RECORD

Eno.207 曲輪木 丑緒の記録

名に縛られし鵺の姫君

くらいみちをながされていました。
ずっとずっとながされていました。
うつぶせのままたおれていたところ、


「うわ、レッサーパンダだ!」

つきに、よくにたこえがしました。
ちいさなてがもちあげて、くらいみちからわきにどけてくれました。
きづけば、ながいよるをこえていま、とらはうすやみのなかにいます。


「ふわふわ……へへ。夢が叶っちゃった。」

ちいさいにんげんは、とらのからだをなんどもさわります。
さわられたところがとてもあたたかくて、びっくりします。
そういえば。さわられたのははじめてです。
いまのとらには、からだがあります。


「きみ、なんでこんなとこにいるんだい?
 動物園から逃げてきたとか?」

このにんげんが、そうのぞんだのでしょうか?
とらに、かたちはなかったはずなのに。
かたちのないとらをみて、
けもののからだを?


「僕も逃げてきたんだ。父さんと母さんが、喧嘩しててさ」

にんげんがてをとめて、あたたかいところがすくなくなりました。
あたたかいのは、いいことです。
くらいみちはさむくてとおくて、いやでした。


やめないで。
そうおもうとこのからだは、かってにうごきます。
にんげんのからだに、しがみつきます。


「ふふ、懐っこいなあ……
 やっぱり、動物園からきたのかな」

てでさわられるより、だきつくほうがあたたかいところがふえてよいです。
このままずっと、こうしていたいとおもいました。
いままでそんなことなかったのに。


「僕はうしお。君の名前は?」

うしお。
うしお!おぼえました。
とらは、とらです。
とらつぐみ。
そう、なまえをつけられたのです。
けれど、うしおにとらのことばはつうじません。


「一緒に来る? 一人は寂しいだろ?」

ひとりはさみしい?
とらはさみしいのでしょうか?
わからないけど、とらはいっしょにいくことにします。
あたたかいほうがいいので。
うしおにしがみつくと、あたたかくなります。
あたたかいほうがいいです。



+++

うしおは、ごはんをわけてくれました。
うしおのまねをしてたべると、口の中にあたたかいかんかくがひろがります。
くろいくもだったころは、そうなりませんでした。
このからだがおかしいのでしょうか。
それとも、うしおがわけてくれたから?


「よく食べるねえ。おいしい?」

おいしい?
とらは、おいしいのでしょうか?
わからないけど、みみとしっぽでこたえます。
うしおのからだをなぞると、あたたかくてよいです。
しっぽでなぞると、とてもいいかんじです。


「ふふ、よかった。喜んでくれて」

よろこぶ?
とらは、よろこんでいるのでしょうか?
うしおといっしょだから、よろこんで、




コンばんは、少年。
 その動物、君のじゃないよねえ。」


それはとつぜんやってきました。
もりのけもののかおりです。
こんなに近くにいたのにきづきませんでした。


「いけないねえ、よくない。よくないよくない実によくない。
 こんな夜中に子供が一人で出歩くなんて……
 無知で愚かで野蛮な狸畜生でさえ、こんな新月の夜中に出歩くようなことはしない。
 何故か? 悪い者に捕まって、身の毛もよだつ恐ろし〜い目に合わされるからさ……
そうだよな? 近藤」
「そうだぞ」

ちいさいほうがさけぶと、おおきいほうがうなずきます。
にひきのきつねです。
にんげんのようなかっこうをしています。
……うしおが、いやがっています。


「誰ですか、あなたたちは」
「そのケモノの飼い主さ……
 可愛い可愛いケモノちゃんがいなくなって、ワタシたちの心は千々に乱れ、眠れぬ夜を七日七晩続け。
 そしてようやく! こうして巡り会えたというわけなのです……そうだよな? 近藤」
「そうだぞ」

うしおがいやがっています!
つめをたてて、うなります。
きつねはめをほそめます。



「ウソだ。
 この子、あんたたちのこと……怖がってる」
「ハハァ。違うでしょう。
 君がァ・・・、ワタシのケモノちゃんを手放したくないだけでしょう?」
「ちがうよ、だって」
「違わないですよォ?」

「だって、嫌でしょう? 嫌だと思ったでしょう? 
 手放したくないと、思わなかったわけじゃないでしょう?」

「それはね、独占欲ですよ……
 君は今、薄汚い欲望から、我々のケモノちゃんを独り占めしようとしたんです。
 我々から不当にケモノちゃんを奪い、ほしいままに貪り、利益を得ようと計算していたんです。
 気持ちの悪い……そんな薄汚い心根の人間ごときが、

きつねはうしおのみみもとでささやきます。


ワタシのものに触れるなよ?

ちがいます!
うしおは、ひとりじめをしません。
とらに、たべものをわけてくれました。
とらを、みちからわきによけてくれました!
うしおは、
うしおはそんなことしない!


「ほら、ケモノちゃんもいやがってます」
「う、あ。ご、ごめん」

とらがあばれたせいか、うしおがてをゆるめました。
じめんにおちそうなとらを、おおきいきつねがさわってきます。
つめたいてです。
ちっともあたたかくない、いやなてです。


「私たちは寛容ですから、警察に通報するのだけはやめてあげましょう。
 ああ、我ながらなんと優しき心根なんだ……
 無知で、無礼で、モノの道理も弁えない、カスの人間ごときが。
 二度と逆らうなよ」
「…………ごめんなさい」

うしおはうつむいたままうごかなくなってしまいました。
うしお。
うしお。
そこはくらくて、さむくて、とおいところ?
うしお。
とらがいっしょなら、さむくない?


「行くぞ、近藤」
「そうだぞ」

きつねがうしおからはなれていきます。
それが、とてもいやなのに。
からだがあるから、にげられませんでした。





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「お迎えにあがりましたよ、我らが姫、ぬえの姫君」
「鵺?」
「名付けのしゅ……人間どもの忌々しき『科学呪術』の業にございますよ」
「ほう……狐でありながら、人の業を繰るか」
「姫君の無き世の一千年。
 我ら怪奇も、彼奴等より多くを盗みましたがゆえ」
「そうか」

 瞑っていた目を開く。
 それだけで、私を囲むように立っていた狐どもは、その場に伏して動かなくなった。
 尻尾をおこりのように震わして、許しを乞うように這いつくばる。

「さ、さすが姫様。なんと強大なキツッネェ……」

 人の形をとり、汗を顔中に浮かべる狐を一瞥して思う。
 この私・・・は、とらと違って随分と世界を鮮明に捉えている。
 思考は冴え渡り、言葉は澱みなく内より湧き出ずる。
 鵺と名付けられたことで、私の在り方が変化した……そういう事だろう。

 私の元は、不壊の黒雲、空無辺くうむへん
 形なきがゆえ際限なく広がり、あらゆるを模る虚空。
 だからこそ私は、切り取られた形に沿って、
 そう在れと望まれたように・・・・・・・・・・・・そう振る舞う・・・・・・
 なればこそ、尋ねることがある。

「私に鵺と名をつけたお前たちは、この私に何を望む」
「おお。慈悲深き姫君が、一千年の微睡みより目覚められた!」

 怯えている。そうか。
 私の怪奇としての格に気押されているのか。

 目の前で引き攣るきつねの笑顔を見ながら、私はそんなことを考える。

 眠る、か。
 確かに眠っていたようなものだ。
 存在としてただ弱くあれと望まれたとら・・は、世界をとらえる能力さえも赤子のようなものだった。
 認識できるものの限界。思考できる領域の限界。どちらも極端に制限されたとらは、眠っているわたしよりも無力であった。

「我らキツッネェ・テイルズの悲願は一つ。
 卑劣なる人間に零落させられし、かの大妖『不壊の黒雲』の落とし子。
 一千年の時を経てなお伝説に語られる御身を知らぬ怪奇はおりませぬ……
 強大な怪奇の跋扈した、古き世より生き延びしあなたさまが力を取り戻したならば、このぬるま湯の時代に抗し得る存在などありはしない!
 忌々しき人間どもを打ち滅ぼし、怪奇に永遠の安寧を!」

 けれど。

 それは、あの暖かさと引き換えに得るようなものだったろうか。
 かの心地よさと引き換えに得るようなものだったろうか。

「鵺様……?」

 機嫌を伺うように尋ねる狐に、手でもって直接触れる。
 沁み入る冷気のような鋭敏な感覚が、この怪奇のとるに足らぬ力量の全てを侵し、測り尽くす。
 なるほど。
 この一千年で随分と、怪奇の在り方そのものは変わってしまったようだった。

「聞き届けよう」

 失意を隠して、私はそう答える。



 集う狐たちから歓声が上がる中。
 私は己の腕を撫ぜる。
 己の内にまだ残る、しかしてだんだんと薄れゆくあの感触を、何度も何度も反芻する。

 名前を呼んではいけない。
 彼が咒に縛られることを、私望まない。