RECORD
Eno.270 『血雨』のユーファの記録
髪紐と緑の糸
これが切れたら、そのときはここのことを忘れて、おちびさんの人生を生きるように。
暗殺者としての実力が認められてあの組織を出ることになった日。
ユーファの舌に毒物と解毒薬の味を徹底的に覚え込ませた師は、そういって一本の髪紐を手渡してきた。
長らくユーファの長い髪を一つにまとめてきた、甘やかな色合いをした髪紐。
あの孤児院――の姿をした組織を出た日から、己とともにあり続けた髪紐は、あの心躍る三本勝負の中で切れて失われてしまった。
別に切れてしまったのは構わない。
物はいつか壊れるもの。壊れて形を失い、手元から消えるもの。
あの髪紐を贈ってきた師もいつか切れることを前提としていたし、何よりあの勝負がそうなるほどの激しさと愉しさに満ちたものだったという証明になる。
だから、ユーファはあれを拾って繋ぎ合わせようとは思わなかったし、切れて落ちたそれを置いて闘技場を離れた。
ちょっとした問題があるとしたら。
長らく使っていただけに、かわりになる髪紐を用意していなかったという点だけだ。
「……こんなものでしょうか」
無言で糸と糸を絡め合わせ、編んでいた手を止める。
糸をフラウィウスの町の店で購入してきて、作り始めてからはたしてどれくらいの時間が経っていたのか――ちらりと見た時計の針は、作業を始めた頃よりもうんと先を示していた。
それほど長く集中していたのかと自分自身の集中力に驚きながら、ユーファは浅く息を吐く。
ただの二色の糸だったそれは、ユーファの手によって一本の編み紐に姿を変えた。
幼い頃、まだ母が生きていた頃。使えなくなった布切れを解いて、糸に変えて、作ってくれた編み紐――またそれを作る日が来るとは思わなかった。
あの頃は遊びの一つとして教えてもらったが、こうして次の髪紐を作ることができたから教えてもらっておいて正解だった。
とはいえ、ただの編み紐で耐久性には不安が残るから、早いうちにきちんとした髪紐を見つけて購入しておかないといけないだろうが。
「……作るのは久々でしたが……まだ手が編み方を覚えていてよかった」
己の手によって編み紐に姿を変えた糸を、目線の高さまで持ち上げる。
わずかな青みを感じさせる緑と、それよりも明るく柔らかな色合いをした緑。
爽やかさを感じさせる色合いをした緑色の編み紐は、前に身に着けていた甘やかな色合いの髪紐とはまた異なる雰囲気を持っている。
普段はあまり身に付けない色だが、店頭でこの糸を見て――気づけば手にとっていた。
多分、いやきっと、この色を見たときにあの目を思い出してしまったからだろう。
「……。……新しい髪紐も、緑かそれに近い色のものにしましょうか……」
見つめる先で、部屋の照明を受けた編み紐がゆらゆら揺れている。
これまで守ってきた諦観の生き方と、深く根付いて葉を伸ばし、蕾をつけつつある欲の間で揺れる心のように。
――おちびさんを縛る紐も首輪も、もうどこにもないんだから。
おちびさんの心のままに生きていいって言ってんのに。
今はこの場にいない師が、けらけら笑いながらそういったのが聞こえた気がした。
暗殺者としての実力が認められてあの組織を出ることになった日。
ユーファの舌に毒物と解毒薬の味を徹底的に覚え込ませた師は、そういって一本の髪紐を手渡してきた。
長らくユーファの長い髪を一つにまとめてきた、甘やかな色合いをした髪紐。
あの孤児院――の姿をした組織を出た日から、己とともにあり続けた髪紐は、あの心躍る三本勝負の中で切れて失われてしまった。
別に切れてしまったのは構わない。
物はいつか壊れるもの。壊れて形を失い、手元から消えるもの。
あの髪紐を贈ってきた師もいつか切れることを前提としていたし、何よりあの勝負がそうなるほどの激しさと愉しさに満ちたものだったという証明になる。
だから、ユーファはあれを拾って繋ぎ合わせようとは思わなかったし、切れて落ちたそれを置いて闘技場を離れた。
ちょっとした問題があるとしたら。
長らく使っていただけに、かわりになる髪紐を用意していなかったという点だけだ。
「……こんなものでしょうか」
無言で糸と糸を絡め合わせ、編んでいた手を止める。
糸をフラウィウスの町の店で購入してきて、作り始めてからはたしてどれくらいの時間が経っていたのか――ちらりと見た時計の針は、作業を始めた頃よりもうんと先を示していた。
それほど長く集中していたのかと自分自身の集中力に驚きながら、ユーファは浅く息を吐く。
ただの二色の糸だったそれは、ユーファの手によって一本の編み紐に姿を変えた。
幼い頃、まだ母が生きていた頃。使えなくなった布切れを解いて、糸に変えて、作ってくれた編み紐――またそれを作る日が来るとは思わなかった。
あの頃は遊びの一つとして教えてもらったが、こうして次の髪紐を作ることができたから教えてもらっておいて正解だった。
とはいえ、ただの編み紐で耐久性には不安が残るから、早いうちにきちんとした髪紐を見つけて購入しておかないといけないだろうが。
「……作るのは久々でしたが……まだ手が編み方を覚えていてよかった」
己の手によって編み紐に姿を変えた糸を、目線の高さまで持ち上げる。
わずかな青みを感じさせる緑と、それよりも明るく柔らかな色合いをした緑。
爽やかさを感じさせる色合いをした緑色の編み紐は、前に身に着けていた甘やかな色合いの髪紐とはまた異なる雰囲気を持っている。
普段はあまり身に付けない色だが、店頭でこの糸を見て――気づけば手にとっていた。
多分、いやきっと、この色を見たときにあの目を思い出してしまったからだろう。
「……。……新しい髪紐も、緑かそれに近い色のものにしましょうか……」
見つめる先で、部屋の照明を受けた編み紐がゆらゆら揺れている。
これまで守ってきた諦観の生き方と、深く根付いて葉を伸ばし、蕾をつけつつある欲の間で揺れる心のように。
――おちびさんを縛る紐も首輪も、もうどこにもないんだから。
おちびさんの心のままに生きていいって言ってんのに。
今はこの場にいない師が、けらけら笑いながらそういったのが聞こえた気がした。