RECORD

Eno.458 烏丸_椿の記録

沙羅非-Ep.1:盲の烏

(これが、ホンモノの都会)

 その光景が初見ではなく、再見の景色だとしても。
 無数のビルの窓から反射する光を、手のひらで遮ったとしても。

 それでもなお彼女は、しかめっ面のまま。
 駅舎を出て早々。眼前を行き交う車たちの風切り音に、気おされていた。

「……どいが役所やと」

 市役所に最も近い駅で降りたはずなのに。そびえたつ群像のどれかは市役所であるはずなのに。
 いったいどれが本物の市役所なのか、区別もつかないまま。途方に暮れそうになるが。

(……)
「ま、どっか入ろ」

 すぐに、彼女は迷いを絶って。
 地図アプリとにらめっこをしながら、どこかへと歩き始めた。



 駅舎を出たのが二時間前。
 市役所に到着したのがそれから二十分後。

 転入に伴う書類やら手続きやら、諸々の処理が終了したのがつい先ほど。
 疲労交じりに時計を見れば……刻限は、ちょうど十二時。

(だれ、だれた……だれる、マジ)
(ほんとは求人情報見たかったけど、もーよか、もーよかが)

 どんな運動をした後よりもげっそりとした様子のまま、彼女は地図アプリの案内に従って、道を進む。
 視線を向けた先。画面上の目的地の名前には、"喫茶善生"と示されている。

(はよ、ごはん……それとお紅茶と、あまあまデザート……)

(……デザート)



「……」

「アップルパイと、アイス。アイスいいなあ」

 端末の画面に映るのは。こんがり焼けた、つやのあるアップルパイ。その傍らで溶けかけているバニラアイス。
 見ているだけで甘いにおいが鼻につくそれを眺めつつ歩いて。値段は……この際気にするものかと目を背けて。

 徐々に、先の疲労を忘れてゆくように。彼女は頬を綻ばせながら、進む。



 市役所前駅と市役所を結ぶ大通り……から、少し外れた通り。尼連通り。
 道幅はあまり広くなく、付近にある商店街から伸びた支道のような通り。

(この通り、けっこー色々あるんだ)

 勿論、大通りに並ぶような名店があるわけでもなく。商店街に並ぶような人気店があるわけでもないが。
 それでも、古風な個人商店や飲食店が建ち並び……人通りも、彼女からすればやっと一息つける程度には空いており。目的地である喫茶善生は、この通りのもうすぐ先にあると。地図アプリは示している。

「……あれかな」

 画面を見て、遠目に看板を見て。画面を見て、外観を見て……喫茶善生と書かれた看板、営業中と書かれたプレートが出ていることを確かめて。
 彼女はこの店で間違いないことを認めると。軽快に早歩きで進み、玄関の扉を開いた。



 重めの扉を開けば……からんころんと鳴るドアベル。足元に差す、暗く柔らかな照明の色。
 アンティーク調に整えられた店内を、興味深く見まわして。一歩進めば……コーヒーと紅茶の混じり合った香り、甘い生地の焼けた匂い。

 そして、ドアベルの音に呼ばれて。軽い足音と共に、メイド服のフリルを揺らして現れる店員。

「いらっしゃいませ。一名様、店内でお召し上がりですか」

 確認に対し軽く頷くと、店員も短く返礼し、空いていたカウンター席へ案内する。
 カウンターテーブルは、落ち着いた――色。メニュー表は一枚、文字だけのシンプルなもの。

 記載されたメニューが、あらかじめ調べていたものと相違ないことを確かめて、注文を進める。

「すません。たまごサンドと、紅茶のホットと……アップルパイください」

「かしこまりました。たまごサンドはからし入りとからし抜きがございます」

「や、からし抜きで」

「承知いたしました。たまごサンドのからし抜き、紅茶のホット、アップルパイアンドバニラアイス……以上でよろしいでしょうか」

 確認内容に了承する頷きを返し、店員もまたかしこまりましたと短い会釈を返し。
 注文を取り終え、バックヤードに戻る店員を目で追いつつ……彼女は再びメニュー表に目を通す。

(ほんとは、バターミルクケーキもおすすめやったけど)

(朝一逃しちょっし、お高めだし。また今度でよかやね)

 主食に、飲み物に、甘味。以上の料金だけでも二千円弱。そしてバターミルクケーキは千円と書かれている。
 付近がビジネス街であることもあってか、その価格は一生徒には少々高く……無理はできなかった。

 故に、また次回。
 気になるものはまた今度、頼むことにしようと考えて。……なんとなく、念のため。メニュー表の裏面にも目を通す。
 すると彼女は、小さく目を見開いて。



 ──遡ること、数日前。

 埃まみれのテーブルを挟み、お互いを睨む目。

「働くのは嫌いか?」

「働くのはよかと。毎回、面接で落ちるだけ」

 眉を顰めるスーツの男。目をそらす制服の女。
 部屋に差す夕陽を、浮いた塵芥が乱反射して。

「寝癖を直せ」

「寝癖を直してると遅刻する」

 呆れ返る男の顔。開き直る女の顔。
 窓の外には、斜陽のまま沈まぬ太陽と廃墟群。表の通りには、人の形や道理から外れた化け物ばかり。

「はよ起きろ」

「むり。こっち来てると遅くなるし」

 ──"裏世界"。
 そこは、尼連通りの様な穏当な場所でも、喫茶善生の様な平和な場所でもない。

 この世界における尼連通り、"無明通り"。
 この場所の顔役を務める男は、粗暴な言い回しでまともが過ぎる説教をする。

「……クソガキが」


「たった一年でも、こっちでやんならカネが要る」
「当面は宮外省さんだか何だかが出すらしいが……お前の無駄遣いのためじゃあねーだろ」


「いいか。"こっち"と"そっち"は違うんだ。そう簡単に雇われ稼業なんざできると思うなよ」
「交易部なら学生でもできる仕事は多い。だがな、それはお前の生活や収入のためじゃない」


「それがわかってんなら、何とかして"表"でも働け。"表"の生活ができなきゃ"神秘の治療"もクソもねえ」

「……」



「セイカツ……?」

「バケモン側のリアクションすんな」

 どこまでも、抜けた反応を繰り返す女。
 その度に、まともな叱正を繰り返す男。



 ──そして、現在。

 メニュー表の裏面に書かれていたのは、メニューの文面とは異なる書体の求人情報。
 おそらくは、書き手が異なるのだろう。いかにも手書きといった紙面の求人には、少々高めの時給が記載されていて……彼女はしっかりと、求人情報を読み進める。

 そうしてちょうど、それを読み終えた頃。

「お待たせいたしました」

 呼びかけられ、振り返った先には従業員と、注文していた商品。

 彼女の目の前に順々と配膳される、たまごサンド、紅茶、バニラアイスの乗ったアップルパイ……。
 そのどれも、彼女の期待以上に輝いて、艶めいて。香りを立たせ、興味を惹いて。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」

 興味を惹かれ過ぎて。
 確認を取る従業員に、少し反応が遅れる。

「ん。大丈夫……あ」

 ただ、反応は遅れても。確認したいことは忘れずに、彼女は従業員を引き留めて。

「あの」
「この求人。まだ、募集してますか」