RECORD
Eno.240 武田ジャッジメン太の記録
武田ジャッジメン太のプロローグ
感じたのは、水の中のような息苦しさ。
苦しみのままに手足を振り回し――男が気付いた時、彼は地面に両膝と両手を付けて苦しみ喘いでいた。
「ぜぇ、ぜぇ……」
赤いジャージ姿に眼鏡をかけた長身。
彼は全身に流れる冷や汗の嫌な感触を味わいながら、男は周囲を見渡す。
紫紺の空。燃ゆる夕陽。伸びる人影。
見たこともない標識。不自然に滲んだ看板。
黄昏れた空の下、ここは住宅街だろうか? どうにも拭い切れない違和感が残る。
「――ここは何処だ?」
惑う男が見渡す向こうから、二人の青年が近づいてくるのが見えた。警戒したまま男は立ち上がる。
「……社長、いくらなんでも無警戒すぎますって! ただでさえ裏世界の危険地帯なんですから!」
「いやいや家長くん、大丈夫さ。僕は見る目がある。君は守る力がある。スキのない布陣なのだから」
そのような会話を交わしながら二人はジャージ男の前まで近付く。
「はじめまして。そしてようこそ、『この世界』へ。君が『世界の壁』を超えてここに降り立ったのを見せてもらったよ。僕は――」
スーツの方――社長と呼ばれた男性はジャージ男にこやかに挨拶をし、自己紹介をしようとした。
だが。
「……流合千景?」
「はぎ……何?」
自身の名を先んじて口にされたことで社長こと流合は驚きに思わずにこやかな表情を崩す。
「貴様、カレントコーポレーションの流合氏だろう。大会社のCEOだ、わかるとも」
「へぇ……わかるんだ? 君もしかして余所者じゃない?」
家長と呼ばれた警備員を手で制しながら、流合は目を細めてジャージ男を値踏みするように見遣る。
ジャージ男はその態度に、しかしやや安堵した様子を見せて口を開いた。
「ということはここは日本なのだな。……私の名は武田ジャッジメン太、日本出身の日本人だ。詳しい話を聞かせてもらえるかね?」
一時間後。
ジャージ男ことメン太は軟禁されていた。
「どうしてだがね!」
幸い身体は拘束されていないものの、監視付きで部屋に閉じ込められたメン太は不満を隠すことなく叫んだ。
「落ち着いてください、武田さん」
「ぐっ……いい加減どういうことか説明してもらえるんだろうな」
苛立ちを抑えきれぬまま、メン太は机の対面に座る市長秘書と名乗る女性、武蔵野へと声を掛ける。
「まず武田さん、残念ながらあなたは身分証となる物を何も持っていませんでした。運転免許証やマイナンバーカードは勿論、スマートフォンでさえも」
「う、うぅむ……それは色々と異世界で……使えない場所に居たからな」
歯切れの悪い言葉に武蔵野は少し視線を強くする。メン太はやや気まずそうに咳払いをすると懐疑の視線に向き合った。
「だが氏名生年月日住所は言った通りかね。最低限それで本人確認は取れるはずだがね」
「確かにそれらは間違いありませんでした。ですが武田さんという人物の存在は確認が取れましたが、それだけではあなた自身の確認にはならないというのはお分かりですよね」
正論だ。
一瞬飲み込まれそうになったが、メン太はいやいやと頭を振る。
「ちょっと待った論点がズレてるかね。私を不審者として拘束するなら警察機関だろう。どうしてカレントコーポレーションのCEOやら市長秘書やらが出張って来る?」
「それは……あなたが裏世界から現れたからです」
そうして武蔵野は口を開く。
神秘、裏世界、怪奇。この世に秘匿されし存在の数々。
荒唐無稽な妄想と一蹴されそうな話を大真面目に語ってみせた。
それを聞き終えたメン太は苦虫を嚙み潰したような表情で息を吐くしかできなかった。
(なんということだ。トンチキな異世界はいくつも巡る羽目になったが、まさか日本もこんなおかしなことになっていたとは)
最早この世に安息の地は無いのか。そんな絶望的な考えを必死に脳裏から追い出し。
「つまりその裏世界とやらにはこことは違う他所から不可思議な存在が流れ着くことがあるから、私もそれと誤解されたということかね」
「誤解ではないと思いますが」
「誤解なんだよ!」
人間として、ここは断固として主張しておきたかった。
だが。
「残念ですが、そうも言ってられないかもしれません」
そう言いながら武蔵野は何やら新たな資料を取り出した。内容はよく分からないがメン太の目には健康診断の結果のような雰囲気が読み取れる。
「なにかね、それ」
「あなたの身体をチェックした結果です。裏世界で何らかの侵蝕を受けている危険もありますからね。その結果身体に異常はありませんでしたが、武田さんの神秘率は67%という結果が出ました」
「はぁ」
どうやら神秘率というのが67%らしい。よく分からないが身体に異常が無かったのなら何よりだ。
「ちなみに神秘とは無縁の一般人は高くても7%程度で、神秘性を有する生物であっても約40%。50%を越えたならほぼ怪異と認定されます」
「へぇ、そうなのかね。……ん?」
メン太は首を傾げる。何やら雲行きが怪しくなってきた。
「武田ジャッジメン太さん。検査の結果、あなたは『推定・ヒト型怪奇』と認定されました」
「……」
……。
「どうしてだがね!!」
本日二度目の咆哮。ついでに先ほどよりも強い勢いで。
「どうしてと言われましても、こちらとしてもどうしてこんなに高い数値なのか疑問で……あなた本当に人間ですか?」
「人間だよ、純度100%のな!」
「であれば何か心当たりはありますか?」
「……」
メン太の脳裏にいくつもの異世界漂流の記憶が駆け巡る。
心当たりどころじゃなかった。むしろどれが原因か特定し切れないほど大量だった。
「ヒト型怪奇……とは言っても怪奇は必ずしも危険存在を意味するわけではありません。少なくと武田さんが友好的な怪奇と認定されれば自由は約束できます」
「待ってくれ、まず怪奇認定の段階で待ってくれ」
メン太決死の訴えは届かない。武蔵野は粛々と既に決まった対応を告げる。
「武田ジャッジメン太さん。あなたには神秘管理局への入局と束都京帝大学ビジネスアカデミーへの入学を命じます。それらは監視を兼ねますが、その成果次第では報酬も出ますし将来的な自由もお約束します。必要書類とスマートデバイスはこちらに。まず……」
これが武田ジャッジメン太という、異世界漂流の果てに元の世界へと戻ってきた一人の男の、新たな物語の始まり。
苦しみのままに手足を振り回し――男が気付いた時、彼は地面に両膝と両手を付けて苦しみ喘いでいた。
「ぜぇ、ぜぇ……」
赤いジャージ姿に眼鏡をかけた長身。
彼は全身に流れる冷や汗の嫌な感触を味わいながら、男は周囲を見渡す。
紫紺の空。燃ゆる夕陽。伸びる人影。
見たこともない標識。不自然に滲んだ看板。
黄昏れた空の下、ここは住宅街だろうか? どうにも拭い切れない違和感が残る。
「――ここは何処だ?」
惑う男が見渡す向こうから、二人の青年が近づいてくるのが見えた。警戒したまま男は立ち上がる。
「……社長、いくらなんでも無警戒すぎますって! ただでさえ裏世界の危険地帯なんですから!」
「いやいや家長くん、大丈夫さ。僕は見る目がある。君は守る力がある。スキのない布陣なのだから」
そのような会話を交わしながら二人はジャージ男の前まで近付く。
「はじめまして。そしてようこそ、『この世界』へ。君が『世界の壁』を超えてここに降り立ったのを見せてもらったよ。僕は――」
スーツの方――社長と呼ばれた男性はジャージ男にこやかに挨拶をし、自己紹介をしようとした。
だが。
「……流合千景?」
「はぎ……何?」
自身の名を先んじて口にされたことで社長こと流合は驚きに思わずにこやかな表情を崩す。
「貴様、カレントコーポレーションの流合氏だろう。大会社のCEOだ、わかるとも」
「へぇ……わかるんだ? 君もしかして余所者じゃない?」
家長と呼ばれた警備員を手で制しながら、流合は目を細めてジャージ男を値踏みするように見遣る。
ジャージ男はその態度に、しかしやや安堵した様子を見せて口を開いた。
「ということはここは日本なのだな。……私の名は武田ジャッジメン太、日本出身の日本人だ。詳しい話を聞かせてもらえるかね?」
一時間後。
ジャージ男ことメン太は軟禁されていた。
「どうしてだがね!」
幸い身体は拘束されていないものの、監視付きで部屋に閉じ込められたメン太は不満を隠すことなく叫んだ。
「落ち着いてください、武田さん」
「ぐっ……いい加減どういうことか説明してもらえるんだろうな」
苛立ちを抑えきれぬまま、メン太は机の対面に座る市長秘書と名乗る女性、武蔵野へと声を掛ける。
「まず武田さん、残念ながらあなたは身分証となる物を何も持っていませんでした。運転免許証やマイナンバーカードは勿論、スマートフォンでさえも」
「う、うぅむ……それは色々と異世界で……使えない場所に居たからな」
歯切れの悪い言葉に武蔵野は少し視線を強くする。メン太はやや気まずそうに咳払いをすると懐疑の視線に向き合った。
「だが氏名生年月日住所は言った通りかね。最低限それで本人確認は取れるはずだがね」
「確かにそれらは間違いありませんでした。ですが武田さんという人物の存在は確認が取れましたが、それだけではあなた自身の確認にはならないというのはお分かりですよね」
正論だ。
一瞬飲み込まれそうになったが、メン太はいやいやと頭を振る。
「ちょっと待った論点がズレてるかね。私を不審者として拘束するなら警察機関だろう。どうしてカレントコーポレーションのCEOやら市長秘書やらが出張って来る?」
「それは……あなたが裏世界から現れたからです」
そうして武蔵野は口を開く。
神秘、裏世界、怪奇。この世に秘匿されし存在の数々。
荒唐無稽な妄想と一蹴されそうな話を大真面目に語ってみせた。
それを聞き終えたメン太は苦虫を嚙み潰したような表情で息を吐くしかできなかった。
(なんということだ。トンチキな異世界はいくつも巡る羽目になったが、まさか日本もこんなおかしなことになっていたとは)
最早この世に安息の地は無いのか。そんな絶望的な考えを必死に脳裏から追い出し。
「つまりその裏世界とやらにはこことは違う他所から不可思議な存在が流れ着くことがあるから、私もそれと誤解されたということかね」
「誤解ではないと思いますが」
「誤解なんだよ!」
人間として、ここは断固として主張しておきたかった。
だが。
「残念ですが、そうも言ってられないかもしれません」
そう言いながら武蔵野は何やら新たな資料を取り出した。内容はよく分からないがメン太の目には健康診断の結果のような雰囲気が読み取れる。
「なにかね、それ」
「あなたの身体をチェックした結果です。裏世界で何らかの侵蝕を受けている危険もありますからね。その結果身体に異常はありませんでしたが、武田さんの神秘率は67%という結果が出ました」
「はぁ」
どうやら神秘率というのが67%らしい。よく分からないが身体に異常が無かったのなら何よりだ。
「ちなみに神秘とは無縁の一般人は高くても7%程度で、神秘性を有する生物であっても約40%。50%を越えたならほぼ怪異と認定されます」
「へぇ、そうなのかね。……ん?」
メン太は首を傾げる。何やら雲行きが怪しくなってきた。
「武田ジャッジメン太さん。検査の結果、あなたは『推定・ヒト型怪奇』と認定されました」
「……」
……。
「どうしてだがね!!」
本日二度目の咆哮。ついでに先ほどよりも強い勢いで。
「どうしてと言われましても、こちらとしてもどうしてこんなに高い数値なのか疑問で……あなた本当に人間ですか?」
「人間だよ、純度100%のな!」
「であれば何か心当たりはありますか?」
「……」
メン太の脳裏にいくつもの異世界漂流の記憶が駆け巡る。
心当たりどころじゃなかった。むしろどれが原因か特定し切れないほど大量だった。
「ヒト型怪奇……とは言っても怪奇は必ずしも危険存在を意味するわけではありません。少なくと武田さんが友好的な怪奇と認定されれば自由は約束できます」
「待ってくれ、まず怪奇認定の段階で待ってくれ」
メン太決死の訴えは届かない。武蔵野は粛々と既に決まった対応を告げる。
「武田ジャッジメン太さん。あなたには神秘管理局への入局と束都京帝大学ビジネスアカデミーへの入学を命じます。それらは監視を兼ねますが、その成果次第では報酬も出ますし将来的な自由もお約束します。必要書類とスマートデバイスはこちらに。まず……」
これが武田ジャッジメン太という、異世界漂流の果てに元の世界へと戻ってきた一人の男の、新たな物語の始まり。