RECORD

Eno.340 月待 よすがの記録

記録:月待よすが③


それからは、地獄だった。
他人としか思えない父とは次第にぎこちなくなっていって、殆ど会話も無くなった。
事故のことも神秘とやらのことも、言えない。何もなかった。
怪我もなく、ただただ僕が世間から浮いてしまっただけ。

「"相貌失認"という症状です。人の顔のパーツが分かっても、それを"顔"として認識できない。
 人の顔を覚えることや自分自身の顔を判断することが困難になります」


鏡を見た時は驚いた。ソコに写っている自分に、全く覚えがない。
学校の友達も先生も、全部知らないものに見える。
ちょっと気になっていた男子がどれだったか、小学生時代の親友でさえ見分けがつかなかったんだ。

「加えて、君が以前零していたように触覚に麻痺が見られる。
 感覚鈍麻という名前です。主に触覚や痛覚、味覚への異常が著しい」


幸い後天的なものだから、ペンの握る強さや湯舟の適切な温度は覚えていた。
好きな食べ物が軒並み駄目になってしまったのは少し堪えたな。
チーズの乗ったハンバーグが好きだったんだ。唐揚げもね。


だからさ、最初は僕も神秘だとか怪奇だとか、クソくらえだって思ってた。
今なら色んな人の話を聞いてさ、大事な人や友達なんかが生きてるだけマシだって分かるけど。
それでもやっぱりキツかったな。自分の周りのが、すべて切れていく感覚。
なんで僕なんだって本気で思ったよ。

理不尽じゃない? 何も悪いこともしてないのに、ただ人と関わる能力を、世界を楽しむ術を失った。
美味しい食べ物も好きだったアニメもわからない。
写真を撮られても自分が写ってる気がしないし、服やメイクだって考えられない。
世界がすべて灰色になったんだと思った。


「――それでさあ、分かったんだよね。普通・・が楽しめないなら、異常・・を愛するしかないんだって」


「"恋は盲目"だって言うでしょう?あの日、人間が認識できなくなった僕はさ」



「……きっと、神秘に恋をしたと思うんだ」




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