RECORD

Eno.102 不明門通 辰巳の記録

【日記07】螺千城の話---累卵之危03




「次はどこへ?」
「死骸地へ」
「市街地?」
「そっちじゃない」

どっちなんだと思ったが、同音異義語のそれがどう書くのか聞いたところで今後文字に起こす機会も訪れなさそうなので大人しく黙っておいた。
来た道を戻って堝々を抜け、若旦那はシガイチの近くまで来る。
甘辛い何かを煮つけるような、こうばしい匂い。パチパチと油をくぐらせる音。
縁日なのかと聞くと、若旦那はこの辺はいつもこんな感じだと言った。螺千城の中でもかなりの賑わいを見せているエリアのようだ。
扉が開けっぱなしの飲食店から「おぅい」と声をかける者がいた。無論人間ではなくばけもの……怪奇である。

「若旦那ぁ~! 若旦那じゃねぇのぉ!」
「よう」
「寄ってけよぉ、良い肉を仕入れたんだよぉ。今仲間内で捌いてっからさぁ」
「先客が居るんだ。用事を済ませてからにしたい」
「もしかして御研草子のこと? 来てるぜ~、なおさら寄ってけよぉ」

ひょこ、と若旦那が店の中を覗いてお目当ての人物を見つけたのか「それなら」と言った。
声の主が若旦那を招き入れようとして、曇り硝子の向こうから顔を出す。ばちりとこちらと目が合った。
自分の目が二つなのに対して向こうは三つ目があったから、一つは鼻筋のあたりを見ていたかもしれない。
ひょろりと長い紐のような先端に三つの目。発声器官はどこについているのだろう。と思った瞬間ぱかりと頭頂部が広がって声が発せられた。

「あれー! 人間がいるじゃぁん。若旦那がお連れさんなんて珍しぃね」
「入れていいか」
「いいよぉもちろん入って入って。あっでも肉は出せねぇかぁ! どうしよぉ~人間が食える奴あったかなぁ」
「お、お構いなく……」

引き攣った声でやんわりと拒否しておく。何を食べさせられるか分かったものではない。
店の中は怪奇でごったがえしていた。狭いカウンターに何人かうすぼんやりとした影の膜のような者が座っている。
みな一様に酒を呷っているのか、アルコールの強い匂いがぷんと漂ってきた。
壁には酒瓶が所狭しと並んでいる。漢字としては認識できるのに、なんと読むのかてんで分からないラベルの貼られた瓶ばかりだ。
怪奇の世界にも同様にボトルキープ文化があるんだな、と漠然と思った。
若旦那はどうみても成人にはあと幾許か足りなさそうで、小声で疑問を聞いてみる。

「若旦那、未成年じゃないのか?」
「今日は飲まないよ」
「えー! たまにゃ飲んでけよぉ」

たまになら飲んでるのか。
店主をすげなく無視して、若旦那は奥の席に座っていた怪奇に声をかけた。仮面をつけた老人のようなそいつはしわがれた声で返事をする。

「御研草子の爺さん、これ。頼まれていた夜だ」
「おお、手に入ったか。これはありがたい。あの嬢ちゃんの店は老骨にゃ遠くてね」

どうやら夜を購入した目的のうちの一つが、この老人に渡すためだったらしい。
気になった風に見ていた自分に気づいたのか老人が説明してくれた。

「ちぃと前に酒盛りした馬鹿どもが屋根を割っちまってな。おかげで眩しくて寝られやせんのよ」
「目に垂らして使うんだと。なあ爺さん、屋根直したほうが早くないか」
「坊がやってくれるかね」
「鬼六の旦那に言ってくれ」

夜の使い方も多岐に渡るらしい。
雰囲気を楽しむ嗜好品としてだけでなく、実用的な使い方もするようだ。

「あと二瓶は?」
「夜桜したい奴らがいる。酒の口実に使うんだそうだ。もう一つは近所の奴に」
「酒ばっかりだな……」
「螺千城じゃ代表的な娯楽だからねぇ。酒とつまみと菓子、喧嘩と賭博と、すこぉし値が張るけど夜。みぃんな大好きさ」

にゅる、と店主が会話に混ざって来る。手には何かのお通しらしい小皿と、それから陶器の徳利と御猪口が二つ握られていた。

「飲まないって言っただろ」
「ちがうよぉ、白湯! 容れ物がこれしかなかったの!」
「どうだかな……」

とっとっと、と注がれたそれに先に若旦那が口をつけて「ああ白湯だ」と言った。ひとくちふたくちで終わってしまう量を自分もご馳走になる。
飲むとすぐにまた脇から注がれた。わんこ白湯だ。
若旦那は店の連中ともそれなりに親しいのか、かわるがわるに声をかけられている。店主の様子からしてかなり馴染みの店らしい。
耳を傾けていると他卓とカウンターそれぞれで混線する会話があちこちから聞こえて来た。

「昨日、みかまりのみちで猴嶺王を見たよ」
「彼ってば神出鬼没だねえ相変わらず。おとついは確かどんがら横丁に居なかったかい」
「店主、上野焼酎一つ」
「やめなよぉ飲み過ぎだってぇ。水にしときなぁ」
「そういや若旦那、ババは息災かね」
「ねね婆のことか。元気だよ」
「あのバァさんったらまだ生きてんのぉ!?」
「人間って意外としぶといんだなあ」
「しぶといはやめろしぶといは。したたかって言え」
「上野焼酎一つ」
「はぁい水ね、只今ぁ。若旦那、お通し食べないの」
「いらない」
「それ■肉だよ■肉。滅多に出回らないんだよ」
「■肉はちょっとなあ」
「■肉って人間食えないんじゃないっけ?」
「そうだったっけ?」

若旦那がちらとこちらの小皿の中身を覗き込んだ。一応■肉とやらではなかったのか、フイと視線が外される。
おそるおそる口に運ぶと、なにがしかの肉料理の味がした。
独特の野性味のある肉にしっかりと下味がつけられ、薬膳料理のような香味があった。記憶のそれとばちりとハマる味。馬肉だ。

「……おいしい」
「でしょぉ。人間は■肉は無理でもこれなら食えるって前に教えて貰ったんだぁ」

店主が水がなみなみと注がれたバケツを運びながら、得意気な顔をして言う。実際は表情がよくわからないので得意気かどうかは声色の判断だ。
店主はそのまま爪楊枝で■肉をすくい上げ、若旦那の口に持って行った。
溜息をついて若旦那がそれを頬張るので、人間は食べられない云々の話はどうしたのかと聞けずじまいになってしまう。大丈夫なんだろうか。
モチャモチャと噛みあぐねているそれを時間をかけて咀嚼して、若旦那はコクリと喉を動かした。

「これ生焼けじゃないか」
「■肉は炙り刺身で食うのが通の食い方だよぉ。ユッケユッケ!」
「さいで。……そういや電話を借りたいんだが」
「別にいいけども。若旦那ぁ、直すなり買い揃えるなりしないのかい。おたくんとこのやつは壊れてから随分経ってるでしょ。最新鋭の電話探しに行かない?」
「螺電通りで動く奴見つけるよりもここを借りた方が早い」
「おーい、若旦那が来てるって本当かぁ?」

す、と若旦那が奥に行こうとして、しかし表から別の誰かの声がかかる。
呼び止められて顔を上げ、若旦那はそのまま店を出て、しかしひょこりと浅葱色の頭だけ覗かせた。

「悪い、美袋。そこの電話で四四六九でかけてくれないか。どうせあすこの爺さんは一回や二回で電話に出ないから。先にやっといてくれ」
「え、ちょっ」

呼び止める間もなく若旦那は頭を引っ込めてしまった。
目の前には壁掛け電話。知識としては見た事はあるものの、実物はもちろん触ったことは無い。
その見たのだって、多足猫のバスに乗るずんぐりむっくりとしたオバケがでてくるアニメーション映画に、ほんのワンシーンだけ出て来ただけだ。
上にゴングのようなベルが二つ。側面にあるのはおそらく受話器。中央にマイクらしき部品。その下に数値の書かれた輪があった。
昭和の頃に普及した電話だ。平成生まれには使用方法がさすがに分からなかった。
四四六九だってどうかければいいのか分からない。
受話器をゆっくりと持ち上げて耳にあてながら、試しに最初の四を押してみたが。
残念ながらボタンは特に沈み込む様子を見せなかった。どうやって電話をかけるんだこれは。
あの女の子はどうやって病院の母の容態を父に伝えたのだったか。
ぐっと人差し指でもう一度四を押す。ボタンは沈まない。

「な、なあ若旦───、」
「若旦那、それで来月の水神御納戸の番なんだがよ。そろそろ路地も汚れて来たし、雨で一回流さねえか」
「それは回覧板で一回飛ばすって話になってなかったか? 四軒先の東雲蝸牛が法事だとかで、螺千城の外に行くから。アイツの家は濡れると困るだろ」
「あれぇ、読み飛ばしたかね。ああいや、確かにそんなこと書いてあったな。すまんすまん」

ヘルプを出そうとしても若旦那は話し込んでいるらしく、店の外から微かに声が聞こえるだけだった。再度四を押す。やはりボタンは沈まない。
ここはもう諦めようかと思っていると、どぅるん、と水気を纏った半透明の腕が伸びて来た。

「うわっ!」
「ンーン」

唸り声とも呻き声ともとれる、喉奥で鳴らしたような低い声だった。
怪奇のどぅるどぅるとした腕がぴとりと受話器を指してから、ボタンの位置まで這って行く。
そのままジーコジーコと回して見せた。ああこれ押すんじゃなくて回すのかとようやく得心いく。
四、四、まで回したところで腕は引っ込んだ。あとは自分でできるだろう、と言外に言われた気がして慌てて頭を下げる。

「あ、ありがとう……!」
「ン」

残りの六九を回しながら礼を言えば。腕は礼には及ばないと示したかったのか、ただただ水気を飛ばしたかったのか、緩慢に左右に揺れていた。
しかし呼び出し音がかかってもなかなか電話がかからない。ツー、ツー、と途中で切れた音がする。
若旦那曰く、たしか何度かやらないと応答してくれないのだったか。
四四六九をもう一度回しているとようやく若旦那が戻ってきた。

「悪い、代わる。電話の掛け方教えてなかったけど、美袋は知ってたか」
「いや知らなかった。助けて貰ったんだ」
「へぇ」

向こうに、と助けてくれた怪奇を探そうとして、しかし似たような怪奇がカウンターにぎっしり居るから誰に助けて貰ったのかもう見分けがつかなかった。礼は言ったのでよしとしよう。
結局二度かけた程度では繋がらず、若旦那は次の一回で繋がったらしい電話でしばらくのあいだ話し込んでいた。

「アザーサイドコロニストの不明門通だ。ああ、うん……爺さん、いい加減一回で電話出てくれないか」
「どうせ麻雀でも打ってたんだろ」
「おかげでツモったじゃねえんだよ。ねね婆に言いつけるぞ」

アザーサイドコロニスト。自分がここに迷い込んでから若旦那が言っていたワードだ。
colonistは英単語で、新たな土地に定住し、その地を開拓する人々を指す。コロニーを形成する、新天地開拓者達のこと。
ではアザーサイドは何だろう。Other sideを直訳するなら反対側、向こう側。裏世界を指示しているのだろうか。意訳するのなら死後の世界、幽世だ。

「ああ、人間が螺千城に迷い込んだ。神秘にも触れてる」
「神秘管理局から一人寄越してほしい。表側で俺の弟が取り次ぐから」
「住所? 東京都北摩市北摩テクノポリスの───」
「おいオタ風のポンってなんだ。まだ打ってるのか麻雀。やめろ」

店内の喧噪で搔き消されないように若旦那の声が張っている。
駄々洩れている個人情報にハラハラしながら見守っていると、ようやく電話が終わった。

「人員を寄越してくれるとよ。良かったな美袋」
「し、しんぴ……そのナントカ局ってのは何なんだ?」
「神秘管理局。表側で怪奇や神秘について取り締まってる連中だ。一度触れてしまった以上、もう知らなかった状態には戻せないからな」

美袋もご厄介になるんだぞ、と言われて少しげんなりした。
裏世界なんてもう懲り懲りだが、世界は「じゃあ知らなかった事にして平和に暮らしてくださいね」を許してくれないらしい。
景気よく記憶を吹っ飛ばす方法は無いのかと若旦那に聞いたが、あっさりと「神秘を神秘で隠すのは問題の先延ばし」だと断られてしまった。

「御馳走になったな。ツケといてくれ、今日は美袋を送っていく予定がある」
「ツケはいいけど一杯くらい飲んでけよぉ若旦那ぁ! お連れさんもぉ!」
「また今度な」

すっと店を抜けて若旦那が追いすがる店主に片手を上げる。
タダで飲み食いしてしまったが特に気にならないのか、「お気をつけてぇ」と間延びした声で店主は店へと引っ込んでいった。

「これで用事は全部終わりだ。ようやっとアンタを帰せるな」
「実に長いラゼンジョウ観光だった……」

若旦那の目的のすべては済んだらしい。
幸いにして若旦那の知っている表側の世界に帰れる場所───ルイランドウはもうすぐ。シガイチから目と鼻の先なのだと、若旦那は傘をさして先導してくれた。
「まだ美袋が螺千城で見たのなんてごく一部なんだけどな……」という若旦那の小声のつぶやきは聞かなかった事にしておいた。
知らない事は知らないに限る。経験則上の話。