RECORD
Eno.112 天降川もあの記録
#02 「少ないことは豊かなこと」
小学生最後の夏に起こった不思議な出来事。
例の包帯が私の知らないうちにどこかへ消えて、またどこかから戻ってきた。
始めは自分でランドセルに仕舞っていたのをすっかり忘れていただけだと思っていた。
あの日は暑くて一日中ぼんやりしていたし、物思いに耽っていて何をしていたかもうろ覚えだったから、件の出来事は夏の熱気が見せた夢であり、包帯を握り締めたこと自体が記憶違いか何かで、あれは別の用事でもっと以前に持ち出していたのではないか、と。
とりあえず包帯を救急箱に戻しておこうとするも、既に何日も過ぎていたせいか、その箱には新しい包帯が収まっていた。
思い返せば、今日までこのことでお母さんが私を叱りつけたりもしなければ、質問を投げかけられもしなかった。
私の頭から包帯のことがすっぽりと抜け落ちていたのはそれが原因に違いない。
もしくは物が小さいのだから一束くらい持たせておいてもいいか、と端から問題視されなかった可能性もある。
結局、神出鬼没の包帯の謎が解けないまま、本格的な秋を迎えた。
年頃の男子特有の可愛らしいいじわるを除けば二学期もあまり代わり映えのしない感じだったけれど、自分の部屋の中では日増しに不可解な現象が見られるようになった。
いつも抱いて眠っていた大きなサメのぬいぐるみが忽然と居なくなり。
漫画や図鑑、教科書の詰まった本棚に空きが生まれ。
お気に入りの靴下がクローゼットになく、スリッパが片側だけ行方を晦ました。
頭を悩ませている間にも、次から次へと身の回りの物がいなくなる。
押入れにも机の引き出しにも、ましてランドセルや遊びに出かける時のカバンにも、そこにいたはずのものたちの姿はない。
お母さんやお父さんが部屋に入って勝手にどうにかした、というパターンは、おそらく有り得ないとして最初から除いた。
明確にゴミであると分かるものでも、二人とも捨てる前には一言断りを入れてくれる。片付ける時も同じだ。
「最近は部屋がすっきりして見えるわね」と言われた時には、部屋を賑わせていた雑貨の大半がそこになかった。
具体的に何をどうしたのかをそれらしく説明する自信がなかったので、「私、来年には中学生だからね」と誤魔化すしかなかった。
わざわざ段ボール箱をもらってきて、押し入れに幾つか積み上げるような真似までして。
日々、消える物の記録を取っていて一つ気が付いた。
なくなるのは普段よく触れていたものばかりだったこと。
しばらく読んでいなかった漫画や図鑑、昔の教科書はそのままであったし、勉強机に整列した昆虫のフィギュアたちも一匹として欠けていない。
壁に飾った額縁入りのジグソーパズルや写真。世界地図に元素周期表。
今年に入ってサイズが合わなくなったものの、ハンガーに掛けっぱなしでいた衣服なんかもそうだ。
確証はなくとも、限りなく正解に近いはず、という確信はあった。
『余分なものが減っていけば、大切なものが際立つようになる』――と、古代の偉い人が言っていたのをふと思い出す。
小学校の図書室。普段誰も近寄らないような分厚くて堅苦しい雰囲気の本ばかりが並ぶ棚で、ひとり暇を潰していて読んだ本に書いてあった言葉だ。
内容はとても難しくて、その日読んだページの一割も頭に入らなかったけれど、この言葉だけは妙に記憶に残っている。
起こった現象自体はそれの逆でも、意味することは概ね一致しているのではないか。
そうやって普段使っているもの、使うことはあっても頻繁ではないもの、完全に単なる置物としてそこにいるものなどが可視化されると、私が何を大事にして過ごしているのか。部屋の無駄を浮き彫りにされた感じがしてゾワッとした。
その発見があった翌朝。毎日夜を共にしていたぬいぐるみを夢に見た日。
目が覚めた私の腕の中で、つぶらな瞳をしたサメがどこか間の抜けた表情を向けていた。
例の包帯が私の知らないうちにどこかへ消えて、またどこかから戻ってきた。
始めは自分でランドセルに仕舞っていたのをすっかり忘れていただけだと思っていた。
あの日は暑くて一日中ぼんやりしていたし、物思いに耽っていて何をしていたかもうろ覚えだったから、件の出来事は夏の熱気が見せた夢であり、包帯を握り締めたこと自体が記憶違いか何かで、あれは別の用事でもっと以前に持ち出していたのではないか、と。
とりあえず包帯を救急箱に戻しておこうとするも、既に何日も過ぎていたせいか、その箱には新しい包帯が収まっていた。
思い返せば、今日までこのことでお母さんが私を叱りつけたりもしなければ、質問を投げかけられもしなかった。
私の頭から包帯のことがすっぽりと抜け落ちていたのはそれが原因に違いない。
もしくは物が小さいのだから一束くらい持たせておいてもいいか、と端から問題視されなかった可能性もある。
結局、神出鬼没の包帯の謎が解けないまま、本格的な秋を迎えた。
年頃の男子特有の可愛らしいいじわるを除けば二学期もあまり代わり映えのしない感じだったけれど、自分の部屋の中では日増しに不可解な現象が見られるようになった。
いつも抱いて眠っていた大きなサメのぬいぐるみが忽然と居なくなり。
漫画や図鑑、教科書の詰まった本棚に空きが生まれ。
お気に入りの靴下がクローゼットになく、スリッパが片側だけ行方を晦ました。
頭を悩ませている間にも、次から次へと身の回りの物がいなくなる。
押入れにも机の引き出しにも、ましてランドセルや遊びに出かける時のカバンにも、そこにいたはずのものたちの姿はない。
お母さんやお父さんが部屋に入って勝手にどうにかした、というパターンは、おそらく有り得ないとして最初から除いた。
明確にゴミであると分かるものでも、二人とも捨てる前には一言断りを入れてくれる。片付ける時も同じだ。
「最近は部屋がすっきりして見えるわね」と言われた時には、部屋を賑わせていた雑貨の大半がそこになかった。
具体的に何をどうしたのかをそれらしく説明する自信がなかったので、「私、来年には中学生だからね」と誤魔化すしかなかった。
わざわざ段ボール箱をもらってきて、押し入れに幾つか積み上げるような真似までして。
日々、消える物の記録を取っていて一つ気が付いた。
なくなるのは普段よく触れていたものばかりだったこと。
しばらく読んでいなかった漫画や図鑑、昔の教科書はそのままであったし、勉強机に整列した昆虫のフィギュアたちも一匹として欠けていない。
壁に飾った額縁入りのジグソーパズルや写真。世界地図に元素周期表。
今年に入ってサイズが合わなくなったものの、ハンガーに掛けっぱなしでいた衣服なんかもそうだ。
確証はなくとも、限りなく正解に近いはず、という確信はあった。
『余分なものが減っていけば、大切なものが際立つようになる』――と、古代の偉い人が言っていたのをふと思い出す。
小学校の図書室。普段誰も近寄らないような分厚くて堅苦しい雰囲気の本ばかりが並ぶ棚で、ひとり暇を潰していて読んだ本に書いてあった言葉だ。
内容はとても難しくて、その日読んだページの一割も頭に入らなかったけれど、この言葉だけは妙に記憶に残っている。
起こった現象自体はそれの逆でも、意味することは概ね一致しているのではないか。
そうやって普段使っているもの、使うことはあっても頻繁ではないもの、完全に単なる置物としてそこにいるものなどが可視化されると、私が何を大事にして過ごしているのか。部屋の無駄を浮き彫りにされた感じがしてゾワッとした。
その発見があった翌朝。毎日夜を共にしていたぬいぐるみを夢に見た日。
目が覚めた私の腕の中で、つぶらな瞳をしたサメがどこか間の抜けた表情を向けていた。