RECORD

Eno.251 鳴宮優希の記録

【0-4 ハサミと“完璧”】


【0-4 ハサミと“完璧”】

  ◇

 その日は、ちょっと調子が悪かっただけなのだ。
 きっと、きっとね。

 季節は小学5年生の頃の冬。
 父親が亡くなってから少しだけ時が流れた。
 冬休み前にテストがあった。
 誰よりも優等生の優希は、勿論、良い点数を取れている、

 はずだった。

 そうでなければ、ならなかった。
 のに。

 帰ってきた国語のテスト。
 書かれていた点数は、48点。
 嘘だと思った。
 優希は、呆然と用紙を見ていた。

「鳴宮さん、調子でも悪かったのかな?
 だけれど、点数は点数だ。
 解説を書いた紙も渡すから、
 後でちゃんと見直すと良いよ」

 そんな優希に、先生が声を掛けた。

「………………」


 思い返す。
 確かにあの日、ちょっと熱っぽかった。
 だけれど大事なテストの日だから、休む訳にはいかなくて。
 頑張って学校に行って、ぼんやりする頭でテストを受けて。

 それでも、頑張ったんだ。
 頑張ったんだ。
 だけれど。

「…………」


 怒られる、と思った。
 家に帰るのが怖かった。
 だけれど嘘を吐く訳にもいかないから。
 怯えながら、帰宅したのだ。

「……ただいま、お母さま」
「お帰りなさい、優希。テストは?」

 帰ってくるなり、いきなりテストの話。
 優希は覚悟を決めた。

「あの……お母さま……ごめんなさい……っ」

 震えながら差し出したそれには、48点の文字。
 返ってきた他の科目も、高い方で70点前後と、
 いつもの優希ならあり得ない点数ばかり。

 点数を見た母親の表情が変わった。
 端正なその顔に、怒気が走る。

「こんな点数取りやがって。
 お前なんかが私の娘だなんて、鳴宮の恥だ!
 死んだ方がマシだ!」


 近くにあった何かを投げつけられた。
 避けることも出来なくて、
 それは優希の右脚に突き刺さった。

「…………ぁ」

 鮮やかな赤が散る。
 痛みよりも、熱を感じた。
 刺さったのは裁ち鋏だった。
 引っこ抜けば、赤はどんどん広がっていく。
 部屋が赤に侵食されていく。

「おかぁ……さ……ま…………」


 そんな光景を見て、
 母親が呆然としていた。

「あ……待って……?
 待って、優希。あれ、違うの。
 私は、そんな、あなたを」

 優希は身体が少しずつ冷えていくのを感じていた。
 出血量が多い。だけど死んだ方がマシと言われたのだ。
 このまま死んだところで──

 だれも かなしまないよね。

 消え行く意識の端、
 優希は結華が何処かへ電話を掛けているのを見ていた。
 元から体調が優れていないのもあってか、
 そこで意識はぷつりと落ちた。

  ◇

 目が覚めたら見知らぬ白い天井。
 身動きしようとしたら右脚が酷く痛かった。

「あ、まだあまり動かしてはいけませんよ」

 知らぬ男性の声がする。
 声は、言った。

「ここは病院です。
 優希ちゃんは大きな怪我をされたので、
 しばらくの間、入院となります。
 お母さまと、会いますか?」

 声に、うん、と頷いた。
 少し待っていてくださいねと声が遠ざかり、
 やがて、よく知る姿が現れた。

「──優希ッ!」


 母親は現れるなり優希の手を握った。

「生きてる……。あぁ、良かったわ!
 本当に良かったわ! 私のかわいい娘!」
「……おかぁ……さま」
「私はお前を心から愛しているのよ。
 だからお前が生きていて、安心したわ! 良かった!」
「…………」

 ベッドの上、優希はぼんやりと思考していた。
 母親の言った、愛という言葉。

 愛しているから、厳しくするの?
 愛しているから、ハサミを投げたの?
 この痛みも傷も、お母さまの愛ゆえのものなの?


 愛されているのなら、
 なら、もっと頑張らなくちゃ、な。

「……おかあさま」

 優希は、母親の手を握り返した。

「ぼく……頑張るから。
 良い点数取るから……もっと良い子になるから……。
 だから、だか、ら」
「……大丈夫。私はいつでもお前の味方よ」

 母親の手が、優希の頭を撫でた。
 今まで、そんな優しさなんて、
 くれたことは無かったのにな。
 お母さまは本当はこんなにあったかい人だったんだな。

「……ねぇ、お母さま。ぼくを……抱きしめてくれる?」
「えぇ、もちろん」

 控えていたお医者さんが背中を支えてくれた。
 優希は母親と抱擁し合って、その温もりを確かめた。

 泣きそうになるぐらい、あたたかい思い出だった。
 それは優希の胸の底に深く刻まれた。

(それでもお母さまは、
 僕のことを愛してくれている)



 それから2人で少し会話して、
 その後でお医者さんから怪我の話と
 今後のリハビリの話を聞いて、そして面会の時間が終わって。

 病室のベッド、ひとりぼっち。
 だけれど、寂しくはなかった。

『お前のために』

 母親のくれた、ねこのぬいぐるみ。
 お守りがわりに抱きしめて、眠った。

  ◇

 優希のあの怪我は、
 母親の申告により事故ということで処理された。
 優希もそれを否定はしなかった。

 あれは事故だったんだよ。
 あんなに優しいお母さまを怒らせた僕が悪かった。
 あれは事故だったんだよ。

 やがて怪我は治り、リハビリも順調に進み、
 退院出来るようになった。
 優希は、もしも傷が痛んだ時の為にと、
 折り畳み式の杖と痛み止めを貰った。
 冬休みが明ければ、日常へと戻っていった。

 あぁ、だけれど
 ハサミはすっかり怖くなってしまったな。

 彼女にとってハサミとは、
 あの閉じ込められた日に
 自分の大好きなゴシックの服を切り裂いたもの。
 そして悪い子の自分の脚に、大きなダメージを与えたもの。

 ハサミが怖くなったから、
 家庭科と図工の授業の時は、
 ちょっと大変になってしまった。

 ごめんなさい、お母さま。
 完璧になれなくて、ごめんなさい。

 ごめんなさい。