RECORD

Eno.102 不明門通 辰巳の記録

【日記09】螺千城の話---累卵之危05




街の喧騒が戻って来る。
異質なラゼンジョウで聞こえる喧噪ではなく、子供の遊び声や車のエンジンといった普通の喧騒が。
東京の閑静な住宅街の一角、曲がった覚えもないのにいつのまにか鳥居に背を向けて立っていた。
振り返ればラゼンジョウで見たのとそっくりそのまま同じお稲荷様の赤い社がある。

「なんやエラくかかったな。兄貴の知り合い?」
「あ……」

目の前には髪を浅葱色に染め上げた、奇抜なヘアスタイルの青年が立っていた。
山吹色の羽織もその髪色も、あの街では風景の一部として溶け込んでいたのに。それが表側に移行しただけで随分と異質なモノに見えてしまう。
渋谷あたりでギリギリ見かけるような、和風モダンスタイルで誤魔化せる範囲だ。
顔も声も体格も若旦那なのにも関わらず、決定的に何かが違った。
髪形は様変わりし、目つきは幾分柔らかくなった。左目に貼っていた謎の護符は、代わりに前髪が伸びて覆い隠している。
先程まで話していた口調の崩したような標準語ではなく、西の方の訛りを伴っている。
何より性格がかなり異なっていた。

「おー、ちょい待ち。連絡来とるわ。あんさんこれから局ン方行かなアカンって。俺送ってくよ」
「あ、の、若旦那、」
「ちゃうよ、それ兄貴の呼称やろ。俺は弟の方。っつーか悪い事言わんから声抑えな。もう裏ちゃうねんからな。表にゃ表のルールがあんねん。しょっぴかれるであんさん」

ぴ、ぴ、と腕に巻いたデバイスだかなんだかの機器を弄りながら、青年は言った。

「不明門通辰巳言います。以後お見知りおきを。あんさん名前は?」
「ミナギ……」
「どないな字書くん?」

美しいに袋と書いて美袋。
これで美袋と読むのだと言えば、青年は分かっているのかいないのかフンフンと曖昧に頷いた。

「少しの間になるけんど、よろしく美袋」
「よ、よろしく……」

差し出された片手を握る。話しかけようとして、しかし青年はすたすたと前に行ってしまった。
慌てて後を追い、後ろ手に設置された門扉を閉める。塀と門扉に囲まれてお稲荷様の社はあっという間に見えなくなった。
辰巳と名乗った青年はともすれば近所迷惑になりそうな声で二階に向かって張り上げている。男性の声が負けじと同じような声量で戻って来た。

「ショウ兄ー! 悪いけんど俺ちょお店空けるわ、店番頼んでええか! 俺お客さん送って来なアカンねん!」
「わーったわーった、やかまし! デケェ声出さんとも聞こえとるわ、とっと行け!」
「おおきにねー!」

不明門堂は向こうで見たよりも細部が少し異なっていた。
赤提灯は吊るされておらず、店に並ぶ品々も昔懐かしいレトロな商品ばかりになっている。
値段こそ向こうと同じだが、市販品ばかりで目を引くような異質なモノはすべて無くなっていた。
信じられない心地でそれを眺めていると、ひょこりと視界の端で浅葱色が揺れる。

「駄菓子屋さん珍し?」
「ああ、その……いや、うん……そうだな、珍しくて見てた」
「意外と儲かっとんのやで、これでも。都心離れても東京やからな。北摩テクノポリスへようこそ!」
「北摩……」

あの不思議な世界にいたのはたった数時間なのに、時差ボケに巻き込まれてしまったかのような酩酊感がふわふわと足を浮かせている。陽は落ちてそれほど立っていなかった。
午後仕事を終えたのが十六時だったのだから巻き込まれた時間から逆算しても経過時間的には正しいのに、あれが夢だったのかと疑いたくなる。
白昼夢じゃない。確かにあの世界に自分は居た。夢ではなかったのだと唯一否定してくれるビー玉を、無意識に手に痕が残るほど強く握り締めていた。



表世界における神秘管理局の管理下の一つだとかいう雑居ビルは、一見するとそうとは分からない普通のテナントビルにあった。
大々的に看板掲げるワケにもいかへんやろ、という辰巳のごもっともな指摘に頷く。
受付で話していると暫くして静かな個室に通された。気を利かせて用意してくれたらしい。ようやく息を深く吐いた自分に辰巳は笑う。

「美袋ついてへんかったなあ。神秘に触れちまったからにゃあしゃーないけど。天命やと思って諦め」
「若旦那は……君はお兄さんとはどういう、」
「あー、まあそこ疑問に思うよな。話したる」

裏世界で神秘と呼ばれるものは、表側に来ると減衰を受ける。
纏っていた化けの皮が剝がれるように、神秘はその神秘たる所以を失い、大部分が消失する。
科学的発展をした表世界から淘汰されてしまったものが神秘で、兄もまた裏の世界に属するものだから表には来られないのだと辰巳は言った。
若旦那が帰り際、怪奇は表の世界に出ていけないんだと言っていた言葉の意味がようやく分かった。

「俺な、生まれた時から……物心ついた時から。内側に兄貴が居たんよ」
「内側?」
「そ、内側。科学的っつーか医学的な言い方をすれば二重人格───解離性同一症、多重人格障害だったり。精神学からすればイマジナリーフレンドだったり。宗教概念から落とし込むならタルパだったり。色んな呼称がついとるけども」
「じゃあ、若旦那と君は同一人物なのか」
「どうなんやろね。あんまりここ詳しく落とし込むと兄貴が消えちまう。……七つん時か。もうかれこれ八年くらい前の話」

神秘の帯びている量や度合いを『神秘率』と呼び、肉体の神秘率がより高い程その人物は現実離れしているとされる。
また、場の神秘率が高い程その場所は裏世界に近い状態であるとされ、高すぎる場合『神秘氾濫』が発生するリスクがある。辰巳はそう説明を挟んでくれた。

「神秘率……現実離れ……神秘氾濫?」
「ようは表世界側に侵食するような神秘やね。んでよ、七つん時に、なんか俺の肉体の神秘率が閾値を越えそうになっちまったらしくて。神秘管理局から目ェ付けられてな。現実離れ起こしそうになってん」
「怪奇に近い存在になりかけてしまったと」
「そー。そんで兄貴が代わりに俺が全部持ってく言うて、ひとりでぜーんぶ神秘持って行っちまった」

それ以来彼は若旦那とは会えていないらしい。
厳密に言えば、辰巳が裏世界に行くと兄である若旦那の憑依を受けてしまい、逆に若旦那が表世界側に出ようとすれば減衰を受けて存在できなくなってしまう。
意思疎通の可能な再会ができなくなってしまったのだと辰巳は言った。

手紙やメモのやり取りはできる。音声を残せば声も聞ける。
ただ、二人が会う事は出来ない。

「なぁんも悪い事しとらんで。しとらんけど……一部の怪奇はそこに居るだけで表の世界を可笑しくしちまう。一般人の大部分はそもそも神秘を知らん。大混乱になる。だからしゃあないねん。棲み分けってやつ」
「怪奇が表に出てこられないことも、君がお兄さんと会えない事も、それでいいのか」
「まあ納得してへん連中は向こう側に仰山おるやろな。でもそれを抑え込むのも御偉方の仕事ちゃうんか。人類だって必死こいて生きとんねん、侵略受けたら抵抗せにゃアカン」

朗らかに辰巳は笑った。
兄と理由ありきで別たれた弟にしては、やけにからりと明るい笑顔だった。
……意図して回答をはぐらかされた気がする。再会ができないことを納得しているのかと聞いた答えを、辰巳はついぞ打ち返してこなかった。

「あんま表の世界でこういう話もしない方がホンマはええねん。もし立ち聞きでもされたら浸食の布石になっちまう。ここは一応神秘管理局で、今は人払いしてもろてるからかろうじて小声で話せとるけどね」
「そう、なのか」
「せやせや。美袋ー、アンタこれから大変やでー。なんかいろいろ使い走りやらされるんちゃうんか」
「ええ……」

神秘に触れた人間はみんなこうらしい。裏の世界を知る一員となってしまったからにはやるしかないのだろう。
後にやって来るであろう神秘管理局の担当者から学連やら組織やらの一通りの説明を受けるからと、辰巳は静かにパイプ椅子を立った。

「さぁて、俺が手助けできんのはここまで。まあ困ったらアケズ堂に来な。お茶と駄菓子でもてなすくらいはしちゃるから」
「金取るんだろ」
「アッハッハ! 商売のコツ!」

若旦那の顔で、しかし若旦那らしくない笑い方で。辰巳は笑った。






「ホンマにまた会えると思うか?」


「当り前さ。俺達兄弟だろ」


「できもしない約束結ぶなや。
 そういうの一番腹立つねん」