RECORD
Eno.281 紀良邦 翔雄の記録
2025年2月頃 場所:紀良邦宅 時間:17:20過ぎ
春には遠くまだ肌寒い季節、玄関扉を前に佇む影があった。
影はゆっくりとした動作で、茶色い鞄からにぶく光る鍵を取り出し、
迷うこともない動作で扉へと突き刺して、曲げる。
がちゃり、と鍵の開く音を聞けば、
ドアノブを片手にもって玄関扉を開いて影は進む。
靴を適当に脱いだ玄関には、一足の靴以外はなにもない。
影は声を発さない。
家に誰もいないことをわかっているから。
ただいまを言ったところで返事がないから。
玄関を抜けて居間の電気をつければ、
四人がけテーブルの上には封筒があった。
「…………また手紙か」
茶色い鞄を居間のソファに置いて、
めんどくさそうな表情とともに封筒を手に取る。
何も書かれていないが、親からのものだとわかる。
このやりとりは初めてではないのだから。
中身をのぞけば三つほどの便箋らしきもの。
取り出して一枚を開いてみれば、
見覚えのある筆跡で文章が書かれている。
『──我等の愛しい息子、翔雄へ』
その文章を見ただけで、影は唇を噛む。
瞬間に沸いた苛立ちを抑え込むように。
『父さんも母さんも家にいてやれないことを申し訳なく思う。
だがこれも全て、翔雄、お前のためなんだ。
いつかはわかってくれると信じている』
すでに何度も見た文章に嫌気がさしてくる。
あまりにも白々しい言葉の数々に、何を考えて描いてるのかがわからない。
『今月のお金も口座に振り込んでおいたからな。
ちゃんと食べるんだぞ、お母さんが悲しむぞ。
不健康な生活はな、将来の自分が後悔するんだ』
いままで全く親らしいことをしてなかったくせに、
手紙のなかだけでは親らしいことを言うのが腹立たしい。
自分のことなんてずっと放ってるくせに、だ。
苛立つ内心をよそに冷めた視線で文章を追いかけていけば、
その視線が一点を読んだところで目が大きく開く。
『そうそう、おまえも新しい学校で1年ぐらいか。
学校にも馴染んできたところで悪いが、
4月からは新しい学校へ"行け"』
読み終えたところで悪態が口をついて出た。
また、だ。またこの命令だ。
今までも自分のためと書いておいて、
意図不明な命令が何度もあった。
無視しようとしてもどこかで誰かが見張っているのか、
命令を無視した翌日には"手紙"が必ず居間のテーブルにあったのだ。
薄気味悪くさえ思うが、従うしかなかった。
そうでないとお金が振り込まれないからだ。
「……俺はおまえの道具じゃねえんだよ!」
テーブルを叩く音が、誰もいない居間に広がる。
荒い呼吸とともにもう一度視線を紙へと向ければ。
『行き先は多摩科学技術高等専門学校の工業科。
ちゃんとお前の専門としている学科だから心配はない。
ああ、転校ではないから注意しなさい。
翔雄は新入生として入学するんだからな』
何を言っているんだこのバカは、と顔に出るが、読み進める。
『我等の失われしご神体が北摩の地にて発見された。
いいか、我等が翔雄。
お前のすべきことはご神体の監視だ。
決して目を離してはならぬ、何かがあってもならぬ、
穢されるようなことはもってのほかだ』
力が入っているのか、筆圧が強く出ている文字だった。
狂気を感じるほどに。
『そのために、そのためにこそ。
我等は、お前を、翔雄を育ててきたのだ。
いいか、我等の翔雄。御神体を必ずや守るのだ』
そこで手紙は終わっている。
最後に血で描かれたような意味不明の印を残して。
「……いい歳こいて、いつまでカルトなんかにハマってんだ。
付き合わされるこっちの身にもなれよ」
小声でつぶやかれる声に、返すものはだれもいない。
ただただ静けさだけが、ひとりぼっちで暮らす家にあった。
はらりと封筒から落ちた片方の紙には、
北摩の親戚名と住まいの住所、およびその連絡先。
もう一枚には、手紙に書かれていた御神体と呼ばれる"少女"の情報。
それらの紙を拾い上げて封筒に入れたのち、
夕暮れどきの色に染まっていた窓を見て言葉が漏れる。

応えるものは、だれもいない。
影はゆっくりとした動作で、茶色い鞄からにぶく光る鍵を取り出し、
迷うこともない動作で扉へと突き刺して、曲げる。
がちゃり、と鍵の開く音を聞けば、
ドアノブを片手にもって玄関扉を開いて影は進む。
靴を適当に脱いだ玄関には、一足の靴以外はなにもない。
影は声を発さない。
家に誰もいないことをわかっているから。
ただいまを言ったところで返事がないから。
玄関を抜けて居間の電気をつければ、
四人がけテーブルの上には封筒があった。
「…………また手紙か」
茶色い鞄を居間のソファに置いて、
めんどくさそうな表情とともに封筒を手に取る。
何も書かれていないが、親からのものだとわかる。
このやりとりは初めてではないのだから。
中身をのぞけば三つほどの便箋らしきもの。
取り出して一枚を開いてみれば、
見覚えのある筆跡で文章が書かれている。
『──我等の愛しい息子、翔雄へ』
その文章を見ただけで、影は唇を噛む。
瞬間に沸いた苛立ちを抑え込むように。
『父さんも母さんも家にいてやれないことを申し訳なく思う。
だがこれも全て、翔雄、お前のためなんだ。
いつかはわかってくれると信じている』
すでに何度も見た文章に嫌気がさしてくる。
あまりにも白々しい言葉の数々に、何を考えて描いてるのかがわからない。
『今月のお金も口座に振り込んでおいたからな。
ちゃんと食べるんだぞ、お母さんが悲しむぞ。
不健康な生活はな、将来の自分が後悔するんだ』
いままで全く親らしいことをしてなかったくせに、
手紙のなかだけでは親らしいことを言うのが腹立たしい。
自分のことなんてずっと放ってるくせに、だ。
苛立つ内心をよそに冷めた視線で文章を追いかけていけば、
その視線が一点を読んだところで目が大きく開く。
『そうそう、おまえも新しい学校で1年ぐらいか。
学校にも馴染んできたところで悪いが、
4月からは新しい学校へ"行け"』
読み終えたところで悪態が口をついて出た。
また、だ。またこの命令だ。
今までも自分のためと書いておいて、
意図不明な命令が何度もあった。
無視しようとしてもどこかで誰かが見張っているのか、
命令を無視した翌日には"手紙"が必ず居間のテーブルにあったのだ。
薄気味悪くさえ思うが、従うしかなかった。
そうでないとお金が振り込まれないからだ。
「……俺はおまえの道具じゃねえんだよ!」
テーブルを叩く音が、誰もいない居間に広がる。
荒い呼吸とともにもう一度視線を紙へと向ければ。
『行き先は多摩科学技術高等専門学校の工業科。
ちゃんとお前の専門としている学科だから心配はない。
ああ、転校ではないから注意しなさい。
翔雄は新入生として入学するんだからな』
何を言っているんだこのバカは、と顔に出るが、読み進める。
『我等の失われしご神体が北摩の地にて発見された。
いいか、我等が翔雄。
お前のすべきことはご神体の監視だ。
決して目を離してはならぬ、何かがあってもならぬ、
穢されるようなことはもってのほかだ』
力が入っているのか、筆圧が強く出ている文字だった。
狂気を感じるほどに。
『そのために、そのためにこそ。
我等は、お前を、翔雄を育ててきたのだ。
いいか、我等の翔雄。御神体を必ずや守るのだ』
そこで手紙は終わっている。
最後に血で描かれたような意味不明の印を残して。
「……いい歳こいて、いつまでカルトなんかにハマってんだ。
付き合わされるこっちの身にもなれよ」
小声でつぶやかれる声に、返すものはだれもいない。
ただただ静けさだけが、ひとりぼっちで暮らす家にあった。
はらりと封筒から落ちた片方の紙には、
北摩の親戚名と住まいの住所、およびその連絡先。
もう一枚には、手紙に書かれていた御神体と呼ばれる"少女"の情報。
それらの紙を拾い上げて封筒に入れたのち、
夕暮れどきの色に染まっていた窓を見て言葉が漏れる。

「……自由になりてえなあ……親からもこの世からも」
応えるものは、だれもいない。