RECORD
Eno.238 雨宮 有凛子の記録
雨宮と時任
それは、女が女であるというだけで不自由を強いられた時代でした。
けれど自分が“不自由である”ということすら、当時の私はしかと分からずにいたのです。
母は常々私に言いました。
『いいこと、百合子さん。
難しいことは考えなくても良いの。あなたはいつも、花のようににこにこしていらっしゃい。あとは万事、お父さまにお任せしていれば上手くいきますからね』
戦前までは華族のお家柄だったというおひいさま育ちの母は、まさにそういう人でした。儚げで線が細くて、まるで少女のように可憐で、いつもおっとりと微笑んでいる。お茶やお花や芸事に熱心で、でもどこか浮世離れしていて、私の目から見ても世間知らずなところがある母でした。
私の“百合子”という名前も、控えめに俯きながら静かに咲く白百合の花のような女性にと願って、母が付けたのだと聞いています。
一方で、貿易商社に勤めていた父は仕事で外国を飛び回っていたせいか、当時にしては開明的な考えを持つ人でした。私がピアノが習いたいと言えば、伝手を辿って音楽大学出のピアノ教師を探して来てくれ、仏語がやりたいと言えばフランス人駐在員の奥様に紹介してもくれました。小さい頃から、私がやりたいというものを少しも反対された記憶はありません。これからは女子にも教育や教養が必要だと進学を薦めてくれたのも父でした。
その頃は、母と父と、雨宮家の家の中。
そしてあの女学院の中だけが私の世界の全てでした。
街の外れの長い長い坂道を上り切った丘の上に、私の通う女学院はありました。
良妻賢母の育成を掲げ、女性らしい優美高尚の気風と温良貞淑の資性を養うことを目的とした、まさに“古き良き”大和撫子の為の学校です。
私は毎日坂を上り、学舎へと通いました。
街の人は皆、女生徒たちの通学路である坂道を“女坂(おんなざか)”と呼ぶそうです。けれど誰が言い出したか、私たち生徒は皆“嫗坂(おうなざか)”と呼んでいました。だってあんまり急な坂が続くものですから、いつもは寄ればたちまちかしましいおしゃべり雀の私たちでさえ、坂の半ばを過ぎた頃にはただひたすらに自分の呼吸の音を聞き足先ばかりを見ながら淡々と坂を上ることになるのです。その姿がまるで腰の曲がったおばあさん……嫗みたいだと云うのです。まあ、なんて皮肉でしょう。幼くして親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う、“女は三界に家無し”と云うではありませんか。うら若き乙女たちが毎日毎日汗水垂らして坂を上って辿り着く学舎は、艱難辛苦の人生のよう。おんなの果てへと続いているのです。
そうと知ってか知らずか、丘の新緑に映える真っ白い外壁の洋館では、女子ばかり200人ほどが学んでいました。戦前に名のあるお雇い外国人の建築家の弟子によって建てられたという由緒正しい校舎は教師たちの自慢でした。けれど何度も何度も白く塗り直されて、元の色などとんと分からない白粉顔の学舎が、私は余り好きになれませんでした。言うなれば、つんと澄ました“よそゆき”の顔。ご機嫌が良かろうが悪かろうが内に秘め『ご機嫌よう』とご挨拶。
その実そこは、建物と同じくらい古めかしい校則と湿気た感情に満ち満ちた女の園です。
けれど、それが私の世界でした。
春。
その時期だけ、いつもは嫗の如く腰を曲げた女生徒たちも、しゃんと背を伸ばし上を向いて坂を上りました。
なぜって坂の両側には見事な桜が咲き誇り、坂は桜のトンネルになるのです。この世の春とばかりに咲き誇る淡紅色の桜並木はそれはそれは美しい光景でした。
春の陽気に、知らず、私の心も浮かれ騒いでいたのやもしれません。
それはほんの出来心でした。
その日、委員会の仕事で遅くなってしまった私は普段なら級友達と賑やかにお喋りしながら下る坂道をひとりで帰る途中でした。
春はあけぼのと言いますが、私はたそがれが一等好きです。桜色の木立と紫だちたる雲が細くたなびき、茜色の空に溶けゆく景色を見渡して、私はふと思い立ちました。
坂道の途中には、小さな神社があるそうです。その境内にはそれはもう夢のように見事な枝垂れ桜が咲いているのだと、以前から上級生の間では噂されていました。けれど校則で寄り道は禁止です。だからでしょう、先輩方は声を潜めて、どこか誇らしげに枝垂れ桜の話をするのです。
いつもなら校則違反など決してしない私ですが、何故だかその日は、私も観に行ってみよう、と思ったのです。こんな突拍子もない行動を、魔が差したと言うのでしょう。けれど今でも、私は神のお導きだと信じています。
通学路を逸れて脇道へ入り、桜並木の木柵から下を見下ろせば、丘の斜面の中腹に張り付くような形で噂通りの小さなお社が建っていました。ただ、境内へと降りる階段や坂はなく、柵の下には緑の下草が野放図に茂る緩やかな斜面が続いています。
柵を乗り越え草地の斜面を注意して下れば、神社の境内へ降りることは難しくなさそうに思えました。運動の成績はいつも5でしたし、地獄のような坂道を一度も休憩せずに登り切ることの出来る壮健さが、私の密かな自慢だったのです。
念入りに周囲を確認し、白いセーラー服のスカートを押さえて柵を乗り越えました。級友や、ましてや先生に見つかってしまえば、なんてはしたない!とお説教は免れません。ドキドキと高鳴る胸の音が煩く聞こえて来るようでした。
ほんの十数メートルとはいえ、傾斜は急で、私は慎重に腰を落として斜面を下って行きました。生え揃ったばかりの下草の青々とした匂いが立ちます。なのにあともう少しというところで、まだ真新しい革靴の下で水仙の葉がずるりと滑りました。アッと思った時にはもう遅く、私の体は斜面を転げ落ちるように投げ出されていたのです。
「きゃっ……!」
私は思わず身構えました。
ですが、予想していたような固い地面との激突による痛みはありませんでした。そればかりか、聞こえてきたのは奇妙な声です。
「ぐぇっ!」
まるでひきがえるを轢いたみたいな──いえ、実際に聞いたことがあるわけではありませんが──まさにそんな風情の、なんとも哀れを誘う呻き声でした。
しかもその声は、私のセーラー服のスカートの中から聞こえて来るのです。
「???」
そっとスカートを摘んで持ち上げると、顔面蒼白で苦悶する青年のお顔が覗いているではありませんか。
私は動転してしまいました。父以外の殿方をこんなに間近に見たのは初めてですから、無理からぬことです。一旦、摘み上げたスカートをふわりと元に戻しました。
「ちょ、っ、…………待てまて!?」
すると今度は心底慌てた声が聞こえてきます。なんということでしょう。矢張り、桜の見せる夢でも幻でもなんでもなかったのです。
私は深呼吸をひとつしました。
「……………ご機嫌よう?」
それにしても、身に染み付いていたとはいえ我ながら馬鹿みたいなご挨拶をしたものです。
「なっ、……」
恐る恐る持ち上げたスカートの下を覗き込むと、眉間に皺を刻んで青褪めたお顔が、今度は夕焼けみたいに真っ赤に染まっていきました。それもそのはず、初対面の女子学生が胸の上に馬乗りになっているのです。
どうやら斜面から足を滑らせた私は、幸か不幸か下にいた彼の上に転がり落ち、そのまま押し倒してしまったようでした。
「ぁ………ごめんなさい。私ったら、足を滑らせて上からおっこちてしまったのね。でも、どうやらあなたのおかげで助かったみたい。ありがとう!」
「は……………?」
真っ赤な顔が、面食らったように歪みました。人の上に乗っかっておいて、何をペラペラ喋っているんだ、と顔に書いてあります。
「い、いいから疾く………其処を退いてくれ」
指摘されて、今更ながら慌てて彼の上から足を退けて身を引くと、彼もまた眉間に皺を寄せてゆっくりと身を起こしました。
長めの前髪に、切れ長の目。黒い詰襟の学生服は桜の花弁まみれです。
私の不躾な視線に気づいたのか、ふいと顔を背ける彼の、微かに赤みを帯びた目元と耳。少し神経質そうで端正な横顔に、私は暫し見惚れました。
「……………クソッ、じゃじゃ馬女め」
ですがその薄い唇から思わずという風に零れたのは忌々しげな悪態でした。
えぇまぁ、そんな罵倒くらいは甘んじてうけましょう。反論の余地はありません。
彼の名前は、時任 清二郎。
それは私がはじめて恋に落ちた、1950年17歳の春のことでした。
けれど自分が“不自由である”ということすら、当時の私はしかと分からずにいたのです。
母は常々私に言いました。
『いいこと、百合子さん。
難しいことは考えなくても良いの。あなたはいつも、花のようににこにこしていらっしゃい。あとは万事、お父さまにお任せしていれば上手くいきますからね』
戦前までは華族のお家柄だったというおひいさま育ちの母は、まさにそういう人でした。儚げで線が細くて、まるで少女のように可憐で、いつもおっとりと微笑んでいる。お茶やお花や芸事に熱心で、でもどこか浮世離れしていて、私の目から見ても世間知らずなところがある母でした。
私の“百合子”という名前も、控えめに俯きながら静かに咲く白百合の花のような女性にと願って、母が付けたのだと聞いています。
一方で、貿易商社に勤めていた父は仕事で外国を飛び回っていたせいか、当時にしては開明的な考えを持つ人でした。私がピアノが習いたいと言えば、伝手を辿って音楽大学出のピアノ教師を探して来てくれ、仏語がやりたいと言えばフランス人駐在員の奥様に紹介してもくれました。小さい頃から、私がやりたいというものを少しも反対された記憶はありません。これからは女子にも教育や教養が必要だと進学を薦めてくれたのも父でした。
その頃は、母と父と、雨宮家の家の中。
そしてあの女学院の中だけが私の世界の全てでした。
街の外れの長い長い坂道を上り切った丘の上に、私の通う女学院はありました。
良妻賢母の育成を掲げ、女性らしい優美高尚の気風と温良貞淑の資性を養うことを目的とした、まさに“古き良き”大和撫子の為の学校です。
私は毎日坂を上り、学舎へと通いました。
街の人は皆、女生徒たちの通学路である坂道を“女坂(おんなざか)”と呼ぶそうです。けれど誰が言い出したか、私たち生徒は皆“嫗坂(おうなざか)”と呼んでいました。だってあんまり急な坂が続くものですから、いつもは寄ればたちまちかしましいおしゃべり雀の私たちでさえ、坂の半ばを過ぎた頃にはただひたすらに自分の呼吸の音を聞き足先ばかりを見ながら淡々と坂を上ることになるのです。その姿がまるで腰の曲がったおばあさん……嫗みたいだと云うのです。まあ、なんて皮肉でしょう。幼くして親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う、“女は三界に家無し”と云うではありませんか。うら若き乙女たちが毎日毎日汗水垂らして坂を上って辿り着く学舎は、艱難辛苦の人生のよう。おんなの果てへと続いているのです。
そうと知ってか知らずか、丘の新緑に映える真っ白い外壁の洋館では、女子ばかり200人ほどが学んでいました。戦前に名のあるお雇い外国人の建築家の弟子によって建てられたという由緒正しい校舎は教師たちの自慢でした。けれど何度も何度も白く塗り直されて、元の色などとんと分からない白粉顔の学舎が、私は余り好きになれませんでした。言うなれば、つんと澄ました“よそゆき”の顔。ご機嫌が良かろうが悪かろうが内に秘め『ご機嫌よう』とご挨拶。
その実そこは、建物と同じくらい古めかしい校則と湿気た感情に満ち満ちた女の園です。
けれど、それが私の世界でした。
春。
その時期だけ、いつもは嫗の如く腰を曲げた女生徒たちも、しゃんと背を伸ばし上を向いて坂を上りました。
なぜって坂の両側には見事な桜が咲き誇り、坂は桜のトンネルになるのです。この世の春とばかりに咲き誇る淡紅色の桜並木はそれはそれは美しい光景でした。
春の陽気に、知らず、私の心も浮かれ騒いでいたのやもしれません。
それはほんの出来心でした。
その日、委員会の仕事で遅くなってしまった私は普段なら級友達と賑やかにお喋りしながら下る坂道をひとりで帰る途中でした。
春はあけぼのと言いますが、私はたそがれが一等好きです。桜色の木立と紫だちたる雲が細くたなびき、茜色の空に溶けゆく景色を見渡して、私はふと思い立ちました。
坂道の途中には、小さな神社があるそうです。その境内にはそれはもう夢のように見事な枝垂れ桜が咲いているのだと、以前から上級生の間では噂されていました。けれど校則で寄り道は禁止です。だからでしょう、先輩方は声を潜めて、どこか誇らしげに枝垂れ桜の話をするのです。
いつもなら校則違反など決してしない私ですが、何故だかその日は、私も観に行ってみよう、と思ったのです。こんな突拍子もない行動を、魔が差したと言うのでしょう。けれど今でも、私は神のお導きだと信じています。
通学路を逸れて脇道へ入り、桜並木の木柵から下を見下ろせば、丘の斜面の中腹に張り付くような形で噂通りの小さなお社が建っていました。ただ、境内へと降りる階段や坂はなく、柵の下には緑の下草が野放図に茂る緩やかな斜面が続いています。
柵を乗り越え草地の斜面を注意して下れば、神社の境内へ降りることは難しくなさそうに思えました。運動の成績はいつも5でしたし、地獄のような坂道を一度も休憩せずに登り切ることの出来る壮健さが、私の密かな自慢だったのです。
念入りに周囲を確認し、白いセーラー服のスカートを押さえて柵を乗り越えました。級友や、ましてや先生に見つかってしまえば、なんてはしたない!とお説教は免れません。ドキドキと高鳴る胸の音が煩く聞こえて来るようでした。
ほんの十数メートルとはいえ、傾斜は急で、私は慎重に腰を落として斜面を下って行きました。生え揃ったばかりの下草の青々とした匂いが立ちます。なのにあともう少しというところで、まだ真新しい革靴の下で水仙の葉がずるりと滑りました。アッと思った時にはもう遅く、私の体は斜面を転げ落ちるように投げ出されていたのです。
「きゃっ……!」
私は思わず身構えました。
ですが、予想していたような固い地面との激突による痛みはありませんでした。そればかりか、聞こえてきたのは奇妙な声です。
「ぐぇっ!」
まるでひきがえるを轢いたみたいな──いえ、実際に聞いたことがあるわけではありませんが──まさにそんな風情の、なんとも哀れを誘う呻き声でした。
しかもその声は、私のセーラー服のスカートの中から聞こえて来るのです。
「???」
そっとスカートを摘んで持ち上げると、顔面蒼白で苦悶する青年のお顔が覗いているではありませんか。
私は動転してしまいました。父以外の殿方をこんなに間近に見たのは初めてですから、無理からぬことです。一旦、摘み上げたスカートをふわりと元に戻しました。
「ちょ、っ、…………待てまて!?」
すると今度は心底慌てた声が聞こえてきます。なんということでしょう。矢張り、桜の見せる夢でも幻でもなんでもなかったのです。
私は深呼吸をひとつしました。
「……………ご機嫌よう?」
それにしても、身に染み付いていたとはいえ我ながら馬鹿みたいなご挨拶をしたものです。
「なっ、……」
恐る恐る持ち上げたスカートの下を覗き込むと、眉間に皺を刻んで青褪めたお顔が、今度は夕焼けみたいに真っ赤に染まっていきました。それもそのはず、初対面の女子学生が胸の上に馬乗りになっているのです。
どうやら斜面から足を滑らせた私は、幸か不幸か下にいた彼の上に転がり落ち、そのまま押し倒してしまったようでした。
「ぁ………ごめんなさい。私ったら、足を滑らせて上からおっこちてしまったのね。でも、どうやらあなたのおかげで助かったみたい。ありがとう!」
「は……………?」
真っ赤な顔が、面食らったように歪みました。人の上に乗っかっておいて、何をペラペラ喋っているんだ、と顔に書いてあります。
「い、いいから疾く………其処を退いてくれ」
指摘されて、今更ながら慌てて彼の上から足を退けて身を引くと、彼もまた眉間に皺を寄せてゆっくりと身を起こしました。
長めの前髪に、切れ長の目。黒い詰襟の学生服は桜の花弁まみれです。
私の不躾な視線に気づいたのか、ふいと顔を背ける彼の、微かに赤みを帯びた目元と耳。少し神経質そうで端正な横顔に、私は暫し見惚れました。
「……………クソッ、じゃじゃ馬女め」
ですがその薄い唇から思わずという風に零れたのは忌々しげな悪態でした。
えぇまぁ、そんな罵倒くらいは甘んじてうけましょう。反論の余地はありません。
彼の名前は、時任 清二郎。
それは私がはじめて恋に落ちた、1950年17歳の春のことでした。