RECORD
Eno.103 ベンケイの記録







”ベンケイ”

ベンケイ
「―― 喧嘩が強ければ。力が強ければ。
それこそが、"強い"。
そう思っていた時期が、拙者にもございました。
拙者、体が巨躯でありましょう?其れ故でござります」

ベンケイ
「しかし、自然にどうして喧嘩が勝てましょうか。
雨風雷――……それらは腕も脚も届くことは無きでござります。
……詰まる所、拙者は気付きを得たのです」

ベンケイ
「強さとは、"力強さ"だけではないのだと。
知恵を、……多くを知り得なければ、打破出来ぬこともあるのだと。
当然であり、当たり前ではござりまするが……」

ベンケイ
「それが、"未熟であった拙者"でござりまする。
気付きを得たのはここ数年の内。
まだまだ、歩みは牛歩の如く。
なにせ喧嘩に塗れていた小童でござりまする。
それこそ、持つ知見など握り拳の如く握り飯の如く」

ベンケイ
「故に、……此度の教えは、誠充実したモノでござりました。
ええ、ええ……誠に。有難き事でございました。
此度の教え、これからも研ぎ澄ませる所存でございまする」

ベンケイ
「我が歩み、未だ未熟の極み。
これより先も、世を踏まえ、己を踏まえ。
一分一秒、瞬きの最中であっても。
"己"から遠退くことなく、歩みましょうとも」

ベンケイ―― 即ち、" 弁慶 "。
弁を慶するとは、言の葉の交叉を喜ばしく想うことを意味する。
力による圧制では無く、弁による交叉を求める意志の表れ。
その道筋は、未だ長く険しい。
されど、その歩みとは止まる事無く続いて往くだろう。