RECORD
Eno.358 青柳瀬 一桜の記録

放課後の理科準備室には、ほんのりと甘い香りが漂っていた。
教室の隅、顕微鏡や薬品棚に囲まれたその空間に、彼女はひとりでいた。
白衣を羽織ると、世界が少しだけ静かになる。
窓の外では、日差しが春の埃を金色に染めながら揺れている。
彼女は化学が好きだった。
構造式の規則正しさと、そこから生まれる予測不能な反応。
それは彼女の内側にある、言葉にならない違和感や疼きに、そっと形を与えてくれるようだった。
白衣の袖口が、机に置かれたビーカーのガラスをかすかに揺らす。
調合は、植物由来の抽出液と無機触媒の反応を確かめるもの。
ささやかな実験だった。
ごく微細な違いを拾って、再現性を探るだけの、静かな遊び。
と、そのとき。液体が一瞬、光を帯びるように見えた。
薄緑の、揺らぐような──でも確かにそこにあったような気がする。
だが次の瞬間には、何もなかった。
光の屈折。偶然。そういうことにしておく。
その日もまた、彼女は自作の薬品を試していた。
芳香化合物に触媒を加えた瞬間、液体が淡い緑に光った。
薄緑の、揺らぐような──でも確かにそこにあったような気がする。
光の粒が、宙を舞っていた。
窓から差し込んだ陽射しに、埃が照らされて。
それはただの埃だった。
けれど、その粒子のいくつかが、まるで意志を持って舞っているようにも見えて。
それは、もっと意思を持った存在──小さな妖精のようだった。
彼女はいつも探していた。
公式にも教科書にも書かれていない、でも確かに“ある”何かを。
試験管の中の液体だけが、ほんの少しだけ色を変えていた。
彼女はそれを静かに見つめ、そっとノートに記録を残した。
それは小さな出来事だったが、彼女の世界を確かに変えていた。
ここにいるのは、ただの高校二年生。
化学が好きなだけの、ただの女の子だ。
なのに──今日の反応の
あの一瞬の揺らぎを思い出すと、なぜか胸がふっと温かくなるのだった。
試験管の中の

放課後の理科準備室には、ほんのりと甘い香りが漂っていた。
教室の隅、顕微鏡や薬品棚に囲まれたその空間に、彼女はひとりでいた。
白衣を羽織ると、世界が少しだけ静かになる。
窓の外では、日差しが春の埃を金色に染めながら揺れている。
彼女は化学が好きだった。
構造式の規則正しさと、そこから生まれる予測不能な反応。
それは彼女の内側にある、言葉にならない違和感や疼きに、そっと形を与えてくれるようだった。
白衣の袖口が、机に置かれたビーカーのガラスをかすかに揺らす。
調合は、植物由来の抽出液と無機触媒の反応を確かめるもの。
ささやかな実験だった。
ごく微細な違いを拾って、再現性を探るだけの、静かな遊び。
と、そのとき。液体が一瞬、光を帯びるように見えた。
薄緑の、揺らぐような──でも確かにそこにあったような気がする。
だが次の瞬間には、何もなかった。
光の屈折。偶然。そういうことにしておく。
その日もまた、彼女は自作の薬品を試していた。
芳香化合物に触媒を加えた瞬間、液体が淡い緑に光った。
薄緑の、揺らぐような──でも確かにそこにあったような気がする。
光の粒が、宙を舞っていた。
窓から差し込んだ陽射しに、埃が照らされて。
それはただの埃だった。
けれど、その粒子のいくつかが、まるで意志を持って舞っているようにも見えて。
それは、もっと意思を持った存在──小さな妖精のようだった。
彼女はいつも探していた。
公式にも教科書にも書かれていない、でも確かに“ある”何かを。
試験管の中の液体だけが、ほんの少しだけ色を変えていた。
彼女はそれを静かに見つめ、そっとノートに記録を残した。
それは小さな出来事だったが、彼女の世界を確かに変えていた。
ここにいるのは、ただの高校二年生。
化学が好きなだけの、ただの女の子だ。
なのに──今日の反応の
あの一瞬の揺らぎを思い出すと、なぜか胸がふっと温かくなるのだった。