RECORD

Eno.76 ニアの記録

みつめる

 
波の音。
背中にはごつごつとした岩の感触。
ヴェールが揺れる。星の無い空に翻る極光。
自分のそれを身に着けたあなたがこちらを見ている。

求められる誓い。嗚呼、早く答えなきゃ。
そう。しっかりとあなたの息を吸って
心の中まで満たして、その深海に似た目を見つめて


見つめ、て──?


あれ。どうして見えてるんだろう。
太陽も月も全部あげちゃったはずなのに。

それにどうしてニアの前に佇んでるの?
だって。あなたはあの人ともう、しあわせな旅に。
それなのに。あの時と同じ海でこっちを向いて



「だめなの、シュガーレス。あなたが見るべきは──」



幸福。混乱。焦燥。恐怖。移ろいゆくこころ。
自分の口から紡がれる言葉に甘さなんて何処にもなくて。



冷え切った深海色の瞳が段々と色を失っていく。
底冷えするような冷気が心を支配していく。

あなたの瞳が同じ色に近づいていく。
深みへ沈む。自分の真下に穴がぽっかり空いて
光すらも届かぬ奈落へ堕ちる。

見放される気がした。
溺れてしまったように息が出来なくなる。
辛い。苦い。苦しい。くるしい。クルシイ。



それでも。





穴の奥底に身体が衝突する感覚。
意外にも柔らかなそれに身が打ち付けられれば、
詰まった息が塊になって吐き出された。

身を起こせばそこは月の宮殿。
天蓋付きの、一人には広すぎるベッドの上。
見えなくなってしまった世界を認識して、漸く。


「……夢?」



先程までのそれに結論を付ける。
あなたも、海も、何処にもないからきっと正しい。

でも感じる温度は真夜中のものだから。
どうして目覚めたのだろう、と首を傾げて。


「ぅ あ゛ ──っ!?



再びベッドに縫い付けられる。痛い。頭に手が伸びる。
でもそれは身体じゃなくて心の奥を刺す何か。
それを産むのは、産んでいたのは──


「こ……れ は  あの、こ……の?」



外から流れ込んでくる痛み。
何があったのかまでは分からなかったけれど、
夢の中で感じたこころは、きっと。
今この瞬間、あなたが感じているもので。

なら。この昏い心に寄り添えなくて一体何が愛だというのだ。
そう思えば身体は勝手に動き出していた。


──すぐ傍のたからものをそっと手に取る。
息は苦しいけど、胸は痛いけど、気にしてられないよ。



手元にそっと一吹きして、息を吸う 吐く すって はいて すって はいて
辺りに広がる世界を遮断する。何よりも強くあなたの姿だけを想う。

出来るだけ早く、出来るだけ深く。
出来なくて不可能でもあの人より強く、強く、祈る。

自分の苦しみなんてどうでもいい。
だってこの苦いこころが流れ込んでくるこの瞬間、
あなたは自分よりもっと深い場所で、きっと一人だろうから。


 Y la Yl…… a



両の手を互いに握る。あなたから貰った歌を必死に歌う。
整わないままの息では途切れ途切れの旋律しか紡げないけれど
これは今でなければ意味のないものだから。

祈る。信じる。愛するあなたの事だけでこころを染める。
振り向いてくれなくたって良い。

あなたが生まれ変わってもう一度あの人を選んでも
それで構わない。願うのはいつだってあなたのしあわせだけ。
歩むための甘さが足りなくなったのなら、それは自分が継ぎ足せば良い。

もう、それしかできない。けどそれだけで十分だ。
あなたを想い続けられる限りわたしはわたしを生きている。

離れていても、あなたと同じ時間を生きられる。
例え最後に残されて一人になるのだとしても幸福に変わりはない。
こころの底からそう信じられる。あなたが居るお蔭で。



( だから とどいて どうか )



魂に融けた無形の瞳でじっとあなたを見つめる。
それが本当に望んでるものあの人からの視線でなくても、
あなたが少しでも良い黎明を迎えられますようにと。

熱烈に想う。ことばになる前の純粋な感情も真っ直ぐに。
そうすればその欠片くらいは届くはずと信じて。

甘くなくてシュガーレスでいい

苦い所も全部あなたの味だからそのままでいいよ わたしのまえでは

わたしは ニアは それもあいし見つめてるから


……痛みが薄れていく

もう大丈夫かもしれないけれど

まだ朝は遠いから、それまで祈り続けていよう


あなたが夢でも苦しまないよう。








──そんな、夜の一幕。
秘密の祈りは未来永劫あなたのためだけに。