RECORD
天体観測_15
人を殴った。初めてのことだった。
村で殴られたことはあれ、誰かを殴り返したりはしなかった。
厳密には怪奇なんだとか、自衛のためとか、正しい言い訳というのはいくらでも振り翳せる。
それでも、自分の感情は誤魔化せない。
こんな気分になる日々を、僕は選んだのだ。
/Eno.58さま
/Eno.1014さま
それぞれPC・当該ログをお借りしております

あの日ついに、僕は一睡もできなかった。
代わりに2人、人と話した。
(これが人なのかもう確証は持てないけど、その区分はもうどうだっていいものだ)

1人は公園で、考え事をしている時だった。
思えば、望遠鏡は手元にあったのだから天体観測でもすればよかった。
最近はあまり上を見れていない気がする。
この日も、そうだった。

立ち鏡という表現があるなら、彼はそれを僕に用いたのだろう。
幸いでない事故で夢を失ったそうだ。
彼の語り口には、僕に対する忠告や助言めいたものが柔らかく包まれていたように思う。
ありがたいことだ。
わかっている。
ありがたいことで、しっかり聞くべきことだと。
だけど、僕には少し、嘲るように聞こえてしまった。
もしかしたら貴方もこうなるかもしれない、と。
或いは、こうなる前に己で舵を切ることになるかもしれない、と。
警察官が運転手になるみたいに。
それを肯定されるのが、僕は無性に苦しかった。
たしか似たようなことを僕の友人……迷走や逃避をも肯定する怪奇、にも、言われた覚えがある。
同じように、すこしいやに感じた。
まるでそれが正しいみたいじゃないか。
それが仕方なくて、どうしようもなくて、いずれみんなそうなるみたいにさ。
まるで馬鹿にされているみたいじゃないか。
まるで。僕が弱音を吐く瞬間を、ずっと期待されているみたいだ。
……。
日が高くなってしばらくの頃に、学校から離れた、西側の博物館めいた場所を訪れた。
人はほとんどいなかった。職員と、同じ来館者の立場の者ひとりくらい。
がらくたばかりの置かれた博物館だな、と思いながら、その人と少し館内を回った。

がらくたに好き、嫌い、って感情はあまりない。
そもそも、モノは壊れるまで使えるし、壊れても、直せば使える。直せなくなっても、また別の形になって……って、
本当はずっとずっと、見切りを付けずにいられるもののはずだ。
だけど、僕がそこで『がらくた』って表現を選んだのは、
おそらくあの場所が、意図的に『がらくた』と呼ばれうるものを集めたような場所だったから。
きっと多くの人に置き去りにされるようなものが並んで、それに作品ってラベルをつけた場所だから。
これが『売り物』なら、きっとまた違う反応もあっただろうな。

それらのがらくたには何の物語があったのか。
僕は知らない。ただ想いを馳せて、同じ客と話し合った。
───誰にも見られないものに、意味はない。
意味のないものは、存在していなくて、いい。
言い切るのはきっと非情で、ひどい感性だろうけど。
実際に僕は、誰かに影響を与えたい。与えられないなら意味がない。意味がないなら、その場にはいなくていい。
そう思って日々を生きているし、きっと隠せない。
だから、人がよろこぶ“語り”を示した。
きっと相手が求めているもののひとつだろうから。