RECORD

Eno.194 観音寺 悟々の記録

02:離別の仮定/ともだちがい

 ――――――――俺は、甲斐の無い友人なのかもしれんな。

 と。
 時折、そう思うことがある。
 自虐でも諧謔でもなく、ただそこに横たわる事実として。

 先日役所の方から、補助金やら教導やらの連絡が来た。
 学連や各神秘機関にも話は通っていて、今後はそこから“依頼”が来るであろう、という話だ。
 率直に言って不気味さを感じている。
 詐偽の類だとはあまり思っていない。身元のハッキリした組織が複数絡んでいて、その裏取りも簡単だったからだ。
 ただ、この漠然とした“お使い”には、なんらかの作為を感じはした。
 “お使い”に反応する人間をリストアップしているのか?
 あるいは“その先”に慣らすための前段階なのか?
 考えすぎだと思わないでもないが、自分よりも“考えすぎ”ている者もいるようだった。

 裏には、相応の危険が伴う。
 散々と口を酸っぱくして言われてきたことだ。
 なにか大きなことが起ころうとしているのかもしれない。
 そうでないのかもしれない。
 戦いがあるかもしれない。
 無いかもしれない。

 誰か友人が、傷付くかもしれない。

 死んでしまうかもしれない。

 その可能性について、少しだけ考えさせられた。
 それはたった今降ってわいた可能性ではなく、常に存在する可能性であったことを自分は理解できていた。


 ――――そして自分はおそらく、それを受け入れることができてしまうだろう。


 歪んでいる、とか。
 欠落している、とは思わない。
 家族。友人。己。
 いずれは死ぬものだ。
 それが遅かれ早かれという話であって、いずれはなんらかの形で別れの時が来るだろう。

 その時自分は、悲しむだろう。
 けれど多分、じきに友人の死を受け入れてしまうだろう。

 それは、そういうものである。
 決して悪いことだとは思わない、が――――ただ、少しだけ。

 ――――――――俺は、甲斐の無い友人なのかもしれんな、と。

 そんなことを、いつものように、ぼんやりと思った。
 友人たちと、各々の善悪についての話をしたことも決して無関係ではあるまい。
 自分が友達甲斐のある人間で無いことを、友人たちや……師匠や、両親に、少しだけ申し訳ないと思っている。

 できるだけ甲斐のある人間でいてやりたいと。
 いつも、思っている。