RECORD
沙羅非-Ep.1:盲の烏

(これが、ホンモノの都会)
無数のビルの窓から反射する光を、手のひらで遮ったとしても。
それでもなお彼女は、しかめっ面のまま。
駅舎を出て早々。眼前を行き交う車たちの風切り音に、気おされていた。

「……どいが役所やと」
いったいどれが本物の市役所なのか、区別もつかないまま。途方に暮れそうになるが。

(……)
「ま、どっか入ろ」
地図アプリとにらめっこをしながら、どこかへと歩き始めた。
駅舎を出たのが二時間前。
市役所に到着したのがそれから二十分後。
転入に伴う書類やら手続きやら、諸々の処理が終了したのがつい先ほど。
疲労交じりに時計を見れば……刻限は、ちょうど十二時。

(だれ、だれた……だれる、マジ)
(ほんとは求人情報見たかったけど、もーよか、もーよかが)
視線を向けた先。画面上の目的地の名前には、"喫茶善生"と示されている。

(はよ、ごはん……それとお紅茶と、あまあまデザート……)

(……デザート)

「……」

「アップルパイと、アイス。アイスいいなあ」
見ているだけで甘いにおいが鼻につくそれを眺めつつ歩いて。値段は……この際気にするものかと目を背けて。
徐々に、先の疲労を忘れてゆくように。彼女は頬を綻ばせながら、進む。
市役所前駅と市役所を結ぶ大通り……から、少し外れた通り。尼連通り。
道幅はあまり広くなく、付近にある商店街から伸びた支道のような通り。

(この通り、けっこー色々あるんだ)
それでも、古風な個人商店や飲食店が建ち並び……人通りも、彼女からすればやっと一息つける程度には空いており。目的地である喫茶善生は、この通りのもうすぐ先にあると。地図アプリは示している。

「……あれかな」
彼女はこの店で間違いないことを認めると。軽快に早歩きで進み、玄関の扉を開いた。
重めの扉を開けば……からんころんと鳴るドアベル。足元に差す、暗く柔らかな照明の色。
アンティーク調に整えられた店内を、興味深く見まわして。一歩進めば……コーヒーと紅茶の混じり合った香り、甘い生地の焼けた匂い。
そして、ドアベルの音に呼ばれて。軽い足音と共に、メイド服のフリルを揺らして現れる店員。
「いらっしゃいませ。一名様、店内でお召し上がりですか」
カウンターテーブルは、落ち着いた――色。メニュー表は一枚、文字だけのシンプルなもの。
記載されたメニューが、あらかじめ調べていたものと相違ないことを確かめて、注文を進める。

「すません。たまごサンドと、紅茶のホットと……アップルパイください」
「かしこまりました。たまごサンドはからし入りとからし抜きがございます」

「や、からし抜きで」
「承知いたしました。たまごサンドのからし抜き、紅茶のホット、アップルパイアンドバニラアイス……以上でよろしいでしょうか」
注文を取り終え、バックヤードに戻る店員を目で追いつつ……彼女は再びメニュー表に目を通す。

(ほんとは、バターミルクケーキもおすすめやったけど)

(朝一逃しちょっし、お高めだし。また今度でよかやね)
付近がビジネス街であることもあってか、その価格は一生徒には少々高く……無理はできなかった。
故に、また次回。
気になるものはまた今度、頼むことにしようと考えて。……なんとなく、念のため。メニュー表の裏面にも目を通す。
すると彼女は、小さく目を見開いて。
──遡ること、数日前。
埃まみれのテーブルを挟み、お互いを睨む目。
「働くのは嫌いか?」

「働くのはよかと。毎回、面接で落ちるだけ」
部屋に差す夕陽を、浮いた塵芥が乱反射して。
「寝癖を直せ」

「寝癖を直してると遅刻する」
窓の外には、斜陽のまま沈まぬ太陽と廃墟群。表の通りには、人の形や道理から外れた化け物ばかり。
「はよ起きろ」

「むり。こっち来てると遅くなるし」
そこは、尼連通りの様な穏当な場所でも、喫茶善生の様な平和な場所でもない。
この世界における尼連通り、"無明通り"。
この場所の顔役を務める男は、粗暴な言い回しでまともが過ぎる説教をする。
「……クソガキが」
「たった一年でも、こっちでやんならカネが要る」
「当面は宮外省さんだか何だかが出すらしいが……お前の無駄遣いのためじゃあねーだろ」
「いいか。"こっち"と"そっち"は違うんだ。そう簡単に雇われ稼業なんざできると思うなよ」
「交易部なら学生でもできる仕事は多い。だがな、それはお前の生活や収入のためじゃない」
「それがわかってんなら、何とかして"表"でも働け。"表"の生活ができなきゃ"神秘の治療"もクソもねえ」

「……」

「セイカツ……?」
「バケモン側のリアクションすんな」
その度に、まともな叱正を繰り返す男。
──そして、現在。
メニュー表の裏面に書かれていたのは、メニューの文面とは異なる書体の求人情報。
おそらくは、書き手が異なるのだろう。いかにも手書きといった紙面の求人には、少々高めの時給が記載されていて……彼女はしっかりと、求人情報を読み進める。
そうしてちょうど、それを読み終えた頃。
「お待たせいたしました」
彼女の目の前に順々と配膳される、たまごサンド、紅茶、バニラアイスの乗ったアップルパイ……。
そのどれも、彼女の期待以上に輝いて、艶めいて。香りを立たせ、興味を惹いて。
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
確認を取る従業員に、少し反応が遅れる。

「ん。大丈夫……あ」

「あの」
「この求人。まだ、募集してますか」