RECORD

Eno.477 三咲 湊の記録

台風■号(トゥラ)

 2022年秋、僕の故郷は台風に襲われた。その被害は甚大で、激甚災害に指定されるほどだった。場所は千葉県雁川がんがわ市、大きな水族館がある街。
 当時、大学1年生だった僕はバイト先に無理を言って現地への取材に連れて行ってもらったのを覚えている。両親の安否は確認できていたが、慣れ親しんだ街がどうなってしまったのかをこの目で見て正しく理解しておきたかった。

(台風なんて、毎年来るじゃないか。今回だって平気だよ)



 現地へ向かう車の中、後部座席に座りながら僕は自分にそう言い聞かせていた。手元のスマホ画面に映るニュース速報には、行方不明者13人を報じる文字。窓の外には分厚い曇り空が広がっている。

「……この先、サービスエリアあるから寄ってくぞ。飲み物、もう無いだろ?」



車の運転をしている先輩が言った。

「僕は大丈夫です」



ペットボトルは空だったが、そう返事をした。

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 約3時間ほど車に揺られ、ようやく現地へとたどり着いた。駐車場に車を停め、僕と先輩たちは避難場所である中学校(僕が昔通っていた学校だ)へと歩いていった。ぬかるんだ地面に足を取られて転びそうになるのをなんとか耐える。
 周囲を見渡す。街の被害はテレビで見たときより、ずっと大きく感じた。なぎ倒された木々なんてのはまだマシで、中にはすっかり倒壊した家屋まであった。画面越しに見るよりも、ずっと生々しくて、痛ましかった。

 自分の腕をさする。先日まで真夏日だったというのにこの日はすっかり冷え切っていて、薄着で来たことを後悔した。

「とにかく風が強くて…。冠水もひどくて、ほら、ここ汚れてるでしょ? こんな高さにまで水が……」



 避難している女性が、中学校の玄関で先輩の取材に答えていた。僕は無理を言って連れてきてもらったただの荷物持ちだから、それを後ろから見ているだけ。
 ふと周囲を眺めていると、青ざめた顔をしてうずくまっている男性が目に入った。こんな状況では体調にだって悪影響が出るだろう。

「大丈夫ですか?」



 そう言いながら、身をかがめて視線を合わせる。男性と目があった。ひどく憔悴していて、焦点が合っていない。

「今、救護の人呼んできますね」



 救護室へ向かうために立ち上がろうとした。しかし、男性に肩を捕まれ阻まれてしまう。

「台風で、避難中に、妻が風に飛ばされて、海に落ちたんだ」



 まさか、人まで吹き飛ばすなんて。先日の台風はそんなに凄まじかったのか。その上、海に落ちるとは。この男性の絶望は、僕には計り知れない。

「見たんだ。海の中に」


「……何をですか」


「人魚だ。妻の腕を引っ張っていた」



 ――錯乱していると思った。奥さんが行方不明になって、気が動転しているのだ。そう思ったのだけど、僕は静かに話を聞き続けた。今の彼に否定の言葉を投げかけるのは不適切だと感じたから。

「誰も信じちゃ、くれないんだけど」



消え入るような声。

「本当に見たんだ……。俺の妻は、人魚に攫われたんだ」



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「なんで、台風の名前って140個だけなんですか?」


「ん~?」



 病棟の一室、2人の局員が神秘被害者となったミナトのバイタルチェックを行っていた。
 ミナトが「自分の心身に異変がある」と神秘管理局へ訴えたのは5月末のことだ。身体の神秘率異常が認められ、また神秘被害とは異なる身体・精神疾患との鑑別のため、ミナトは裏世界に建設された束大附属病院で現在短期入院中だった。
 朧げな瞳をしたミナトが、再び口を開く。

「そもそも、おかしいじゃないですか。140個ある台風の名前って、順番に最後まで使い切ったら1番目に戻るんですよね? 新しい台風が来ても、順番がくればなんども同じ名前をつける。絶対に変だ」


「神秘を知って、表世界のいろんなことが疑わしくなっちゃった?」


「私、台風の命名には詳しくないんですよね。不思議ですよねぇ。たしか、クレメント・ラグという気象学者が……」


「残念ながら、そこの彼に気象学の講義は荷が重いですよ。最近はこの病棟で働き詰め、表世界の天気なんて全く拝めてませんからね」


「人魚は嵐を呼ぶって言うでしょ? だから、きっと台風も神秘なんです。140体の台風すべてが意思を持っていて、人魚と手を組んで人間をいたぶってる。そうやって、遊んで楽しんでるんだ」


「はぁ」


「だって、そうじゃなきゃ理屈が通らない。昨年の台風の進路だっておかしかったじゃないですか。それがなによりの証拠だ」


「そりゃ、偏西風の影響ですよ。……バイタルは?」


「……あ~、ダメですね。低下してる。この量でもダメかぁ~。神秘抑制剤を増やします。辛いだろうけど、もう少しがんばってくださいね……」





雨が降っている。雨粒と風が窓ガラスに打ちつける。

「僕も」





「あのね、」





「僕も見たんです」


「あの日、神秘を」


「でも、誰も信じてくれなくて」


「嘘つきだって」


「つらかった」





「世界を正しく理解しようだなんて、無理ですよ」





「だから、僕、みんなに知ってほしくて」





「だってあなた、ただの人間でしょ?」





「本当に神秘はあるんだって」





「自然災害と神秘の区別もつかないんだから」


「ちょっと、患者をいじめるのやめてください。怒りますよ」


「わかったよ~。悪かったってば」





「ほら、しっぽ掴んでていいですよ。ね、ふわふわであったかいでしょ」


「こんなの、あんまりじゃないですか」


「嘘つきだとか、頭がへんだとか」


「僕は本当のことを言ってるのに」



「みんな泣いてる」


「みんな……」


「……」





「寝ちゃった」


「ままなりませんね。本来助けるべきこんな子にまで荷を負わせる羽目になって」


「神秘被害者はこういう状況に陥りがちだからねぇ」


「お、バイタル安定しましたね」


「うおお、この子に良い夢見せるぞ。炸裂しろ僕のふわふわしっぽ!」


「うるさ~」