RECORD
Eno.112 天降川もあの記録
#05 「More Patience.」
神秘管理局のお姉さんとのやり取りを踏まえて、ひとまず「不用意に物に触れないこと」を意識し始めた。
中でも他人の持ち物とお店に陳列された商品には敏感になり、あらゆる物とわずかに距離を置き、そして必要になるまでは決して触らないように心がける。
意識的にせよ無意識にせよ、元々、部屋の中の物が戻ってきた辺りから少しずつ考えるようにはしていた。
お姉さんはこれを「制御できる類いの力」と言い、実際この現象もとい神秘を自覚してからは、新たに周りからいなくなったものは無かった。
憑かれている、という話を全面的に信じるならば、私にこうした超常存在を認知させようと『向こう』から働きかけていただけなのかもしれない。
しかし暴発の可能性を考慮せずにはいられない。
距離を置くだけではまだ足りないので、ごく自然に自分の手を塞ぐ方法も思案した。
第一に腕を組むこと。これは良い線を行っているのではと思ったのも束の間、いつでもどこでも腕を組んでしまっては人とコミュニケーションを取るにあたって、相手に与える印象に大きく影響を及ぼしてしまうと分かった。指を絡ませる形や手首を押さえるようにして前や後ろで手を組んだり、ポケットに手を突っ込むのも同様である。
後に発育の進んだ胸が邪魔をして組み方が変わることになるわけだが、それを抜きにしても意図しない挑発と受け取られて無用な諍いが生じる無意味さは想像に難くなかったため、腕や手を組む行為については「多用は厳禁」という結論に至った。
代わりに挙がったのは、あらかじめ何かを持つこと。
軽くて嵩張らず、肌身離さず持ち歩いてもおかしくなく、それでいて日常でしっかりと出番があるもの。
条件に当てはまる最適なものとして選ばれたのはペンだった。
残り僅かな小学生生活では始めは鉛筆を使っていたものの――先生に見つからないようこっそりシャープペンシルを使うクラスメイトも少なくなかったけれど――ツルツルして引っかかりのない鉛筆では収納場所に難があると感じた。
その点シャーペンには留め具が付いているのでポケットに入れても布を挟んで固定でき、必要な時にサッと取り出せる。
もっともこれも束都の中等部に上がる頃には胸ポケットが大変使いづらくなるのだが、やっているうちにズボンやスカートのポケットを上手く活用する工夫術が身についていった。
見聞きしたものをすぐメモに取るお父さんの仕草。それを小さい頃からよく真似していた部分も、この案と相性が良かったように思う。
今では気付くとペンを手の中で弄んだり口元に持っていったりして、すっかり癖の一つとして身体に染み付いてしまっている。
些細なことばかり書き込まれていく手帳も、寮と実家に溜め込んだ分を合わせれば簡単なドミノ倒しくらいは出来そうだ。
そんな感じに振る舞うこと三年。中等部での生活も瞬く間に過ぎていく。
自分の部屋の中でなら大目に見てもらえるはず、と勝手な認識を抱きながら、試しに自分の意思で物を消してみるべく意識を集中させてみれば、手に持っていたボールペンはどこかへ居なくなり。
反対にペンを呼び戻そうとして強く念じると、今度は手のひらから飛び出すようにして現れる。
この力に私の願望が多分に含まれているのなら、表現としては「どこかに入れて、出す」が正しいかもしれない。
その「どこか」についてはさておき、そうなると一度にどれだけの量を受け入れられるかを確かめないわけにもいかず。
いつ怒られるかもしれないリスクからくる少々の興奮を胸に、週に数度のペースで小物類を入れたり、出したりといったことを、半ば細かく検証する形でしばらく続けて。
始めはぎこちなかった腕組みやペン持ちがそういうものとしてごく自然に行えるようになって久しい頃には、神秘の制御という心配事はごく些末な問題になった。
「神秘に類するものを一般に周知させるべからず」の前提を念頭に置きつつも、それを自らのものとして扱えるようにしてほしい、とは何度思い返しても無茶苦茶な言い分だろうに、あの人の指示に従って神秘への理解を深める努力をしていたのだから私も私で律儀というほかない。
そうして得た知識と経験が後に活かされるのならこの数年も無駄に終わりはしないが、管理局の人間に何かを試されているのであればもっとはっきりと示して欲しかったし、この上なく便利な力を日常に活用できないもどかしさの捌け口はもっと真剣に考えるべきだった。
さりとて『プレゼント』を完全に手放す事態だけは避けたい。
神秘管理局ないし他の機関がどういった組織かは未だぼんやりしているけれど、本格的な関わりを持つようになればこの力が役に立つ時も来る。
今更何でもなかった頃の私には戻れないし、戻りたくもないから、これからも変わらず真面目な人間であり続けて、素行の悪さややらかしなどを口実に日常の自由を損なわないように努める。
この身に宿った力を維持するため、今ある立場を失わないため、出来る限り模範的であろう。
或いは私ならそうすると見越して声を掛けていたのなら、あのお姉さんはとんでもない洞察力の持ち主だ。
束都高等学校への進学に合わせて制服を用意したり、学生寮の手続きを済ませたり、実家からの荷造りに奔走する時分。
物を出し入れする私の手には、いつしか腕を象った白い包帯が重なって見えた。
中でも他人の持ち物とお店に陳列された商品には敏感になり、あらゆる物とわずかに距離を置き、そして必要になるまでは決して触らないように心がける。
意識的にせよ無意識にせよ、元々、部屋の中の物が戻ってきた辺りから少しずつ考えるようにはしていた。
お姉さんはこれを「制御できる類いの力」と言い、実際この現象もとい神秘を自覚してからは、新たに周りからいなくなったものは無かった。
憑かれている、という話を全面的に信じるならば、私にこうした超常存在を認知させようと『向こう』から働きかけていただけなのかもしれない。
しかし暴発の可能性を考慮せずにはいられない。
距離を置くだけではまだ足りないので、ごく自然に自分の手を塞ぐ方法も思案した。
第一に腕を組むこと。これは良い線を行っているのではと思ったのも束の間、いつでもどこでも腕を組んでしまっては人とコミュニケーションを取るにあたって、相手に与える印象に大きく影響を及ぼしてしまうと分かった。指を絡ませる形や手首を押さえるようにして前や後ろで手を組んだり、ポケットに手を突っ込むのも同様である。
後に発育の進んだ胸が邪魔をして組み方が変わることになるわけだが、それを抜きにしても意図しない挑発と受け取られて無用な諍いが生じる無意味さは想像に難くなかったため、腕や手を組む行為については「多用は厳禁」という結論に至った。
代わりに挙がったのは、あらかじめ何かを持つこと。
軽くて嵩張らず、肌身離さず持ち歩いてもおかしくなく、それでいて日常でしっかりと出番があるもの。
条件に当てはまる最適なものとして選ばれたのはペンだった。
残り僅かな小学生生活では始めは鉛筆を使っていたものの――先生に見つからないようこっそりシャープペンシルを使うクラスメイトも少なくなかったけれど――ツルツルして引っかかりのない鉛筆では収納場所に難があると感じた。
その点シャーペンには留め具が付いているのでポケットに入れても布を挟んで固定でき、必要な時にサッと取り出せる。
もっともこれも束都の中等部に上がる頃には胸ポケットが大変使いづらくなるのだが、やっているうちにズボンやスカートのポケットを上手く活用する工夫術が身についていった。
見聞きしたものをすぐメモに取るお父さんの仕草。それを小さい頃からよく真似していた部分も、この案と相性が良かったように思う。
今では気付くとペンを手の中で弄んだり口元に持っていったりして、すっかり癖の一つとして身体に染み付いてしまっている。
些細なことばかり書き込まれていく手帳も、寮と実家に溜め込んだ分を合わせれば簡単なドミノ倒しくらいは出来そうだ。
そんな感じに振る舞うこと三年。中等部での生活も瞬く間に過ぎていく。
自分の部屋の中でなら大目に見てもらえるはず、と勝手な認識を抱きながら、試しに自分の意思で物を消してみるべく意識を集中させてみれば、手に持っていたボールペンはどこかへ居なくなり。
反対にペンを呼び戻そうとして強く念じると、今度は手のひらから飛び出すようにして現れる。
この力に私の願望が多分に含まれているのなら、表現としては「どこかに入れて、出す」が正しいかもしれない。
その「どこか」についてはさておき、そうなると一度にどれだけの量を受け入れられるかを確かめないわけにもいかず。
いつ怒られるかもしれないリスクからくる少々の興奮を胸に、週に数度のペースで小物類を入れたり、出したりといったことを、半ば細かく検証する形でしばらく続けて。
始めはぎこちなかった腕組みやペン持ちがそういうものとしてごく自然に行えるようになって久しい頃には、神秘の制御という心配事はごく些末な問題になった。
「神秘に類するものを一般に周知させるべからず」の前提を念頭に置きつつも、それを自らのものとして扱えるようにしてほしい、とは何度思い返しても無茶苦茶な言い分だろうに、あの人の指示に従って神秘への理解を深める努力をしていたのだから私も私で律儀というほかない。
そうして得た知識と経験が後に活かされるのならこの数年も無駄に終わりはしないが、管理局の人間に何かを試されているのであればもっとはっきりと示して欲しかったし、この上なく便利な力を日常に活用できないもどかしさの捌け口はもっと真剣に考えるべきだった。
さりとて『プレゼント』を完全に手放す事態だけは避けたい。
神秘管理局ないし他の機関がどういった組織かは未だぼんやりしているけれど、本格的な関わりを持つようになればこの力が役に立つ時も来る。
今更何でもなかった頃の私には戻れないし、戻りたくもないから、これからも変わらず真面目な人間であり続けて、素行の悪さややらかしなどを口実に日常の自由を損なわないように努める。
この身に宿った力を維持するため、今ある立場を失わないため、出来る限り模範的であろう。
或いは私ならそうすると見越して声を掛けていたのなら、あのお姉さんはとんでもない洞察力の持ち主だ。
束都高等学校への進学に合わせて制服を用意したり、学生寮の手続きを済ませたり、実家からの荷造りに奔走する時分。
物を出し入れする私の手には、いつしか腕を象った白い包帯が重なって見えた。