RECORD

Eno.629 三巳 千葉の記録

身を預ける場、誰に習う?

紫紺の空。燃ゆる夕陽。見たこともない標識。不自然に滲んだ看板。

見覚えがあるようで、全くもって知らない。赤く濁った夕日が照り付けるその世界に来るのは初めてではなくて。
だから、迷い込まないように。準備をしっかり行えば冷静に通り抜けられるはずだと思っていたが。


「……なあ、千葉。あの看板なんて書いてあるん……?」

「知らんが。しょんもなか話ばしとったら置いてくばい」



なるべく無機質に返事を返す。相手の話に逐一頷けるほどの余裕はない。
前に確認した通り、わざわざ紙に書いた地図の通りに歩いていく。
……このような場所に長居はしたくないが、それでも『機関』を選ぶには直接赴く必要があったから。

後ろをついて回る友人に『機関』の話題を出されたのは、
確か、相手が自分の家に長居していた時。
夕餉の時間も終え、いつになったら帰るのかと考えていたころだった。



*先日の夕食後の話*

「……あのさ。千葉も聞いたやろ?」

「裏世界の……三つの『機関』の話」



普段のおちゃらけた調子からは打って変わった真面目なトーン。
真っ直ぐにこちらを見据える目からは、
本当に迷ったうえでの真剣な相談なのだと、確かに伝わってきた。

「一応説明は受けたんやけど、何がなんだかさっぱりで……
 千葉は……どこに所属するかもう決めた?」



『機関』。
カレントコーポレーション、神秘管理局、アザーサイドコロニスト。
それぞれ違う本部を持ち、それぞれのやり方で表世界の神秘氾濫を塞いでいる組織たち。
それはきっと、裏世界と関わっていく中で決して避けられない大きな選択肢だった。

「……まだ。そもそも直接行けとらんし……
 ばってん、近いうちにゃ行くつもりと」

「こげんもんは……早めに決めときたか」



一切の見聞きをしていないから当然ではあるが、未だ答えは出ていなかった。
だが、裏世界からの干渉がこれから増えるかもしれない局面に立たされている以上、何かしらの後ろ盾……というより、
いざとなったら逃げ場にできる存在は欲しかった。からこそ、決断は慎重に、迅速に進めたかった。

「せやか~……」



僕が自分なりに真面目に考えて返した割には、腑の抜けた返事が返ってきた。
なんなんだ、と言いたい気持ちを抑えて、机の上に置いていた水の入ったコップを取ろうとした。

「……な、その機関行くときさ、俺もついてってええ?」

は?



掴んだコップを落とすかと思った。
不幸にも幸いにも、机の上で水溜まりを作るだけで済んだが。



確か、このような会話を経て今ここに立っていたはずだ。
相手の突飛な提案に対し首を縦に振るかは悩んだが、
単独で裏世界へ向かうことに心細さがなかったと聞かれれば……嘘とも言えなくはないから。
わざわざ待ち合わせをしてから共に『機関』へ訪問する運びとなった。

「しっかしまあ、でっかい公園の裏世界に
 こんなもんがあるとはなあ……」

「……神秘管理局って何するんやろね?
 神秘を管理する……ってのは字面でわかるけど」



公園近くの通りを歩いていた時、隣からそんな疑問の声が届いた。
恐らく詳しい説明ではなく、適当な同調が欲しかったのだろうが、

「それを今から聞きに行くんやろ。
 ……ほら着いたけん、はよ入らんね」



答える義理も余裕も自分にはなかった。
どの組織に入るか、ここでの説明を受けたらいよいよ本当に決めなくてはならなかったから。
言葉を切り捨てた後、早足で進む自分を追いかける情けない声が聞こえていた、気がする。



***



そうして、

「……」



局長から詳しい話を伺ってきた。
抱えていた疑問点や懸念点もちゃんと聞いて、納得できる答えをもらってきた、はず。
メモの内容をある程度整えている最中、ふと気になって隣に顔を向けたら、
頭を空っぽにしたような表情で、友人が立っていた。

「……なんね、その気の抜けきっとー顔は……」

「いや、なんか……どこも難しい話しとるなあ……思て……」



当たり前だ。

「当たり前と。……表世界の治安の危機が迫っとーから。
 あれでも嚙み砕いて話しとった方ばい」

「せやか~……」



本当にこの者はこの『機関』たちの重要性……
そもそも裏世界、怪奇や神秘の脅威を理解できているのか?
そんな疑問が浮かんだし、恐らく理解していないだろう、という推察は即刻帰ってきた。

「なあ、千葉」



いつまでこのような調子でいるんだろうか、と呆れている頃に、
突然真剣じみた声で名前を呼ばれた。
何を聞こうとしているのか、聞き返すのが少し怖かった。

「何?」

「千葉は、どこに所属するか決まった?」



短い返事の後、すぐに問いは返ってきた。
予想の容易い簡単な問いかけだった。聞いていること自体は簡単だ。
三つの『機関』の中から、望ましいものの名前を選んで返すだけ。それだけ。
なのに、

「……俺、は」



口を開いたけど、声が出なくて。また固く結ぶようにして黙りこくる形となってしまった。
……相手はまだ決めあぐねている?
もしかしたら、僕の答えで相手の選ぶ先も……決まる? 決めてしまう?
もし、そうだったら、それは、

いや、違う。違うはず。杞憂は切り捨てるべきだ。必ず、絶対に。

「……」



……
裏世界と関わらないのであれば、
裏世界と関わらないのであれば、組織に入る必要はない。怪奇に、神秘に関わりに行く必要はない。
無理強いはしないと、多摩高専の学長さんも言っていた。
市長の秘書さんも、きっと同じようなことを言うはずだ。

でも、
関わるはずのなかった裏世界の欠片が、こちらへやってきていて。
その僅かな、確かな影響が、自分の生活を侵食しようとしているのであれば。

「神秘、管理局に行こうと……思っとーけど……
 ……なんで?」



それを振り払える程度の対抗手段は、自分の生活を守るための方法は手に持っておきたい。
そのような方針に一番沿っているような気がした場所は、一番自分自身を置いておきたい場所は、
この組織だと思った。恐らく、多分、ここが良いと思った、はず。

……それは、君に関係ないよね?


「せや、ねんな。……なら、」

「やったら、俺も千葉と同じとこにするわ!」


「……は?」



嘘だろ。

なんで。
そんなに、簡単に、
下さないで。

委ねないでよ。


「お前、流石に何も考えんで決めるんは……」

「な、何も考えてないわけやないって!
 ……だって、ほらさ!」



へへ、と笑っている。得意げに物をいうときの癖だった、気がする。

「千葉と俺やったら、どんな場所とこでも問題あらへんやろ!」



自信に満ちた笑顔だった。
その答えに間違いなんてあるわけないと、確信しきっている。そんな顔。

「そ、」



そんな顔。揺るぎない、揺らぐはずのない、そんな顔。
……なんで?

「……そんでも! そげん適当な理由で決めるのはやめりいよ!」

「適当やないって! 俺もちゃんと考えとるよ!」

「アザーサイド……アザコロは正直雰囲気めっちゃ怖かったから……
 流石にちょっとな~……って思っとって……」

「カレントは……でっかい、企業さんのとこやろ?
 それは悪かないけど、なんか……CEOん人怖かったし……



簡単に決めやがって。
どうしていつもそんな考えなしで、そのくせ決断が馬鹿みたいに早いんだよ。

「そげん理由を適当って言っとろうが!?」

「やから違うんやって! 俺には俺の真剣さがあるの!」



ふざけている。馬鹿みたいな理由。本当の本当に信じられない。
何が真剣さだ。何が、なにが。
なにが、

君の強い自信となるんだろう。

「……ああ、もう……! ……結局はお前の選択でしかなか、
 やけん、もう俺は口出しせんけど……」

「あとから後悔しても……知らんからな!」



どこまで見ても、まっすぐな瞳しかなかった。揺るぎない意志、しか。
もう無理だろうな。

そもそも相手の選択を捻じ曲げる権利など僕にはないから、
どうあがいてもここに辿り着くんだろうなと悟るほかはなかった。

「! 大丈夫やって! 俺、後悔はあんませえへんタイプやし!
 無問題さん、やっで~!

「っ……」



ふざけんなよ。

「そんところがほんっとうに、せらかしか……!!







でも、
隣にいれる安心は、少し。
ほんの少しだけ、あったのかもしれない。
恐らく、多分。 勘違いだろうが。