を乏しくしている要因である。
例えば彼女の住まうスドナセルニア地方(凡そ現在のヨーロッパ)からプロアスタル地方(凡そ現在のアフリカ)へは、
海のモンスターが陸のモンスターよりずっと凶暴なせいで航海は非現実的だとされている。
一方でロメジア地方(凡そ現在の中東アジア)からサルンナ地方(凡そ現在のオーストラリア)へ向かう場合、渡航できる船が出ている。
これは海中のモンスターが討伐しやすく、
獣静信仰が中心になり築き上げられた研究機関の技術力を保有する地方が成せることである。


めちゃくちゃごねた。めちゃくちゃ文句も言った。
そしたら適当にあしらわれながら、不意に手紙を渡された。
碧いシーリングワックス、三本足のカラスの印。
お使いに行ってくれたカラスもそういえば三本足だったな、とは開封時に思ったこと。
目の前で開けようとしたら、死ぬほど恥ずかしそうにされた。
こっちの方が早起きだし、シオンが寝ているときを見計らって読むことにした。
―― 早朝に、封を開けた
初めに枚数を確認して、随分な文字数だなと眉をひそめた。
文字は読めるが、小難しいことは嫌いなもので。シオンからの手紙じゃなければ読まなかっただろう。
あるいは読もうとして、三行目で見事な寝落ちをキメたか。


『まどろっこしいから直接言え』とは思わなかったけど
『まどろっこしいからその回りくどい前置きをどうにかしろ』とは思っちゃったな。
置き手紙一つで拗れて捻じれたことは認めるけれど。
読み進めれば出るわ出るわ自己否定の文章。
凄くない? 自分のことここまで悪く言える?
自己否定が凄いことは知ってるけど最早才能じゃないこれ?

なりたい自分になれたから、フィリアちゃんにはよく分かんないね。
思わず声を出してしまった負の文章の先は、実質ラブレターだった。
可愛く好かれることを目的とした闘争者。
ファンレターやラブレターの類も貰い慣れている。適当に読んでは捨てていた。
そのどれもに「本気」になったことはなかった。
「誰よりも愛している」「君のことしか見ていない」、なんて陳腐な言葉だと思っていた。
どうせ簡単に裏切って捨てるくせに。
強くて可愛いあたしのことしか見ていないくせに。
自分の愛が永劫変わらないなど、傲慢だと思っていた。
同時に、その感情を向けられることが恐ろしかった。
愛なんて、私利私欲に動く感情を美化した表現に過ぎない。
正当化してあらゆる行為を押し付ける。
法を犯すことすら「愛しているから」という言葉で片付ける。
それが、酷く恐ろしいと思っていた。


碧色のピアスが揺れる。
かつて並べられた最悪な三択を思い出していた。
確かに第四の選択をしたけれど、死んだらシオンが後追いすることを選んでしまったとも言える。
自分のいない世界で、屍のように生きて欲しくなかった。
自分がいなければ幸せには生きて行けないと理解してしまった。
だから、やっぱりこれが一番幸せで明るい未来なのだと思う。
今更疑っていない。
これが陳腐な言葉だと思わないし、嘘だとも思わない。
案外人は簡単に掌を返すものだけど、簡単には掌を返さない人もいると知っている。

手紙の返事の代わりは、幸い持ち合わせている。
『甲板で待ってる』と置手紙をして、部屋を出て外へと向かう。
外の世界の残暑の暑いこと。
だけどすん、と鼻を鳴らせば潮風に隠れた微かな秋の訪れ。
日が昇る時間が遅くなってきた。まだ微かに暗い空の下で、水平線を眺めていた。
日が昇る。明るい日を迎える。
紫と黄金が入り混じり、黒く深い波打つ水が照らされて煌めく。
水しぶきと船が進む音に交じり、コン、コンと甲板を蹴る音が聞こえた。
名前を呼ばれて、振り返る。






始まりの予感を感じている。
紫のシオンの花言葉。
時が経つのを忘れて。
幕間:次章の始まり方について

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「マジで海の上をでっけぇ乗り物が進んでるし護衛っぽいやつもいないし何で沈まねぇのか分かんねぇしどう見ても水より重いだろこれ何で浮いてんだよ意味分かんねぇ怖い怖い怖い意味分かんねぇ助けてくれ」
海上にてのこと。
時間にして数分だったのだろう。やり残しがあると、シオンがこちらから離れていった。
船の上という海に放り出された状況に冷静でいられるかと問われると、そうではなく。
甲板でめちゃくちゃびくびく震える哀れなウサギちゃんが完成していた。
彼女の世界に造船技術がないわけではない。
海中のモンスターに太刀打ちできる術があまりにも少ないことが、海を渡る技術を乏しくしている要因である。
例えば彼女の住まうスドナセルニア地方(凡そ現在のヨーロッパ)からプロアスタル地方(凡そ現在のアフリカ)へは、
海のモンスターが陸のモンスターよりずっと凶暴なせいで航海は非現実的だとされている。
一方でロメジア地方(凡そ現在の中東アジア)からサルンナ地方(凡そ現在のオーストラリア)へ向かう場合、渡航できる船が出ている。
これは海中のモンスターが討伐しやすく、
獣静信仰が中心になり築き上げられた研究機関の技術力を保有する地方が成せることである。

「あ! 戻ってきた!
おいマジで一人にすんなよマジで怖ぇんだよ
陸から完全に離れて戻れる距離じゃねぇだろなんかあったらどうすんだよこれなぁおい」

「モンスターは居ねぇって言うけどさ~~~
今んところ確かに大丈夫だけどさ~~~
でもいつ何が起きるか分かんねぇじゃん海ってさぁ~~~」
めちゃくちゃごねた。めちゃくちゃ文句も言った。
そしたら適当にあしらわれながら、不意に手紙を渡された。
碧いシーリングワックス、三本足のカラスの印。
お使いに行ってくれたカラスもそういえば三本足だったな、とは開封時に思ったこと。
目の前で開けようとしたら、死ぬほど恥ずかしそうにされた。
こっちの方が早起きだし、シオンが寝ているときを見計らって読むことにした。
―― 早朝に、封を開けた
初めに枚数を確認して、随分な文字数だなと眉をひそめた。
文字は読めるが、小難しいことは嫌いなもので。シオンからの手紙じゃなければ読まなかっただろう。
あるいは読もうとして、三行目で見事な寝落ちをキメたか。

「…………」

「本題に入るまでが回りくどすぎるし保険が多すぎる」
『まどろっこしいから直接言え』とは思わなかったけど
『まどろっこしいからその回りくどい前置きをどうにかしろ』とは思っちゃったな。
置き手紙一つで拗れて捻じれたことは認めるけれど。
読み進めれば出るわ出るわ自己否定の文章。
凄くない? 自分のことここまで悪く言える?
自己否定が凄いことは知ってるけど最早才能じゃないこれ?

「言ってて悲しくなんねぇのかなこれ……」
なりたい自分になれたから、フィリアちゃんにはよく分かんないね。
思わず声を出してしまった負の文章の先は、実質ラブレターだった。
可愛く好かれることを目的とした闘争者。
ファンレターやラブレターの類も貰い慣れている。適当に読んでは捨てていた。
そのどれもに「本気」になったことはなかった。
「誰よりも愛している」「君のことしか見ていない」、なんて陳腐な言葉だと思っていた。
どうせ簡単に裏切って捨てるくせに。
強くて可愛いあたしのことしか見ていないくせに。
自分の愛が永劫変わらないなど、傲慢だと思っていた。
同時に、その感情を向けられることが恐ろしかった。
愛なんて、私利私欲に動く感情を美化した表現に過ぎない。
正当化してあらゆる行為を押し付ける。
法を犯すことすら「愛しているから」という言葉で片付ける。
それが、酷く恐ろしいと思っていた。

「…………思ってたのになあ」

「こんなにドキドキするようになっちゃった。
ほんとにずるいなぁ、シオンは」
碧色のピアスが揺れる。
かつて並べられた最悪な三択を思い出していた。
確かに第四の選択をしたけれど、死んだらシオンが後追いすることを選んでしまったとも言える。
自分のいない世界で、屍のように生きて欲しくなかった。
自分がいなければ幸せには生きて行けないと理解してしまった。
だから、やっぱりこれが一番幸せで明るい未来なのだと思う。
今更疑っていない。
これが陳腐な言葉だと思わないし、嘘だとも思わない。
案外人は簡単に掌を返すものだけど、簡単には掌を返さない人もいると知っている。

「チケット、1枚でいいって言ったのに2枚押し付けて。
お金を余らせて帰るの勿体ないでしょ」
手紙の返事の代わりは、幸い持ち合わせている。
『甲板で待ってる』と置手紙をして、部屋を出て外へと向かう。
外の世界の残暑の暑いこと。
だけどすん、と鼻を鳴らせば潮風に隠れた微かな秋の訪れ。
日が昇る時間が遅くなってきた。まだ微かに暗い空の下で、水平線を眺めていた。
日が昇る。明るい日を迎える。
紫と黄金が入り混じり、黒く深い波打つ水が照らされて煌めく。
水しぶきと船が進む音に交じり、コン、コンと甲板を蹴る音が聞こえた。
名前を呼ばれて、振り返る。





「――」

「―― おはよう、今日も快晴だよ」
始まりの予感を感じている。
紫のシオンの花言葉。
時が経つのを忘れて。