RECORD

Eno.566 マリナ・ザ・ストレンジの記録

● 《潮騒の》マリナ・ザ・ストレンジ - 3


凪ぎますね、という言葉には、そうねえという肯定の言葉を返す。
電子機器をわざわざ海辺で使うわけにはいかなかったから、
私はその時読んでいた文庫本をサイドテーブルに置き直した。

モロー博士の島。
バカンスで読むには些か趣味が悪いような気がするけれど、
そんなものでも読んでいないと平和なバカンスに頭が慣れきってしまうから
ふと立ち寄った本屋に並んでいたこれを手に取った。

相変わらず――何があったとしても、私の本の趣味は変わっていないし
人間なんてそう簡単に変われないのね、とほんの少しだけ思う。

「この辺りの人かしらあ?」

彼女は頷いて、ハンモックに揺られる私の隣のデッキチェアに腰を下ろす。
私はサングラスをしたままで、横目で彼女のことをチラリと見やる。

「帆船を待っている人なんて、久しぶりに見たから、つい。
 どんな人なのかなって、気になってしまって。
 ごめんなさい。ご迷惑だったら、言ってもらえると嬉しい。
 わたし、好きなんです。もう、時代遅れになってしまったけど」

彼女の言はご尤もで、今時帆船にわざわざ乗る人なんていない。
乗るのはご機嫌な観光客か、ビーチに潜伏中の小悪党くらい。
私は生憎なことに後者で、故に誰かと自分から話をしたいわけではなかった。

けれど、幸運なことに彼女は現代人にしてはなんだか擦れてないというか、
物を知らなさげで、私のことをご機嫌な観光客だと思っているようだったから
すこし話すくらいならいいか、と思ったのがきっと悪かった。

なんだかんだと、私はカリブ海に浮かぶ、この名もなき島・・・・・での
バカンスを楽しんでいたから、こんなに当たり前のことをすっかり忘れていた。

口は禍のもと。

静かですねと彼女が言ったから、私はそうねえ、と肯定の言葉を返した。

私は、私である以上は目の前の誰が誰であっても構わないと
思っていたから名前を聞くことはしなかった。
名乗る名前のない者が、誰かに名前を問うなんて不自然な話でしょ?

だから、誰でも気付くことのできる違和感に気付くこともなく、
このバミューダで生まれた「怪異」の術中に落ちることになる。

だって、彼女に名前がないなんて――誰からも呪われてない・・・・・・なんて、
そんなの、「いまどき」じゃないでしょう?