RECORD

Eno.69 牙ヶ崎 剣の記録

④月蝕






――――私は、あの日の事をよく覚えていない
―――すごい大雨が降り注いでいたことと
――強い強い衝撃で体を打ち付けた
―それだけ、たったそれだけ



……目を覚ますと、見慣れない真っ白な天井があって
全身が、節々が 涙が出るほど痛くて
部屋の中が、嫌に静かで
あれ?ってさ。 私、何してたんだっけって。

それから暫くして、私はお医者さんに何かを告げられたのだけれど
理解が出来なくて……、
まるで泳ぐように言の葉がくるくると脳味噌の中を搔き乱して
飲み込めないから、ずっと木霊していたんだ。


【――お父様とお姉様は、お亡くなりになられました。】


この人は、一体何を言っているのだろう って。


お母さんは、今までに見たことが無いくらい泣いていて
お医者さんも、とっても悲しそうな顔でその様を眺めていたっけ

私だけが何処かに取り残されたみたいに テレビを見ている時みたいに
現実感が全くないものだから ぼーっと、ただ、ぼうっと……。



私とお母さんの怪我は、不思議と軽傷だったみたい。
だから、暫くして退院したんだけれど お母さんの表情はずっと仄暗くて
私も変に言葉を掛けたらいけないことが判っていたから
二人してほとんど言葉を交わすことも無いまま家に帰ったんだ。

静寂に沈み込んだ我が家で、そう
いつものように、歯を磨いて、お風呂に浸かって。

いつものようにと言えば
私には絶対に欠かせないルーティンがあったから
パジャマに着替えたら、お姉ちゃんの部屋をノックしたんだ。

――でも、いつだってすぐに迎えてくれた言葉は 返ってこない。

おかしいな と思ってもう一度ノックして

返ってこなくて

だから、私は勝手にお姉ちゃんの部屋に入ったんだ。

その時にはそう、破裂しそうなくらい心臓が音を鳴らしていて
気づいていたんだ もう、流石に。だけど、実感がすごく遅れてきただけで

だって信じたくない 信じられるはずがない
私達は二人で一つ 私達はずっと一緒だって
何度も何度も約束して……。

してたのに……。







その日も 次の日も その次の日も
私の涙は止まらなかった 壊れた蛇口みたいに
ずっと ずっと
慰めてくれるお姉ちゃんは居なかったから
もう誰も止めてくれなかったから。


それから。
お姉ちゃんのいない世界で、どうやって生きていけばいいんだろうって
ずっと考えてた 大切なものはいっぱいあったはずなのに
どれも無価値に見えるのは なんでなんだろう。

でも、そうだね お母さんはまだ生きていて
お母さんのことを独りになんかできっこないし
強いて言うなら生きる理由は、それくらい
お父さんの代わりには なれないけれど。


もし、どうしようもなく手放したくなった時は
少しでも忘れられるように、手首に鋭い痛みを走らせた。
お医者さんから貰った薬は気休めにしかならなかったけど
この傷は、痛みは、てっとりばやく 効率的に脳みそに刺激を与えてくれるから。

一つ 二つ 三つ
四つ 五つ 六つ

駄目だ やっぱり涙が止まらないや



“あの日”からひと月くらい経っただろうか
その日は、病院に行ったりなんだりで長いこと外に居て
家を長い時間空けていたんだ。

重い足取りで家に帰ると、肌に張り付くような悪寒がして
纏わりつく妙な湿りを抱えたまま リビングに入ったんだ

私は『それ』を視界に入れた時 まるで胃がひっくり返ったみたいな感覚に襲われて
立っていられずに尻もちをついた。
だって、おかしな話だけど
あの日から私が生き続けていたことが 全部無駄になっていたから。

お母さんは、遠い空の向こうに居るお父さんに逢いに
片道きりの旅行に行っちゃったんだ。



きっと傷ついていく私の姿に耐え切れなかったんだろう
わかってる お母さん、私のこともお父さんのことも大好きだったから。
でも、お母さん 私ね、私さ
お母さんのために頑張っていたんだよ?


……ああ、でも、駄目だ
もう駄目だ 無理だ

生きていけない 無理な話だったんだ
お姉ちゃん お姉ちゃん 私、もう無理だ
きっと生きていたら怒るだろうけど
でも逆の立場だったらお姉ちゃんもきっと……
私と同じ気持ちになるはず だからもう
許して 許してほしい 

お母さん、ズルい ズルいよ 逢いたい 私だって
逢いたい 逢いたい 逢いたい お姉ちゃんに
いいよね お姉ちゃん ごめんなさい ああ

もう

最初から

お姉ちゃんじゃなくて

私が死んでいれば良かったのに



私が 死んでれば良かったのに?

私が……

そっか

そうだ

殺そう

私を 殺そう







「……私がお姉ちゃんに、なればいいんだ」