RECORD

Eno.39 ウィーウムの記録

最後の夜



アルトは、とある砂漠の国の第二王子であった。
母親が異なる兄がおり、兄の母が王の正妻。
よって、一番の王位継承権を持つのはその兄、アウルムである。
ふたりめの妻の子であるアルトは、
王宮に暮らしてはいたが目立つ場に出ることはあまりなかった。
かといって町に出て遊び歩くこともなく、兵士の訓練に混ざったりなど、
王位継承者としてではなく王宮の権力者のひとりとして、
様々な役割を担えるよう学びながら暮らしていた。

兄のアウルムは、優秀な人だった。
アルトとは似ていない立派な角を持ち、
アルトよりもだいぶ年上で見目にも威厳があり、
父である王について重要な場にも出ていて、広く顔を知られていた。
アウルムの王位継承を疑う者は誰もいなかったし、
アルトもそう信じていたひとりだった。
兄とはあまり話したことがなかったが優秀であることは知っていたし、
アウルムが次の王になり……
その次の王は、アウルムの子供だ。それが当然だったから。

王は年老いて、臥せっている事が多くなった。
アウルムは王位継承の時が近づくにつれ徐々に狂っていった。
王になるために、そのためだけにずっと生きてきた彼は、
自身が王になることをよく思わない者たちを、想像の中につくりあげた。
反逆を試みる何者かが、王宮に反感を抱く何者かが、
あるいは──何を考えているのか分からない、腹違いの弟が。
自身を殺すことを企てるかもしれない。
そんなことになったら。

妄想に取りつかれたアウルムは、まず、いちばんに。
自身以外で最も王座に近いアルトを殺すことにした。




静かな夜だった。
アルトは離れの二階の自室で政治について勉強をして、
すっかり遅くなってしまったからもう休もうと、明かりを落として……
暗い部屋で、耳を澄ました。

僅かに違和感があった。昼間からずっと。
誰かが様子を伺っているような、そんな気がしていた。

近頃、アウルムの様子がおかしいと気付いていた。
王になる時期が近づいているから神経質になっているのだろうか。
アルトと同じ、王族にだけ受け継がれる特別な瞳を持つアウルムの、
その視線はいつも以上に冷たかった。
好かれていないのだろうとは、ずっと思っていたけれど。


何かが起こるような予感がして、
それが思い過ごしであることを願いながら。
寝間着には着替えず、上着だけ脱いだ格好で寝台に入った。
手には抜き身のナイフを。
何事もなければそれでよかった。そのまま眠ってしまえば。

しばらく息をひそめていると窓が開いた。
かすかな足音が近づいてきて、寝台の前で止まって。
ほんの少しの、間。
眠っているか確認したかったのか、それとも躊躇したのか。

何かが振り下ろされるするどい音に掛布を翻して、
相手の喉元に刃を突きつけて──
その相手が一瞬怯んだ腕をもういちど振るおうとしたから、
力任せに、その喉を切り裂いた。

とめどなく血が流れて床を汚していく。
倒れているのは、アルトによく似た体躯の男。
貧しい身なりに不釣り合いなぴかぴかの金貨が数枚、男の懐から滑り出て、
広がる赤のなかに転がった。

静かに忍び込めもしない。足音も消せない。
暗殺になんて慣れていない。
体格が似ているから金を掴まされただけの素人、だろう。
殺すのに成功しても、こうして返り討ちにされても、
どちらであっても「アルトが死んだ」ことにできるように。


──部屋の扉に、複数の人間の気配が近づいてくる。
アルトの味方ではない。そして、王宮と無関係の者でも、ない。
それだけははっきりとわかった。
物音を不審に思った召使などであれば、足音や声があるはずで。
部外者であれば、夜中に易々と王宮内に入れないはずだから。

このままここに居るわけにはいかない。


人を殺してしまった恐怖や後悔に震える暇もないまま、
冷え切った手で適当なマントを被り、
血塗れのナイフと僅かな金銭を袋に入れて、訓練用の剣を掴んで。

そうして開いたままの窓から外へ出た。
いつも部屋の中から愛でていた、鮮やかな赤い花を踏みつけて。

──とても静かな夜だった。
きっと、誰も気づかなかった。



次期王の弟が、金品目当ての賊に殺されたと……
或いは、
王の座を狙い兄を殺害しようとした弟が捕まり、殺されたと。
次の朝にはそんな報せが王都に広まったのだろうか。
どちらであったせよ、弟をよく知らない民たちは信じただろう。
王はどう思っただろうか。母は。
……もはや戻れもしない。


第二王子であったアルトは、こうして死んでしまった。
深夜に王都から逃げ出した男はもうアルトではないから、
名が必要なときは "ウィーウム" と名乗ることにした。

自分自身を殺した男は、もう誰でもないけれど。
それでもまだ、"生きている"。


──