RECORD
Eno.172 小谷 侑一郎の記録
名簿にない社員
「すみません小谷先輩……こんな時間に──」
時刻は零時過ぎ。電話口から若い男の消沈した声がする。
気にしないで、遅くまでお疲れ様、などと労いつつ、小谷は先ほどまで着ていた対怪奇用の装備を脱いでロッカーに詰め込んでいく。
裏での戦闘や調査はインターン活動の一部ということで、裏では別人を演じる小谷はカレントコーポレーションの裏北摩営業所に装備を置かせてもらっている。
ここで着替え、機関が保守する安定したルートを通って表へ戻る、ところだったのだが。
「昼に先輩に見てもらったあのデータ、全撤回になって」
「まじ」
「イベントが近いから納期は変えないって」
「人の心ないにも程がある」
この春まで小谷が勤めていた会社は様々な広報の仕事に携わっている。小谷のチームはそのうちのweb担当、webデザインや企業サイトの保守管理を行なっている部門だ。
「全撤回て。納期6月末だよな」
今回会社が請け負った案件の中に、気まぐれとゴリ押しが多い悪名高い駄々っ子クライアントの仕事があった。それを"何故か"まだ歴の浅い後輩が担当することになったらしい。
何度か小谷自身も相手をしたことがあるのですぐに察せる、リテイク地獄。
夏に向けた新商品があるとかで、写真撮影からキャッチコピーから商品説明文からキャンペーン応募手順から何から全部弊社が担当した。
過去の作品傾向や本人の希望をもとに爽やかで上品な方向性でサイトを作り、念の為第二第三候補も作ったはずだが。
「もっと若者向けでビビッと刺さる高価な感じを出したいとか言って」
──あいつ、もう納品ってとこまで来て全部ひっくり返しやがったな。
「……明日もちょっと顔出すわ。まぁ色とか画像くらいサッとやれるしさ、コードそのまま流用するから置いといてもう休みな。
あと君にこんなクソ案件回した奴にも文句言っとくから」
もう遅いから気をつけて帰って。労わる言葉に反応はない。かわりに、グズと鼻を啜る音。
「……先輩、今何やってんすか」
「い、家帰るところだけど──」
「じゃなくて。何で戻って来てくれないんですか。
土日いつも来てくれるし、何なら案件一個全部やってくれた時もあったじゃないすか」
通話相手の彼は入社してまだ数ヶ月。なのに色々とルーズなクソ弊社によってこんな時間まで働かされたら、まあ、こうなるよな。
「何だって急に、大学なんか!」
ほんの少しの引き継ぎの後、小谷はすぐ北摩へ移ってしまった。
裏のあれこれに一般人を巻き込んではいけない、情報を漏らしてはいけないなどと神秘管理局や市長にお膳立てされた入学ではあったが、忙しい会社の仲間を捨てて胡散臭い世界へ飛び込んだのは紛れもなく小谷自身の判断だ。
罪悪感。
俺は幸運だ。潰えた夢と負債を負って裏世界に消えた友人や、慣れない仕事に忙殺される後輩を尻目に幸せに生きている。
何かを代償に得られた日常を尊びながら、それに飽き足らず刺激的な裏の世界、ヒーローになれる世界へ逃げたがっている。
『お前はいいよな。恵まれてて』
呪いのように繰り返す、友の最期の言葉。
「ごめんな。俺は、その」
二の句が継げず、黙ってしまう。
頼れる先輩でいたかったはずなのに、俺はどこへ向かおうとしているんだろうか。
強い武器を作ってもらったり、新しい友達と祭りに参加してクリームで胃もたれしている場合ではないのではないか。
現実が呼んでいる。
「──兎に角、また明日。無理するなよ。俺だけじゃない、他の先輩だって助けてくれるんだからさ」
現実を見ろと頭を掴まれている。そんな焦燥。
後輩の感謝の言葉を最後に、静かに通話が終了した。
時刻は零時過ぎ。電話口から若い男の消沈した声がする。
気にしないで、遅くまでお疲れ様、などと労いつつ、小谷は先ほどまで着ていた対怪奇用の装備を脱いでロッカーに詰め込んでいく。
裏での戦闘や調査はインターン活動の一部ということで、裏では別人を演じる小谷はカレントコーポレーションの裏北摩営業所に装備を置かせてもらっている。
ここで着替え、機関が保守する安定したルートを通って表へ戻る、ところだったのだが。
「昼に先輩に見てもらったあのデータ、全撤回になって」
「まじ」
「イベントが近いから納期は変えないって」
「人の心ないにも程がある」
この春まで小谷が勤めていた会社は様々な広報の仕事に携わっている。小谷のチームはそのうちのweb担当、webデザインや企業サイトの保守管理を行なっている部門だ。
「全撤回て。納期6月末だよな」
今回会社が請け負った案件の中に、気まぐれとゴリ押しが多い悪名高い駄々っ子クライアントの仕事があった。それを"何故か"まだ歴の浅い後輩が担当することになったらしい。
何度か小谷自身も相手をしたことがあるのですぐに察せる、リテイク地獄。
夏に向けた新商品があるとかで、写真撮影からキャッチコピーから商品説明文からキャンペーン応募手順から何から全部弊社が担当した。
過去の作品傾向や本人の希望をもとに爽やかで上品な方向性でサイトを作り、念の為第二第三候補も作ったはずだが。
「もっと若者向けでビビッと刺さる高価な感じを出したいとか言って」
──あいつ、もう納品ってとこまで来て全部ひっくり返しやがったな。
「……明日もちょっと顔出すわ。まぁ色とか画像くらいサッとやれるしさ、コードそのまま流用するから置いといてもう休みな。
あと君にこんなクソ案件回した奴にも文句言っとくから」
もう遅いから気をつけて帰って。労わる言葉に反応はない。かわりに、グズと鼻を啜る音。
「……先輩、今何やってんすか」
「い、家帰るところだけど──」
「じゃなくて。何で戻って来てくれないんですか。
土日いつも来てくれるし、何なら案件一個全部やってくれた時もあったじゃないすか」
通話相手の彼は入社してまだ数ヶ月。なのに色々とルーズなクソ弊社によってこんな時間まで働かされたら、まあ、こうなるよな。
「何だって急に、大学なんか!」
ほんの少しの引き継ぎの後、小谷はすぐ北摩へ移ってしまった。
裏のあれこれに一般人を巻き込んではいけない、情報を漏らしてはいけないなどと神秘管理局や市長にお膳立てされた入学ではあったが、忙しい会社の仲間を捨てて胡散臭い世界へ飛び込んだのは紛れもなく小谷自身の判断だ。
罪悪感。
俺は幸運だ。潰えた夢と負債を負って裏世界に消えた友人や、慣れない仕事に忙殺される後輩を尻目に幸せに生きている。
何かを代償に得られた日常を尊びながら、それに飽き足らず刺激的な裏の世界、ヒーローになれる世界へ逃げたがっている。
『お前はいいよな。恵まれてて』
呪いのように繰り返す、友の最期の言葉。
「ごめんな。俺は、その」
二の句が継げず、黙ってしまう。
頼れる先輩でいたかったはずなのに、俺はどこへ向かおうとしているんだろうか。
強い武器を作ってもらったり、新しい友達と祭りに参加してクリームで胃もたれしている場合ではないのではないか。
現実が呼んでいる。
「──兎に角、また明日。無理するなよ。俺だけじゃない、他の先輩だって助けてくれるんだからさ」
現実を見ろと頭を掴まれている。そんな焦燥。
後輩の感謝の言葉を最後に、静かに通話が終了した。