RECORD

Eno.1066 水底しずねの記録

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海という言葉はよく広大な空間を指す時に使われる──火の海、本の海、人の海。
それに対して、同じく無尽のスペースを持つ空はあまりそういった喩えに使われる例を知らない。
たとえば秋のある日、私たちが地面いっぱいに敷き詰められた落ち葉を見たとして、
落ち葉の海と表現するのはありふれているが、落ち葉の空とはあまり言わないだろう。

単純な位置関係もあるのかもしれない。
先の例だったら、落ち葉があるのが地面だからこそ、空ではなく海という言葉があてられるのだと。
人だって両の足で地に立っているし、本も同じように床や机に隙間なく埋め尽くされるものだろう。
(人間が空を飛ぶようになれば、人の空、という言葉が一般的になるのかもしれないけれど。これはまあいいか)

けれど私が思うに、海と空という二つの言葉の間には明確な差異がある。
それは、海の広さがこの星という筺に限られていて、宇宙という空は未だにその全景を掴めていないこと。
現代科学の物差しによって、海はどこかに終わりがあるのだということは明確にされている。

つまるところ、人は海というワードで何かを表現する時、気の遠くなるような距離とともに、その終点を見つめているのではないだろうか。


「だとすれば、私が見つめる夢の海にも、終わりがあるのかもしれないね。
無限遠の彼方に行き止まりがあるのか、重力の誘いの果てに地の底へ着くのか。
……それが見えた時、私は」

「『何もかもがあきらかで、それでも歩き出せる人でいたい』」

「かな」