RECORD

Eno.171 『薬煙』のルイシャの記録

ある夜の独白

 世界には、自分自身の力ではどうしようもないことで溢れている。

 それは生まれた家だったり、種族だったり、身分だったり――本当にさまざまで、その内容によって、持っている者になるか持っていない者になるか決まってしまう。
 その中でも特に大きいのが『種族』だ。人間、獣人、亜人、いろいろな種族が存在しているが獣人や亜人に生まれてしまえば苦労することはほぼ確定する。
 残念ながら獣人や亜人に対して冷たい目を向ける人間はいるし、獣人や亜人を冷遇する国も存在する。
 さらには、人間至上主義なんて主義主張を掲げる者たちもいるのだから。
 人間なんて少し頭の中に『霧』をかけてやれば――頭の中をぐちゃぐちゃにしてやれば簡単に狂ったり壊れたりする生き物のくせに、何をそんなに優秀ぶっているのやらといった感じだが。

 ルイシャが抱えている『どうしようもないこと』も、主に『種族』だ。
 半分は人間、もう半分は人魚。人魚族である母の下で育てられたため、意識は人魚族としてのものが強いが、純血ではない半端者の人魚。
 獣人や亜人が冷遇されやすく、その血を半分だけ持つ亜人種の混血も同じ苦い経験をしやすい。
 母が幼いルイシャを周囲から隠しながら育ててくれたのは、亜人種との混血だったからというのもあるのだろう――多分だが。

 似たような境遇の者の中では比較的マシなほうかもしれないが、ルイシャは持っていない側の者。
 人間の中にも人魚の中にも混ざれない、娼館という場所で生まれた者。
 さまざまな理由が重なって、主に裏の世界で息をするようになった者。


 ――そんなルイシャにとって、向かった世界の先で出会った少女はとても清いものに見えた。


「……まさか、皇女サマがこんなトコに来てるたァなァ」

 拠点として滞在している宿の一室で、はつり。一人呟く。
 ルイシャ以外の人間がいないその部屋の中に響いた言葉を耳にした者は、声の主以外に存在しない。
 己の手元から白くたなびく紫煙を眺めながら、思い出すのはここに来て早いうちに知り合った同郷の少女の姿だ。

 ルイシャとは反対の、手入れが行き届いているだろう美しい金糸の髪。
 薔薇柘榴石ロードライトガーネットを連想させる、きらきらと輝く紅紫の瞳。
 ――アウルウルフのエトレイシア。人間主義の皇国の、混ざり気一つない純血の人間の皇女。

 情報屋として活動する中で、皇女についての情報はいくつか仕入れていた。
 けれど、身分の問題から直接会ったことはなくて――だから、彼女から名前を聞いたときは内心驚いたものだ。同時についているとも思ったが。
 元の世界にいるときは、まず出会えない相手。そんな相手と出会えただけでも幸運なのに、警戒されずに近づけたのだから、これをついている以外になんと表現すればいい?

 吸い込んだ紫煙を細く吐き出す。
 純粋無垢という言葉が似合いそうな、可憐な少女だった。
 きっと大切に大切に愛でられ、育てられたのだろう。
 告げられた言葉を素直に受け入れ、触れられても警戒を見せなかった様子は、おそらく彼女が安全な場でずっと過ごしていたのだろうことを予測させた。
 初対面の異性から外出の提案をされ、受け入れたことからもそれは予測できる。

 危険のない環境で育てられた、眩しいほどに純粋で真っ白な少女。
 皇国の人間が何を思って彼女をあそこまで純粋に育てたのかわからないが、あれでは誰かに入れ知恵をされて操られてしまいそうだ――と思ってしまうのは、己がこちら側の人間だからだろう。
 まあでも、そんな彼女が護衛や使用人もつけず、たった一人でこんなところに来ているなんて、都合がいい。

 純粋ということは染まりやすいということだ。
 外界からの刺激に。他者の考えに。
 守られているうちは染まりやすい状態であっても問題ないだろうが、一度外に出てしまえばそうはいかない。

 綺麗なものを見て育った皇女に。
 良いものだけでなく悪い知識も与えて、吹き込んで、ぐしゃぐしゃに。
 ――染め上げることができたら、皇国の連中はどんな顔をするだろうか?

「……当分の間は退屈せずに済みそうだなァ」

 唇を軽く舐め、小さな声で呟く。
 そのためにも――まずは約束した、ちょっとした外出を楽しんでもらえるようにしなくては。


 良い思い出を与えてくれる相手になれれば、より警戒されずに接せられるようになるだろう?