RECORD

Eno.69 牙ヶ崎 剣の記録

②月


牙ヶ崎剣は、幼い頃から胸内に闇をしていた。

物覚えは悪く不器用で、物事に打ち込むことが出来ない癖に理屈主義者。
他者から嫌悪感や恨みを持たれることも少なくなかったが、
悪意には悪意で返し、その為の暴力を行使することに一切の抵抗は無かった。
そんな道徳感を裏切る悪人気質のまま、彼女は中学2年生の春を 迎えていた。



『……』

中身がまるっと正反対の妹とは、未だ不変の絆で強く結ばれている
互いの干渉範囲を最小に留めているのは、互いを尊重した結果と言えるだろう
無論、登下校も別々 それで構わなかった、二人の絆はそんなにヤワじゃない。

底意地の悪さは悪意ある人々を寄せ付け、怪我も絶えなかったけれど、
中学生になる頃には誰も彼もを腕っぷしで黙らせ、一匹狼を貫いた。
彼女の毎日は、暮夜のように仄暗い日々だった。



『おい、剣だ……なんでアイツまだ学校辞めてねぇんだよ』
『バカ喋るな 噛みつかれるぞ』

陰口を叩かれれば相手の顔を覗く
大抵はこれだけで何も言えなくなるのだから楽なモンだった。
悪評も、有象無象を散らすには都合がよくて気持ちがいい。

恐怖や惧れの視線が背を刺す感覚に、慣れることは無かったが
これでいい これがいい 憎悪を受けるのは仕方のないことだ
自分自身が、憎悪に塗れているのだから。



―――大丈夫、アタシは大丈夫。


全力で喧嘩して、全力で暴れまわって、全力で相手を地獄に叩き落とす。

心身共に窶れ始める頃には、夕闇の色が町を染め上げて
オレンジが群青と溶け合う様を眺めながら、帰路へと着いた。


『――はぁ……』



食卓には、3人分の食事が並ぶ。

両親と……焔の分だ。

いつからかテーブルに剣の食事が並ぶことは無くなり
自室の机に、代わりの1000円札が一枚。

『いただきます』の声がリビングから聞こえる傍らで
剣は札を握り締めたまま再び夜の街へ。
そうして、彼女の一日は終息していき……。


諸々を終えた頃、ようやく自室に。一日の疲れを吐き出すように息を漏らして
ベッドに座って来訪者を待つ 既に深夜とも言える時間だがまだ眠らない。
彼女にとって最も大切な時間は、これからだった。


『お姉ちゃん……起きてる……?』



大切な妹がやってくる。
何よりも大切な妹。
……自分には何もないから、当たり前かもしれないが
そんな大事な妹との、唯一の時間。
この時間だけが、自らの存在証明だ。

『お姉ちゃん、辛くない?』
『辛くないよ アタシには焔が居るからね』


妹はいつだって、アタシを心配してくれる。

アタシたち姉妹は表裏一体だ 己には焔の隣人愛を
肯定することはできなくとも、共感だけなら難しくない。
ただ、互いに分担しているだけだ アタシは悪意を、焔は善意を。
本当は互いにどちらの感情も必要だと判っているからこそ
この限られたひと時の中で、混ぜ合うのだ。

だから、何よりも優先すべき時間。
焔の代わりにアタシが怒って、アタシの代わりに焔が笑う
どんなことよりも大事な大事なひとときだ。


『……お姉ちゃん』
『どうした?』
『……明日、誕生日だね』
『ああ』
『水族館、楽しみだね』
『そうだな』



明日は互いの誕生日
この日だけは、一日中焔と共に居られる日
両親も明日ばかりは、存在を許してくれるのだ。

『ほら、焔 もう戻れ 寝不足は嫌だろ』
『うん ……おやすみ、お姉ちゃん』

妹は静かに、部屋を出る。
明日は一日中、妹の隣に居られるのが嬉しくて
臓の音を高く鳴らしながら、目を瞑り。



【6月6日】

この日は、双子が生まれた日を映したかのような 大雨だった。