RECORD

Eno.102 不明門通 辰巳の記録

【日記16】螺千城の話---薄利少売02



Eno.402:猴嶺王さんをお借りしています。
許可ありがとうございました!








端田悟朗は螺千城で薬を売り歩いている。
薬棚を背負った張り子の犬を連れ、血の匂いや病の気配が近い危険域・貧困区を中心に商売を行っている。
むかしむかしの大昔、そのまた昔。彼は表の世界で暮らしていたのだと螺千城の住民達にまことしやかに囁かれているが、その真相を知る者は少ない。

販売形態が移動販売の割にはその名が知れているのか、顧客が何人かついていた。
その中の一人、月に一度の頻度で買い物をしにくる男相手に、今日も今日とて端田は薬を売っている。

「鱗肌用軟膏一つ、無地の治癒符二束、目薬一瓶、吐き止め錠剤一瓶、杓子丸が割菱。あとは何が欲しい」
「他に何か買うもの……ああそうだ、肉避けはあるか」
「肉避けは入荷できなかった」
「そうか。じゃあ次の機会に。今回はこれで会計してくれ」
「承った。取引成立だ」

端田は薬棚の引き出しから算盤を取り出して弾く。
首元に巻いた布越しにボソリと金額を告げ、目の前の男は懐を探った。
客の姿をちらと端田は見る。年若い男は仏頂面を浮かべていた。
浅葱色の派手な頭に、これまた派手な山吹色の羽織。今日は背中に唐草模様の風呂敷を背負っている。
なかなかに目立つ男の容姿は、しかし螺千城の中ではそれほど珍しくも無い色合いだ。

「御破算で願いましては───にしても珍しい」
「何がだ?」
「あんたが無礼'zストリートまで出張っていることがだ」

いつもはこの付近には来ないだろう、若旦那。
若旦那と呼ばれた男はきょとんとした顔を浮かべて、財布を取り出しながらさも当然のように言う。
当たり前じゃないか、だって。

「アンタの売り場がこの辺りだから出向いたまでだよ、端田の旦那」

くすやのくすりが効かない、なんて噂が立てば薬売りとしては商売ができない。
端田の取り扱う商品は表側のものも裏側のものも同じく、効能にきちんと保証ある品々だった。
螺千城において特に高く値段がつけられるのは金銀すなご、七宝のたぐいではない。信用だ。
この男は───若旦那は、端田の売る薬を信用している。
逆に言ってしまえば、信用の出来ない薬売りもこの区域にはごまんといるということになるのだけれど。

「その目玉。いっそくりぬいた方が早いだろう」
「くりぬくための眼球を生憎と持ち合わせていないんでね」
「じゃあ、その下はどうなっているんだ」

それにあえて返事はせず。がりがりと左目の上に張った治癒符を掻き、若旦那はべろんと剥がして見せた。
落ち窪んだ空洞の向こうには───本来目玉があるその場所に、××××××××××。

こう・・なっている」
「なるほど、義眼をはめたり肉で埋めたりしない理由が分かった。そう・・なっているのか」
「栓をするのが精々、塞ぐだけでも御の字だ」
「……難儀な目だな」
「もう慣れたさ。アンタの薬はよく効いて助かるよ」
「結構」

ぺた、と治癒符で塞げば左目は完全に覆い隠される。二人とも特にそれ以上は何も言わずに粛々と会計を進めた。
大きく開いた巾着袋に購入品を入れて、ぎゅうと紐を結ぶ。
算盤を見せれば若旦那も頷いて、財布からひとつぶ大きな金塊を持ちだした。

「これで、」
「それで払うのはやめろ。釣り銭がない」
「やっぱり駄目か」
「大粒砂金なんて一体どこで手に入れた?」
「デンデラの旦那に来客用の菓子を卸した時にこれで支払われたんだよ。うっかり受け取って後悔してる」
「死骸地の商人か。どうやって捌くつもりなんだ」
「ああ、だから今捌こうと思って」
「やめろ」
「だと思った」

若旦那もそれほど期待はしていなかったのか、ため息をつきながら財布に大きなつぶの金塊を仕舞って。
代わりにいくらかの小銭を手渡す。端田も今度はそれを受け取って「確かに」と一言返した。

巾着袋を手首に通しながら、若旦那が金網の向こうに視線を遣る。
金網やら鉄柵やらトタン壁で囲まれたあちら側は、もう彼らの縄張りだ。
迂闊に踏み込めば痛い目を見るだろう。痛い目に遭ってくれた方が薬が売れて薬屋としては儲かるが、それはそれとして。
ここに上層に住む者が近づくことは滅多にない。
若旦那は金網から視線を外し、ヂカヂカと光っている「無礼'zストリート」の名を掲げた電飾看板を眩しそうに見上げ、光源を絞るために塞がれていない片目を細めた。

「近々無頼衆の抗争でも控えてるのか?」
「何故そう思う」
「端田の旦那がここに来るってことはそういうこった。おのずと予想もつくだろう」
「……どうにも連中の空気が重い。傷薬と包帯を多めに仕入れた」
「薬売りのかきいれ時ってのは大変だな」
「いつものことだ」

螺千城には様々な住民が集う。
表世界から爪弾きにされてしまった怪奇達、人間達にくわえて、後ろ暗い理由を持つものも少なくない。
その中でもアウトローに属する者達が溜まり場として選んだのが無礼'zストリートだ。
表側で法律を犯した罪人が隠れ蓑に来ることもあれば、人間を食った怪奇が何食わぬ顔をして滞在することもままある。
そのほかにも喧嘩屋や復讐代行、暴れたいだけの馬鹿、ただ腕っぷしを試したいだけの力自慢達も含めるとそこそこの人数になるのだ。

チンピラ、荒くれ者、渡世人とせいにん破落戸ごろつき上がり。
呼び名は多岐に渡れど、その特徴は「あまり治安がよろしくない」に集約する。螺千城でも嫌厭されがちなエリアだった。

「小競り合いは毎日のように起こってるが、何でまたそんなことに」
「知るか。あんたこそ何か知らないのか、若旦那」
「俺が知っているのはせいぜい累卵道の井戸端会議の内容くらいだ。情報屋に大枚はたけるほど羽振りがいいわけじゃないしな。こと無頼衆に関しては端田の旦那の方が詳しい」
「どうだか」

冗談なのか本気なのか判別の付かないそれに、肩を竦める。若旦那はそんな端田の様子に傘を軽く持ち上げて答えようとした。
その瞬間、張り子の犬が低く吠えた。ぴりっと剣呑な空気が走る。

「どうした」
「何か近づいている」
「……テン虫か?」
「それならとうに逃げてる」
「確かに」

ひゅう、と無礼'zストリートに空っ風が吹いた。
相も変わらず照りつける夕日は、しかし狭い路地には差し込んできてくれない。
どこか薄暗い一角で、ぐるぐると低く唸る鳴き声だけが鼓膜に届いている。






ざく、と空間が
        / 
          ちぎれたのはその時だった。






「!」
「飛べ!」

ほぼ同時に気づいた二人と一匹が地面を蹴って壁際に寄っていなければ、その身体は真っ二つに割れていただろう。
先程まで立っていた場所に鋭い切れ込みがいくつも走ったかと思えば、豆腐をざく切りにしたように真四角の立方体になって落ちていく。
金網も、鉄柵も、トタンも。なにもかもが均一に斬られていた。
端田は薬棚に手をかけその上に乗り、張り子の犬が高く飛び上がる。若旦那はパァっと開いた傘を片手に空へ舞い上がった。
砂埃が強く舞っているなか目を凝らすと、ぎらりと強く何かが西日を反射した。端田はその正体に気づいて鋭く叫ぶ。

「包丁号だ!」
「あれが!」

螺千城には掃いて捨てるほどいる無頼衆のなか、最近生まれた内の一つ。それが包丁号だった。
怖いもの知らずの怪奇複数名で組まれた、お世辞にも行儀がいいとは言えない者達。
彼らは刃物を蒐集する弁慶がごとく業物を集めており、力づくで取り上げて。
抵抗をするなら持ち主を切り捨ててしまうという、新参でもかなり忌み嫌われている類の集団だ。
空を飛ぶ船など、一体どこで買い付けたのかは知らないが。
とにかく船を乗り回しては無礼'zストリートを船旅よろしく遊覧しており、その船には戦利品が如くぎらぎらと得物を吊るしているのだから、ついた名が包丁号だったというわけだ。
さすがにその手の噂は届いているらしく、名だけは知っていたらしい若旦那が額に手を当てた。
おそらく両手で頭を抱えたい気分だったのだろうが、片手はあいにくと傘を握っていて離せなかったようだ。

「連中、今度こそ分別も何も無くなったらしい。街を壊すのは御法度だ。住民達の数少ない共通認識ごと切っちまった。死人が出るぞ」
「重傷なら薬は売れるが、死んでしまえば物言わぬ骸だ。客にならない」
「御愁傷様。しかしどうなるんだこれ、無礼'z龍の連中が黙っちゃいない。縄張りを踏み荒らされて無言は有り得ない。面子が潰れる」
「報復合戦でもするんじゃないのか?」
「冗談は止してくれ端田の旦那」
「冗談なものか」

砂埃がざあっと吹き飛んで行く。悠々と泳ぐ巨大な鯨のような船が姿を現した。
吊るされた幾つもの刃物が一斉に光を浴びてきらめいて、ミラーボールのように路地を照らす。
通路のギリギリを攻めようとして、いくつかの屋根をなぎ倒して前に進んでいた。

「こちらに向かって来ている」
「錯覚だ、気のせいだと思いたかったんだが、無理があったな……」

二人と一匹の逃げ道を潰すように、ぐりぐりと路地へ身体をねじ込ませて鯨の船が行く手を阻む。
若旦那は井戸端会議で近所の住民が話していた内容をぽつぽつと思い出していた。
カツアゲされたんだよ包丁号の奴らに。
逃げりゃ良かったじゃないか。
逃げる隙間が無かったんだってば。
隙間だらけの螺千城で隙間が無いってどういうこった。

「なるほど隙間が無い……」
「何がだ」
「いやこちらの話。しかしいよいよ収拾がつかなくなってきた。逃げるか?」
「この狭さでどう逃げろと?」
「それを今考えてる」

さてどうしたものかな、と若旦那が思案しようとしたその時、思案ごと鯨が叩き斬られた。
先程包丁号が路地を斬ったのとはまるで規模が違う。
研ぎに研いで、刃が瘦せ細る直前まで研ぎ澄まされた刃物で斬りつけたような。
実になめらかかつ、美しい断面ですっぱりと。鯨が真っ二つに切れた。

「……は?」
「おっと、」

くゆる葉巻の煙が立ち込める。
かつり、とブーツがトタンの破片を蹴り上げて飛び上がったかと思えば、人物の影は二人と一匹には目もくれずに、そのまま底へ底へと落ちていく。
船の残骸を追っているのか、真下を覗き込んでもその姿はすでに目で追いきれず、ゴマ粒のような点になっていた。

「あれは……猴嶺王?」
「猴嶺王というと、俱月宴の頭の?」
「ああ。一瞬すぎてよく見ていなかったが、おそらくは」

傘を畳んで若旦那が着地する。張り子の犬も壁際を爪で掴むのをやめて端田を下ろした。

「助けられたと思うか、若旦那」
「全く思わないね」

吸い殻と煙が風で飛んでいってしまえば、そこに彼の居た痕跡は何も無くなってしまった。
ざり、と若旦那が靴底で割れた地面をなぞる。
包丁号が生み出した破壊の痕跡は存外それほど大きくはなかった。
そのうち誰かが板を持ってきて、また道をこさえるだろう。それこそ無頼衆の下っ端連中の誰かが。ご苦労な事だ。

「眼中に無い、か」
「あの御仁はきっと大物獲りの途中だったんだろう。狩りで気まぐれに鯨を斬ってみたら、たまたまそこにあった路端の石ころ二つが弾きだされたくらいの認識に過ぎないさ」

あの御仁は人間を好かないのだと聞いたことがあるから、と若旦那は呟いた。
にんげん、という種族を指す単語に。
端田は傍にいる友を、次いで自分を、最後に若旦那を見た。人間。

「人間……」
「この期に及んでまだ人間かぶれている俺達も大概だが」

裏世界に長く身を置きすぎた者達は、果たして人間たりうるのだろうか。
命題に答えはない。答える術も持ち合わせていない。
返答の代わりに、遠くの方で金属がパキパキと潰される音がした。包丁号が死んだらしい。

「あ」
「?」
「音で思い出した。そういや土産持ってきたんだった」
「何だそれは」
「牛の大腿骨。キノ助が表の品として仕入れてきたのを安値で譲って貰った。ほら、」

風呂敷を解けば大ぶりな骨が覗く。張り子の犬が高く鳴いて、尻尾を振る仕草をした。
おあがり、と言うや否やとびついた様子に、端田は若旦那をにらみつける。

「勝手に餌付けするな」
「固い事言うなよ。駄菓子屋の主としては、おやつも無しに来るわけにも行くまい」

バキバキと骨に噛みつく、すぐ近くから聞こえる音と。
まだ暫く止まないであろう、刃の折れるパキパキとした音を遠くに聞きながら。

「……今日はもう止めだ」

端田は早々に店仕舞いをする決心をつけた。
今日はとんでもない日になった。こういう日は早々に見切りをつけて店を畳むに限る。
口元を覆う布を指でつまんで鼻まで引き上げれば、湿っぽい空気が遮断される。


どこか懐かしい表の世界の匂いがした。