RECORD
Eno.207 曲輪木 丑緒の記録
提出物:曲輪木先生『神秘進化学』宿題
氏名:秦野弓月
所属:国際貴女学院高等部
学年:一年
【記述問題】
あなたが神秘氾濫に似ていると思う現象は何か。
その現象のどこが似ていて、どこが似ていないかについてそれぞれ理由と共に記述せよ。
【回答】
曲輪木先生の宿題の意図としては、既知の現象と「神秘氾濫」の類似点・相違点の考察を通じ、仮説を立てることを学習させるものと感じましたが、今回私が挙げた例は神代の出来事、また神話上の出来事であり、様々な解釈が可能なものです。そのため、今回の宿題の目的と必ずしも合致するものではないかもしれません。お詫び申し上げます。
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私が、神秘管理局が定義するところのいわゆる「神秘氾濫」に似ていると考える現象は、『古事記』神代巻における「天石屋」の神話における混沌・無秩序の状態である。また、『古事記』の他の場面、『日本書紀』にも同様の混沌・無秩序状態の描写が存在するため、併せて考察の対象とする。
当該の場面では、湏佐之男命の乱行により、天照大御神は「天石屋」にお隠れになる。すると、高天原(天上世界)と葦原中国(地上世界)が共に闇くなり、「常夜往く」状態(永遠の闇が続く状態)となった。万神の声が五月頃に騒ぐ蝿のようにうるさく満ち、様々な災いが悉く発生した。
また、『古事記』の他の場面や『日本書紀』にも同様の混沌・無秩序と呼べる状態が確認できるため、「天石屋」の例と併せて以下に挙げる。引用にあたっては訓注・分注は省略した。
①故是に、天照大御神見畏み、天石屋の戸を開きて、刺し許母理坐しき。尒して、高天原皆暗く、葦原中国悉闇し。此に因りて常夜徃きき。是に、万の神の声は、狭蝿那湏満ち、万の妖悉発りき。(『古事記』上巻「天石屋」)
②故、各依さし賜ひし命の随に、知らし看す中に、速湏佐之男命、命せらさえし国を治めずて、八拳頒心前に至るまでに啼き伊佐知伎。其の泣く状は、青山は枯山の如く泣き枯らし、河海は悉く泣き乾しき。是を以ちて、悪しき神の音、狭蝿の如く皆満ち、万の物の妖悉く発りき。故、伊耶那岐大御神、速湏佐之男命に詔らししく、「何の由にか、汝は事依さえし国を治めずて哭き伊佐知流」とのらしき。尒して、答へ白ししく、「僕は妣が国根之堅州国に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをしき。尒して、伊耶那岐大御神大きに忿怒りて詔らししく、「然あらば、汝は此の国に住むべくあらず」とのらして、乃ち神夜良比尒夜良比賜ひき。(『古事記』上巻「三貴子の分治」)
③皇祖高皇産靈尊、特に憐愛を鍾めて、崇て養したまふ。遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主とせむと欲す。然も彼の地に、多に蛍火の光く神、及び蠅声す邪しき神有り。復草木咸に能く言語有り。(『日本書紀』巻第二 神代下 本書)
④高皇産霊尊、八十諸神に勅して曰はく、「葦原中国に、磐根・木株。草葉も、猶能く言語ふ。夜は熛火の若に喧響ひ、昼は五月蠅如す沸き騰がる」と、云云。(『日本書紀』巻第二 神代下 一書第六)
⑤かく依さしまつりし国中に、荒ぶる神等をば神問はしに問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立、草の片葉をも語止めて(『延喜式』巻第八 「六月晦大祓」)
①は冒頭にて記載した『古事記』の「天石屋」の神話である。天照大御神が隠れた事により、天地が混沌・無秩序の状態に陥り、本来の状態であれば発生しないような神々の騒ぎや様々な災いが発生した。
②は『古事記』において、天照大御神・月読命・湏佐之男命の分治を語る場面である。伊耶那岐命によって湏佐之男命は海原の統治を命じられたが、湏佐之男命はそれに従わず泣いていた。これにより青山は枯れ、海川は干上がり、悪しき神の声が五月の蠅の如くうるさく満ち、多くの災いが発生した。
③は『日本書紀』神代巻の第九段、いわゆる天孫降臨(本書〈本伝部分〉には「天孫」という文言が一部を除いて使用されないため、「皇孫降臨」と呼ぶ立場もある)の冒頭である。高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を葦原中国の主とすることを望んだものの、その葦原中国の状態は蛍のように怪しく輝く神や、うるさく騒ぐ邪悪な神がおり、岩石・草木がものを言うという混沌・無秩序の状態であることが語られる。
④は③と同様『日本書紀』の第九段であり、その内の一書第六における葦原中国の描写である。③と同様に磐根や草木が物を良い、悪しき神々が騒ぐような混沌・無秩序な場所として描かれる。
⑤は『延喜式』巻第八に所収された祝詞の一つ、「六月晦大祓」、いわゆる「大祓詞」である。大祓詞の冒頭では天孫降臨の神話が語られるが、皇孫が降臨すべき「豊葦原瑞穂国」には荒ぶる神がおり、草木がものをいう状態であったという『日本書紀』の③や④の描写が踏襲される。
①と②は悪しき神が五月の蠅のように騒ぐという類似する表現のほか、「万の物の妖悉く発りき」という同じ表現が用いられるなど、極めて近似した状況が語られている。③④⑤も同様であり、磐根や草木が物を言う状況などが共通している。邪悪な神が騒ぐという有り様は①②とも共通する。これらの表現について、西郷信綱は「これは騒然たる混沌や無秩序をいいあらわす神話的な決まり文句の一種であったらしい」と指摘する(『古事記注釈』第一巻、平凡社、昭和五十年、二四一頁)。
現代の代表的な『古事記』注釈書では、②の「悪しき神の音、狭蝿の如く皆満ち、万の物の妖悉く発りき」について「収拾がつかないほど神々の騒ぐ声があふれ満ちている状態をいう。世界のすべての秩序が失われ、混沌と無秩序におちいっているのである」(山口佳紀、神野志隆光校注・訳『古事記(新編日本古典文学全集)』小学館、平成九年、五十四頁)と指摘しており、秩序の世界にとって危機的状況ということになるだろう。混沌と無秩序が支配する「場」が誕生するということである。
以上のように、①~⑤は全て混沌・無秩序の状態であるということが確認できる。
これらの状況が発生する過程や機序を考えてみると、「神の不在」や「不統治」に依るものであることが見えてくる。①の状況は、天照大御神が天石屋に隠れたために起こり、②の状況は須佐之男命が「海原」の統治を行わなかったことで発生したと言える。統治すべき場所が統治されない故に、この混沌と無秩序が発生したのだと矢嶋泉は指摘している(矢島泉「悪神之音如狭繩皆満 萬物之妖悉発 ―『古事記』神話の論理―」(『聖心女子大学論叢』六十七、昭和六十一年、七十二頁)。
③~④の「葦原中国」「豊葦原瑞穂国」は天孫降臨以前の状態であり、いまだ秩序が齎されていない状況である。これもまた秩序の原理である「神の不在」「不統治」によって引き起こされたということが指摘できるだろう。
神がその国や土地を領有・統治するということは、その神がその場所における秩序の原理であるということが指摘できる。そして①の天石屋の例を見てみれば、天照大御神という天地を貫く秩序(天照大御神が秩序やその原理・支配者であるということは、寺川眞知夫「天照大御神の高天原統治の完成」〈上田正昭編『松前健教授古稀記念論文集 神々の祭祀と伝承』同朋舎、平成五年〉、神野志隆光『古事記の達成』〈東京大学出版会、昭和五十八年〉、『古事記の世界観』〈吉川弘文館、昭和六十一年〉、『古代天皇神話論』〈若草書房、平成十一年〉などで強調されている)が隠れてしまった時に、天地は闇に覆われ、「万の神の声は、狭蝿那湏満ち、万の妖悉発りき」という状況が発生した。秩序が保たれていた世界では本来発生しないような、邪悪な神の声が満ち、様々な災いが起こったのである。
これらの状態は、社会機能が喪失され、科学ではなく神秘が優位の状態に変わるという「神秘氾濫」と相似していると筆者は考える。そして、「神秘氾濫」が発生する過程や機序にも共通する点があるのではないかと考える。
次は、それを確認していきたい。
まず、本例との比較を行うため神秘管理局による「神秘氾濫」の定義を確認する。
科学は「表世界」の秩序というべきものだと捉えることができるのではないか。これが機能しているうちは、「神秘」が「表世界」に現れることはなく、社会機能の問題もない。これは、『古事記』において天照大御神が秩序の原理として君臨している状況と近しいものといえるのではないか。
しかし、一度その秩序や常識(これを「科学」と仮定してよいのであれば、であるが)が失われること——神秘という「裏世界」の原理と呼ぶべきものが優位に立った時、社会機能が正常に動作しなくなるような事象が引き起こされ、草木が物をいうなど、動植物にも影響が出る。神秘という隠されたものが漏れ出し、「常夜往く」というべき状況が引き起こされるのではないかと、筆者は推測する。悪しき神々が騒ぎ、輝き、磐根や草木が物を言うという状態は、神代の天照大御神の秩序とは異なるものが溢れ出したということではないのか。
秩序や統治が失われること、それらが不在であること、それらによって本来ではあり得ないものが溢れ出すという神代の混沌と無秩序。そして、科学という「表世界」における秩序が押さえつけていたものが、優位に立つことで発生する「神秘氾濫」。
この二者は極めて近しいものであると筆者は考える。あるいは、神代における「神秘氾濫」の一例であるとも言えるのではないかとも考えるが、神代における「神秘」という表現は「神秘」の定義に照らせば矛盾をきたすものであるため、この点については今後の課題としたい。
ここまで「神秘氾濫」との類似点と思われる箇所を確認してきたが、宿題を構成する設問の一方、「相違点」を考えてみたい。
相違点として考えられるのは以下の点である。
・秩序原理の喪失により高天原と葦原中国の混乱が発生したが、「神秘氾濫」は必ずしも秩序原理そのものの喪失が原因となるわけではないと考えられる。「場が科学ではなく神秘優位の状態となってしまうこと」が「神秘氾濫」であるため、「神」のような主宰者の存在を前提とすることは、不適切である可能性がある。
・高天原と葦原中国の混沌と無秩序は、天照大御神への祭祀によって回復した。しかし、「神秘氾濫」がそういった方法で抑えられるようなものなのかどうか、判然としない。
・天石屋の神話の表現と、「神秘氾濫」という表現の間には乖離がある。悪しき神々の出現や草木が物をいうような状態が、天照大御神によって抑えられていた/隠されていたためにこれまでは出現しなかったと考えたが、それに関する明確な描写が神話内にあるわけではなく、筆者による推論の部分が大きい。
まとめれば、『古事記』における「天石屋」の神話をはじめとする、日本神話における混沌・無秩序の状態は、秩序の側に存在する神々が保つ常識や世界観というべきものが、失われる/ひっくり返されるために発生するのであり、これは「神秘氾濫」と相似するものではないかと考えたい。
しかし、同時に「神の不在」「非統治」故に混沌・無秩序が発生するという考え方が、そのまま「神秘氾濫」に当てはめることができないということもまた事実である。「神秘」が「氾濫」、つまりは溢れ出すということが「神秘氾濫」なのだから、秩序の喪失は「神秘氾濫」によって齎されるものであるため、因果が逆ということになるであろう。
あくまで神話や古代文献である以上、解釈は様々に存在する。既知の現象を分析することで仮説を立てていくというような今回の宿題のテーマに必ずしも相応しいものであったとは思われない。
しかしながら、「神秘氾濫」の予防や解決のために、こういった神代の事例をもし使えるというのであれば、「神秘」と共にあり、霊的国防のための戦いを続けきた一族の出身者としては、望外の喜びである。故に、今後も研究は続けていきたい。
今回の宿題については、自身の興味関心を優先させたきらいがあり、この点は深く反省すべき点であろう。科学的思考とは必ずしも言えない可能性があり、ご叱責やご指導を賜われれば幸いである。
【参考文献】
倉野憲司、武田祐吉校注『古事記 祝詞(日本古典文学大系)』〈岩波書店、昭和三十三年
坂本太郎ほか校注『日本書紀 上(日本古典文学大系)』(岩波書店、昭和四十二年)
西郷信綱『古事記注釈』(第一巻、平凡社、昭和五十年)
神野志隆光『古事記の達成』(東京大学出版会、昭和五十八年)
神野志隆光『古事記の世界観』(吉川弘文館、昭和六十一年)
矢島泉「悪神之音如狭繩皆満 萬物之妖悉発 ―『古事記』神話の論理―」(『聖心女子大学論叢』六十七、昭和六十一年)
寺川眞知夫「天照大御神の高天原統治の完成」(上田正昭編『松前健教授古稀記念論文集 神々の祭祀と伝承』同朋舎、平成五年)
山口佳紀、神野志隆光校注・訳『古事記(新編日本古典文学全集)』小学館、平成九年)
神野志隆光『古代天皇神話論』(若草書房、平成十一年)
西宮一民『古事記 修訂版』(おうふう、平成十二年)
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所属:国際貴女学院高等部
学年:一年
【記述問題】
あなたが神秘氾濫に似ていると思う現象は何か。
その現象のどこが似ていて、どこが似ていないかについてそれぞれ理由と共に記述せよ。
【回答】
曲輪木先生の宿題の意図としては、既知の現象と「神秘氾濫」の類似点・相違点の考察を通じ、仮説を立てることを学習させるものと感じましたが、今回私が挙げた例は神代の出来事、また神話上の出来事であり、様々な解釈が可能なものです。そのため、今回の宿題の目的と必ずしも合致するものではないかもしれません。お詫び申し上げます。
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私が、神秘管理局が定義するところのいわゆる「神秘氾濫」に似ていると考える現象は、『古事記』神代巻における「天石屋」の神話における混沌・無秩序の状態である。また、『古事記』の他の場面、『日本書紀』にも同様の混沌・無秩序状態の描写が存在するため、併せて考察の対象とする。
当該の場面では、湏佐之男命の乱行により、天照大御神は「天石屋」にお隠れになる。すると、高天原(天上世界)と葦原中国(地上世界)が共に闇くなり、「常夜往く」状態(永遠の闇が続く状態)となった。万神の声が五月頃に騒ぐ蝿のようにうるさく満ち、様々な災いが悉く発生した。
また、『古事記』の他の場面や『日本書紀』にも同様の混沌・無秩序と呼べる状態が確認できるため、「天石屋」の例と併せて以下に挙げる。引用にあたっては訓注・分注は省略した。
①故是に、天照大御神見畏み、天石屋の戸を開きて、刺し許母理坐しき。尒して、高天原皆暗く、葦原中国悉闇し。此に因りて常夜徃きき。是に、万の神の声は、狭蝿那湏満ち、万の妖悉発りき。(『古事記』上巻「天石屋」)
②故、各依さし賜ひし命の随に、知らし看す中に、速湏佐之男命、命せらさえし国を治めずて、八拳頒心前に至るまでに啼き伊佐知伎。其の泣く状は、青山は枯山の如く泣き枯らし、河海は悉く泣き乾しき。是を以ちて、悪しき神の音、狭蝿の如く皆満ち、万の物の妖悉く発りき。故、伊耶那岐大御神、速湏佐之男命に詔らししく、「何の由にか、汝は事依さえし国を治めずて哭き伊佐知流」とのらしき。尒して、答へ白ししく、「僕は妣が国根之堅州国に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをしき。尒して、伊耶那岐大御神大きに忿怒りて詔らししく、「然あらば、汝は此の国に住むべくあらず」とのらして、乃ち神夜良比尒夜良比賜ひき。(『古事記』上巻「三貴子の分治」)
③皇祖高皇産靈尊、特に憐愛を鍾めて、崇て養したまふ。遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主とせむと欲す。然も彼の地に、多に蛍火の光く神、及び蠅声す邪しき神有り。復草木咸に能く言語有り。(『日本書紀』巻第二 神代下 本書)
④高皇産霊尊、八十諸神に勅して曰はく、「葦原中国に、磐根・木株。草葉も、猶能く言語ふ。夜は熛火の若に喧響ひ、昼は五月蠅如す沸き騰がる」と、云云。(『日本書紀』巻第二 神代下 一書第六)
⑤かく依さしまつりし国中に、荒ぶる神等をば神問はしに問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立、草の片葉をも語止めて(『延喜式』巻第八 「六月晦大祓」)
①は冒頭にて記載した『古事記』の「天石屋」の神話である。天照大御神が隠れた事により、天地が混沌・無秩序の状態に陥り、本来の状態であれば発生しないような神々の騒ぎや様々な災いが発生した。
②は『古事記』において、天照大御神・月読命・湏佐之男命の分治を語る場面である。伊耶那岐命によって湏佐之男命は海原の統治を命じられたが、湏佐之男命はそれに従わず泣いていた。これにより青山は枯れ、海川は干上がり、悪しき神の声が五月の蠅の如くうるさく満ち、多くの災いが発生した。
③は『日本書紀』神代巻の第九段、いわゆる天孫降臨(本書〈本伝部分〉には「天孫」という文言が一部を除いて使用されないため、「皇孫降臨」と呼ぶ立場もある)の冒頭である。高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を葦原中国の主とすることを望んだものの、その葦原中国の状態は蛍のように怪しく輝く神や、うるさく騒ぐ邪悪な神がおり、岩石・草木がものを言うという混沌・無秩序の状態であることが語られる。
④は③と同様『日本書紀』の第九段であり、その内の一書第六における葦原中国の描写である。③と同様に磐根や草木が物を良い、悪しき神々が騒ぐような混沌・無秩序な場所として描かれる。
⑤は『延喜式』巻第八に所収された祝詞の一つ、「六月晦大祓」、いわゆる「大祓詞」である。大祓詞の冒頭では天孫降臨の神話が語られるが、皇孫が降臨すべき「豊葦原瑞穂国」には荒ぶる神がおり、草木がものをいう状態であったという『日本書紀』の③や④の描写が踏襲される。
①と②は悪しき神が五月の蠅のように騒ぐという類似する表現のほか、「万の物の妖悉く発りき」という同じ表現が用いられるなど、極めて近似した状況が語られている。③④⑤も同様であり、磐根や草木が物を言う状況などが共通している。邪悪な神が騒ぐという有り様は①②とも共通する。これらの表現について、西郷信綱は「これは騒然たる混沌や無秩序をいいあらわす神話的な決まり文句の一種であったらしい」と指摘する(『古事記注釈』第一巻、平凡社、昭和五十年、二四一頁)。
現代の代表的な『古事記』注釈書では、②の「悪しき神の音、狭蝿の如く皆満ち、万の物の妖悉く発りき」について「収拾がつかないほど神々の騒ぐ声があふれ満ちている状態をいう。世界のすべての秩序が失われ、混沌と無秩序におちいっているのである」(山口佳紀、神野志隆光校注・訳『古事記(新編日本古典文学全集)』小学館、平成九年、五十四頁)と指摘しており、秩序の世界にとって危機的状況ということになるだろう。混沌と無秩序が支配する「場」が誕生するということである。
以上のように、①~⑤は全て混沌・無秩序の状態であるということが確認できる。
これらの状況が発生する過程や機序を考えてみると、「神の不在」や「不統治」に依るものであることが見えてくる。①の状況は、天照大御神が天石屋に隠れたために起こり、②の状況は須佐之男命が「海原」の統治を行わなかったことで発生したと言える。統治すべき場所が統治されない故に、この混沌と無秩序が発生したのだと矢嶋泉は指摘している(矢島泉「悪神之音如狭繩皆満 萬物之妖悉発 ―『古事記』神話の論理―」(『聖心女子大学論叢』六十七、昭和六十一年、七十二頁)。
③~④の「葦原中国」「豊葦原瑞穂国」は天孫降臨以前の状態であり、いまだ秩序が齎されていない状況である。これもまた秩序の原理である「神の不在」「不統治」によって引き起こされたということが指摘できるだろう。
神がその国や土地を領有・統治するということは、その神がその場所における秩序の原理であるということが指摘できる。そして①の天石屋の例を見てみれば、天照大御神という天地を貫く秩序(天照大御神が秩序やその原理・支配者であるということは、寺川眞知夫「天照大御神の高天原統治の完成」〈上田正昭編『松前健教授古稀記念論文集 神々の祭祀と伝承』同朋舎、平成五年〉、神野志隆光『古事記の達成』〈東京大学出版会、昭和五十八年〉、『古事記の世界観』〈吉川弘文館、昭和六十一年〉、『古代天皇神話論』〈若草書房、平成十一年〉などで強調されている)が隠れてしまった時に、天地は闇に覆われ、「万の神の声は、狭蝿那湏満ち、万の妖悉発りき」という状況が発生した。秩序が保たれていた世界では本来発生しないような、邪悪な神の声が満ち、様々な災いが起こったのである。
これらの状態は、社会機能が喪失され、科学ではなく神秘が優位の状態に変わるという「神秘氾濫」と相似していると筆者は考える。そして、「神秘氾濫」が発生する過程や機序にも共通する点があるのではないかと考える。
次は、それを確認していきたい。
まず、本例との比較を行うため神秘管理局による「神秘氾濫」の定義を確認する。
場が科学ではなく神秘優位の状態となってしまうこと。
社会機能が正常に動作しなくなり、神秘不適合の動植物に悪影響が生じるなど、甚大な被害を及ぼしてしまう。
しかし、一度その秩序や常識(これを「科学」と仮定してよいのであれば、であるが)が失われること——神秘という「裏世界」の原理と呼ぶべきものが優位に立った時、社会機能が正常に動作しなくなるような事象が引き起こされ、草木が物をいうなど、動植物にも影響が出る。神秘という隠されたものが漏れ出し、「常夜往く」というべき状況が引き起こされるのではないかと、筆者は推測する。悪しき神々が騒ぎ、輝き、磐根や草木が物を言うという状態は、神代の天照大御神の秩序とは異なるものが溢れ出したということではないのか。
秩序や統治が失われること、それらが不在であること、それらによって本来ではあり得ないものが溢れ出すという神代の混沌と無秩序。そして、科学という「表世界」における秩序が押さえつけていたものが、優位に立つことで発生する「神秘氾濫」。
この二者は極めて近しいものであると筆者は考える。あるいは、神代における「神秘氾濫」の一例であるとも言えるのではないかとも考えるが、神代における「神秘」という表現は「神秘」の定義に照らせば矛盾をきたすものであるため、この点については今後の課題としたい。
ここまで「神秘氾濫」との類似点と思われる箇所を確認してきたが、宿題を構成する設問の一方、「相違点」を考えてみたい。
相違点として考えられるのは以下の点である。
・秩序原理の喪失により高天原と葦原中国の混乱が発生したが、「神秘氾濫」は必ずしも秩序原理そのものの喪失が原因となるわけではないと考えられる。「場が科学ではなく神秘優位の状態となってしまうこと」が「神秘氾濫」であるため、「神」のような主宰者の存在を前提とすることは、不適切である可能性がある。
・高天原と葦原中国の混沌と無秩序は、天照大御神への祭祀によって回復した。しかし、「神秘氾濫」がそういった方法で抑えられるようなものなのかどうか、判然としない。
・天石屋の神話の表現と、「神秘氾濫」という表現の間には乖離がある。悪しき神々の出現や草木が物をいうような状態が、天照大御神によって抑えられていた/隠されていたためにこれまでは出現しなかったと考えたが、それに関する明確な描写が神話内にあるわけではなく、筆者による推論の部分が大きい。
まとめれば、『古事記』における「天石屋」の神話をはじめとする、日本神話における混沌・無秩序の状態は、秩序の側に存在する神々が保つ常識や世界観というべきものが、失われる/ひっくり返されるために発生するのであり、これは「神秘氾濫」と相似するものではないかと考えたい。
しかし、同時に「神の不在」「非統治」故に混沌・無秩序が発生するという考え方が、そのまま「神秘氾濫」に当てはめることができないということもまた事実である。「神秘」が「氾濫」、つまりは溢れ出すということが「神秘氾濫」なのだから、秩序の喪失は「神秘氾濫」によって齎されるものであるため、因果が逆ということになるであろう。
あくまで神話や古代文献である以上、解釈は様々に存在する。既知の現象を分析することで仮説を立てていくというような今回の宿題のテーマに必ずしも相応しいものであったとは思われない。
しかしながら、「神秘氾濫」の予防や解決のために、こういった神代の事例をもし使えるというのであれば、「神秘」と共にあり、霊的国防のための戦いを続けきた一族の出身者としては、望外の喜びである。故に、今後も研究は続けていきたい。
今回の宿題については、自身の興味関心を優先させたきらいがあり、この点は深く反省すべき点であろう。科学的思考とは必ずしも言えない可能性があり、ご叱責やご指導を賜われれば幸いである。
【参考文献】
倉野憲司、武田祐吉校注『古事記 祝詞(日本古典文学大系)』〈岩波書店、昭和三十三年
坂本太郎ほか校注『日本書紀 上(日本古典文学大系)』(岩波書店、昭和四十二年)
西郷信綱『古事記注釈』(第一巻、平凡社、昭和五十年)
神野志隆光『古事記の達成』(東京大学出版会、昭和五十八年)
神野志隆光『古事記の世界観』(吉川弘文館、昭和六十一年)
矢島泉「悪神之音如狭繩皆満 萬物之妖悉発 ―『古事記』神話の論理―」(『聖心女子大学論叢』六十七、昭和六十一年)
寺川眞知夫「天照大御神の高天原統治の完成」(上田正昭編『松前健教授古稀記念論文集 神々の祭祀と伝承』同朋舎、平成五年)
山口佳紀、神野志隆光校注・訳『古事記(新編日本古典文学全集)』小学館、平成九年)
神野志隆光『古代天皇神話論』(若草書房、平成十一年)
西宮一民『古事記 修訂版』(おうふう、平成十二年)
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橘子
「確かに僕が多少アドバイスはしたよ。
だけど、こういう文献もあるよというのを少し教えたぐらいでね。
それを読んで、理解して、書いたのは弓月だよ。
もし怒られたらそう言うといい」
弓月
「……それはともかくとして。
変だと思われないか不安です。
もうすこしテーマを相応しいもので考えるべきだったかもしれませんね、
あまりうまくまとめられなかったです。今後頑張っていきたいです」