RECORD

Eno.88 御子柴 桜空の記録

暁を忘れても、ひなたを

「先輩。あたし……あなたが語ってくれたこと、覚えています。
 だから。……不安にならないで……とは、言えないけど」


「……大丈夫だよ、蜜奈ちゃん。
 それよりも、話の続きを聞かせて。おれがまだ分かる、今のうちに」



蜜奈ちゃんに語ったことを、
今度は自分が教わる形で、これまでのことを書きだしていく。

逃避行の果て、世界からの追放。
否定された世界で、侵略を防ぐための戦争。
大規模な異界騒ぎの末、また人の世に召喚された後の日常。

聞いた話を並び替え、筆を進めて、
それが自分のことのように思えない気持ちが頭を覆い尽くしていて。


実際にあったはずのことに対して、まるで『お話』のように受け取っている。
違和感は今でもあるのに、焦りや危機感を抱けなくなっている。
どれもこれも異常事態だというのに、"これで正しい"のだと脳裏で誰かが言う。

俺よりも蜜奈ちゃんの方がよっぽど深刻そうな顔をしていて、
すごく、申し訳ない気持ちになってくる。

まだ出会って一か月もないというのに。それほど、考えてくれている。
記憶が薄れていることより、それにいまいち応えられないのが歯がゆくて。

知らぬ間に失うことへの恐ろしさを感じることができているのは、幸いなのか。


「……あんたが腑抜けになられたらこっちが困る。
 利用しようにも利用できねえ。だから手は貸してやる」



記録を終えたあと、千賀さんからはフラグメントを利用した調整法を教わる。

いつになく険しい顔付きで言うその様は、こちらの身を案じてるというよりかは、
本人の言うように自分の手札を失ってしまうのを防ぎたいのだろう。

自己保身のために他人を始末するなんて造作もない男ではあるけど、
それ以上に、みすみす国を手中に収めかけた地位、その所以の力──鵺を捨て、
己の本来の力だけを取り戻したって仕方がない。そんな野心家だ。

まして、鵺を連れ出した弟分が、鵺を諦めることを赦すはずもない。
各々の思惑はあれど、それでもおれはそれに生かされている。


千賀さんが言うには、おれは「人間として生きすぎた」のだと。

この街だけではない。色々な街で人のふりをして暮らし、
今ここで肉体が人間同然となったことで、記憶を内包した精神さえも、人間らしいものに最適化されているのだと。

やがて、最後には怪奇だった頃を忘れて―――
怪奇だったからこそ知っていたこと現代世界を由来としないこと』すらも忘れて。

今、北摩市に生きるいち学生として、生きていくことになる。

(それは……)


流石に、それはちょっと怖いな、と。
自分にまだ、そう思える部分があったことで安堵することができた。

例え何であろうと、今まで生きてきた全てのお陰で、今の自分があるのだ。

それに、作者として書き出し、生まれて来てくれたあの子わたしを忘れることを望まない。
仇敵だったとしても、自分のルーツである千賀を忘れることを望まない。

人間の身で、人間の精一杯で自分を愛してくれたあの子あおくんを忘れてあげたくない。

偽りの人生でくれた物に見合った何かをまだ返してあげられてないを、忘れたくない。

出会ってから今まで、ずっと俺を守ってくれた、照史を───


失われていく。そう思う感情が、軽い物から、じわじわと。
フラグメントを纏い、神秘的な力を少しだけ取り戻しても、
鵺であった頃の自分は返ってこない。千賀さんも、険しい顔を更に深めていた。

「今のおれに言っておくことがあるんじゃない?好きだったとか」


なんだかおかしくて、冗談を言っている場合ではないのに。
ただ、彼はそれを冗談とは受け取らなかったようで、暫くの間考えこんでいた。







「……仮説だが」




「あんたがそうなるよう仕向けている奴がいるかもしれない」





そうして齎された言葉を聞いて、思わずまじまじと視線を向ける。
いや、想定していないわけではなかった。だが疑っていた当の本人から言われるとは。
あるいはだからこそなのか───なんて考えていた矢先、彼の顔も此方を向いた。


「前提から考えていくと……あんたが人間になるのはいいとして」
「女になってんのはおかしいだろ、やっぱり」

「……それは……そうだね…………」

いくら女体化が現代の流行りとはいえ、
鵺の女体化キャラが流行ってるみたいな話は聞かなかった(いくつか見かけたけど)

何かの要因があるのは間違いないのだ。
そして、それを解き明かすための猶予は俺には残されていない。

「……もしそうなら、君が変わりに懲らしめてくれるの?」

「さあ、な」





調整が済んで、また暫く一人の時間ができる。
実感はまるでないが、こうしてる間にも記憶が抜け落ち始めているのだろう。

今ぼんやり思い浮かべることは。忘れたくないと望んだ人たちのことばかり。

その中でもひときわ。今になっても強く残る、
日向照史という、従者であり、家族であり、大切な人である鬼のことを想う。



いつか、彼を忘れてしまうのだとしても、
俺は不思議と───また彼のことを愛するのだと思う。

理屈ではない。己に刻まれた怪異としての、人間としての生がそれを保証する。

それだけが、今の俺に対する、救いで、慰めで。
あの人にとっての救いや慰めでもあるのだ。



そしてきっと、彼に対してだけではない。愛する人々との思い出を失っても、
自分の人柄、自分たる所以が全て無くなる訳ではない。

結んだ縁を、絆を、決して失わせはしない。そのために出来ることを、探し続ける。