RECORD
Eno.270 『血雨』のユーファの記録
母の夢
――ユーファ、ユーファ。忘れてはいけませんよ。
この歌は我ら竜族の間に伝わる歌。この人ならと決めた友や番に送る歌。
お前がこの歌を覚えている限り、命が絶えても母はお前の中で生き続けるのですから。
ええ、ええ。覚えております、お母様。
あの掃き溜めのような町で、わたくしに聴かせてくださったその歌を。
あなた様がどのような顔をしていたのかもはっきり思い出せるくらいに、鮮明に。
――ユーファ、ユーファ。よく聞きなさい。
あの人間たちが私たちに何をしたのか、決して忘れてはなりません。
奴らの存在を決して許してはなりませんよ。
あの者たちは敵。人間たちは敵。討ち滅ぼすべき、私たちの敵なのですから。
ええ、ええ。忘れてはおりません、お母様。
わたくしもあの者たちの行いを許す気はなく、奴らが報いを受けた今も許す気はございません。
ですが、お母様。
人間全てを敵だと認識するのは、本当に正しいことなのでしょうか。
わたくしたちは、本当に今のままでいいのでしょうか。
………………✿❀✿………………
「――……」
母の夢を見た。
伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げ、少しずつ見慣れてきた天井をぼんやり見つめる。
夢の中で聞いた声を脳内でもう一度再生しながら、ユーファはゆるりとした動きでベッドを離れ、水場へ向かう。
よく冷えた水をばしゃりと頭から被り、続いて顔も洗えば、眠りから覚めたばかりでぼんやりしていた意識がしっかりと戻ってきた。
母の夢を見るのは、今回がはじめてではない。
まだ幼かった頃、見世物小屋の籠の中にいた頃、暗殺者としての教育を受けていた頃、はじめて暗殺者として仕事をした頃、傭兵としてはじめて戦場に立った頃――。
眠るときに現れる母の幻影は、これまでも何度かユーファに同じ言葉を囁いた。
竜族の繋がりとなるものを忘れるな。
自分たちを迫害し、虐げ、消費するものとして扱った人間を許すな。
夢に現れる母は決まってその言葉を繰り返していて――ここしばらく見ていなかった彼女の幻影を再び見たのは、ユーファがこの地で人間と出会ったからだろう。
冷水で濡れた髪を乾かし、いつもの装束へ着替えながら、思い出すのはここで出会った人間の姿だ。
亜人である自分に冷たい目を向けず、優しい言葉を向けてくれた――ユーファにとって限りなく理想に近い国を治める人間。
はじめて竜種亜人である自分と出会っても恐れることなく、ともに酒を酌み交わしてくれた――神の教えを口にした人間。
心躍る時間をともにし、己を友人と呼んで友となってくれた――鋭き刃を持つ優しく可憐な人間。
ここ、フラウィウスに来てから出会ってきた人間たちはユーファが主に目にしてきた人間よりも眩しいほどに優しくて、暖かい。
……だから、戸惑ってしまう。
人間全てが敵というわけではないのではと思ってしまう。
少なくとも、彼ら彼女らは、敵ではないのではと。
母から受け継いだ言葉を抱え続けるのは、好ましくないのではないかと。
……そんな考えが、心の奥に浮かんでしまう。
「……忘れましょう。……迷いは、剣を鈍らせる」
ふる、と一人で首を左右に振り、言い聞かせる。
答えの出ない思考を続けても意味はない。己の刃を鈍らせるだけだ。
今の自分は剣闘士――舞だけでなく戦いで日銭を稼ぐ身、自ら刃を鈍らせるのは好ましいことではない。
軽く自分の頬を叩き、立てかけていた傘を手に取る。
今日も試合の場に立ち、戦いの中に我が身を置くために。
――答えの出ない迷いを、心の奥底に隠して。
この歌は我ら竜族の間に伝わる歌。この人ならと決めた友や番に送る歌。
お前がこの歌を覚えている限り、命が絶えても母はお前の中で生き続けるのですから。
ええ、ええ。覚えております、お母様。
あの掃き溜めのような町で、わたくしに聴かせてくださったその歌を。
あなた様がどのような顔をしていたのかもはっきり思い出せるくらいに、鮮明に。
――ユーファ、ユーファ。よく聞きなさい。
あの人間たちが私たちに何をしたのか、決して忘れてはなりません。
奴らの存在を決して許してはなりませんよ。
あの者たちは敵。人間たちは敵。討ち滅ぼすべき、私たちの敵なのですから。
ええ、ええ。忘れてはおりません、お母様。
わたくしもあの者たちの行いを許す気はなく、奴らが報いを受けた今も許す気はございません。
ですが、お母様。
人間全てを敵だと認識するのは、本当に正しいことなのでしょうか。
わたくしたちは、本当に今のままでいいのでしょうか。
………………✿❀✿………………
「――……」
母の夢を見た。
伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げ、少しずつ見慣れてきた天井をぼんやり見つめる。
夢の中で聞いた声を脳内でもう一度再生しながら、ユーファはゆるりとした動きでベッドを離れ、水場へ向かう。
よく冷えた水をばしゃりと頭から被り、続いて顔も洗えば、眠りから覚めたばかりでぼんやりしていた意識がしっかりと戻ってきた。
母の夢を見るのは、今回がはじめてではない。
まだ幼かった頃、見世物小屋の籠の中にいた頃、暗殺者としての教育を受けていた頃、はじめて暗殺者として仕事をした頃、傭兵としてはじめて戦場に立った頃――。
眠るときに現れる母の幻影は、これまでも何度かユーファに同じ言葉を囁いた。
竜族の繋がりとなるものを忘れるな。
自分たちを迫害し、虐げ、消費するものとして扱った人間を許すな。
夢に現れる母は決まってその言葉を繰り返していて――ここしばらく見ていなかった彼女の幻影を再び見たのは、ユーファがこの地で人間と出会ったからだろう。
冷水で濡れた髪を乾かし、いつもの装束へ着替えながら、思い出すのはここで出会った人間の姿だ。
亜人である自分に冷たい目を向けず、優しい言葉を向けてくれた――ユーファにとって限りなく理想に近い国を治める人間。
はじめて竜種亜人である自分と出会っても恐れることなく、ともに酒を酌み交わしてくれた――神の教えを口にした人間。
心躍る時間をともにし、己を友人と呼んで友となってくれた――鋭き刃を持つ優しく可憐な人間。
ここ、フラウィウスに来てから出会ってきた人間たちはユーファが主に目にしてきた人間よりも眩しいほどに優しくて、暖かい。
……だから、戸惑ってしまう。
人間全てが敵というわけではないのではと思ってしまう。
少なくとも、彼ら彼女らは、敵ではないのではと。
母から受け継いだ言葉を抱え続けるのは、好ましくないのではないかと。
……そんな考えが、心の奥に浮かんでしまう。
「……忘れましょう。……迷いは、剣を鈍らせる」
ふる、と一人で首を左右に振り、言い聞かせる。
答えの出ない思考を続けても意味はない。己の刃を鈍らせるだけだ。
今の自分は剣闘士――舞だけでなく戦いで日銭を稼ぐ身、自ら刃を鈍らせるのは好ましいことではない。
軽く自分の頬を叩き、立てかけていた傘を手に取る。
今日も試合の場に立ち、戦いの中に我が身を置くために。
――答えの出ない迷いを、心の奥底に隠して。