RECORD
Eno.1066 水底しずねの記録
“0”
私の心の奥底にある深海が、それを成していた外壁が、外からの圧力によって罅割れる。
絶対の領域だと思っていたものが、決してそうではないのだと、思い知った出来事がある。
ハリボテの赤い街。
闊歩する怪異。
知られざる神秘。
今まで生きてきた中で、あれば面白いと、あったとすればどうなのかと思索したことはあるが、
本当に実在するのだと躍起になって証明しようとなどは一度も考えた事のなかった物たち。
夢のようだ、と思った。眠っている時に見る夢。ヒトの侵しえない、手の届かない存在なのだと。
……。
そうではない。そうではなかった。
神秘というものは、人口に膾炙し、ヒトが当たり前に知るところとなれば消滅する。
怪異というものは、ヒトの持ちうる力を使えば打倒し退治することができる。
さて、ここでいうヒトというのは誰の事を指す?
水底しずねという私もそこに含まれている。当たり前に。
「……」
「あは」
最初に怪異を打倒したのは、アザーサイドコロニストからの依頼だったか、別の機会だったか。
夢の住人のようだ、自分には変えられない物だと思っていた存在があっけなく目の前で散るのを見て、
おかしくて、あまりにおかしくて、小さく笑ってしまったことだけはハッキリ覚えていた。
私はただ、外にある脅威に対して蹲り、一方的に踏みつけられるだけの存在じゃない。
私自身もまた何かにとっては外より来たる脅威で、その命脈を握っている、自己中心的な破壊者なのだと。
……。
それでも。
水底しずねがどんなに愚かで、我儘で、暴力的で、身勝手な人間なのだとしても。
私は、私を形作っている平穏が、まだ壊れなければいいと願っているのだ。
何かを傷つけることや踏み躙ることでしか他者とコミュニケーションが取れない私にも、
価値を疑いながらでも守りたい自己や、大切なクラスメイト、そして、好きな人がいる。
それが脅かされようとするならば、何の取り柄もないこの私に、一体何ができる?
「……」
瞳を開く。目の前に茫洋と広がっているのは夕闇の虚構街。──北摩の裏世界(アザーサイド)。
怪異が湧き出で、ひしめくこの危険な空間に一人立つ私は、当然それらの脅威に牙を剥かれる事になる。
……西洋の悪魔のようにも、東洋の鬼のようにも見える魔物たちが、私の背後に迫るのを感じた。
翼を持つ者達は圧倒的な優位を信じていた。ヒトは自分達のように空を飛ぶ手段を持ち得ない。
陸を行く者達も眼前の敵を楽観視していた。ヒトはこの大きさならば過剰な膂力を持ち得ない。
ある種動物的ですらある原初の嗜虐欲を満たすための一方的な狩りが始まるのだと、そう確信していた。
……。
小さく息を吐く。そしてイメージをする。
私はこの場で一体何をすればいい。
生き残るため。逃げ果せるため。あるいは勝利するため。
「────ッ」
意を決し、振り返る。その刹那、怪異達が飛来し、駆け寄り、私の命を奪うべく殺到する。
私は右手をそれらに翳し、瞳を閉じる。視界なんていらない。腕力も、翼も無用なのだ。
私ができることといえばただ思索するだけ。現実から深く沈み、思考の渦となるだけ──。
「 “横溢するポラリスの重力” 」
言葉を発する。社会においては何の意味も通らない、今、私の中だけで価値のある言葉。
それはイメージと直結し強固なものとなる。──私の思考は現実を侵食する。
私の足元から『結論』が這い出でてくる。擬似的な、本物ではない夢の水の形をとって。
そう。何の力も持ち得なかった私にあの日目覚めた、神秘。
「 “カウンタークロックワイズの嗄れ声” “林立し“ “損耗を拒絶するミオソティス” ──!! 」
言い切って、現実を見据える。
虚構の水は幾重もの槍の形を取り、私を襲いくる怪異ひとつひとつにその穂先を向けている。
それは、私が言葉を用いて頭の中で思考し思い描いていた光景と寸分違わず同じ物だった。
つまるところ──彼らに与えられる結末さえ、私が想像し脳内で作り上げたそれの再演となるだろう。
分かっている。
これから私はたくさんの物を傷つける。襲いくるものも、そうでないものも、きっと。
だって、それだけがこんな私でも持ちうる、外世界との交流手段の全てなのだから。
そうしてでも守りたい平穏を、私は身勝手に愛しているんだ。
そう、これは。
取り立てて何の取り柄も無い私が、
今まで見ていた世界の全てを無に帰された後で、
それでも心の奥底にたゆたう無音を抱く物語。
「往くよ」
──北摩アザーサイド怪奇譚 Episode “ Zero ”
絶対の領域だと思っていたものが、決してそうではないのだと、思い知った出来事がある。
ハリボテの赤い街。
闊歩する怪異。
知られざる神秘。
今まで生きてきた中で、あれば面白いと、あったとすればどうなのかと思索したことはあるが、
本当に実在するのだと躍起になって証明しようとなどは一度も考えた事のなかった物たち。
夢のようだ、と思った。眠っている時に見る夢。ヒトの侵しえない、手の届かない存在なのだと。
……。
そうではない。そうではなかった。
神秘というものは、人口に膾炙し、ヒトが当たり前に知るところとなれば消滅する。
怪異というものは、ヒトの持ちうる力を使えば打倒し退治することができる。
さて、ここでいうヒトというのは誰の事を指す?
水底しずねという私もそこに含まれている。当たり前に。
「……」
「あは」
最初に怪異を打倒したのは、アザーサイドコロニストからの依頼だったか、別の機会だったか。
夢の住人のようだ、自分には変えられない物だと思っていた存在があっけなく目の前で散るのを見て、
おかしくて、あまりにおかしくて、小さく笑ってしまったことだけはハッキリ覚えていた。
私はただ、外にある脅威に対して蹲り、一方的に踏みつけられるだけの存在じゃない。
私自身もまた何かにとっては外より来たる脅威で、その命脈を握っている、自己中心的な破壊者なのだと。
……。
それでも。
水底しずねがどんなに愚かで、我儘で、暴力的で、身勝手な人間なのだとしても。
私は、私を形作っている平穏が、まだ壊れなければいいと願っているのだ。
何かを傷つけることや踏み躙ることでしか他者とコミュニケーションが取れない私にも、
価値を疑いながらでも守りたい自己や、大切なクラスメイト、そして、好きな人がいる。
それが脅かされようとするならば、何の取り柄もないこの私に、一体何ができる?
「……」
瞳を開く。目の前に茫洋と広がっているのは夕闇の虚構街。──北摩の裏世界(アザーサイド)。
怪異が湧き出で、ひしめくこの危険な空間に一人立つ私は、当然それらの脅威に牙を剥かれる事になる。
……西洋の悪魔のようにも、東洋の鬼のようにも見える魔物たちが、私の背後に迫るのを感じた。
翼を持つ者達は圧倒的な優位を信じていた。ヒトは自分達のように空を飛ぶ手段を持ち得ない。
陸を行く者達も眼前の敵を楽観視していた。ヒトはこの大きさならば過剰な膂力を持ち得ない。
ある種動物的ですらある原初の嗜虐欲を満たすための一方的な狩りが始まるのだと、そう確信していた。
……。
小さく息を吐く。そしてイメージをする。
私はこの場で一体何をすればいい。
生き残るため。逃げ果せるため。あるいは勝利するため。
「────ッ」
意を決し、振り返る。その刹那、怪異達が飛来し、駆け寄り、私の命を奪うべく殺到する。
私は右手をそれらに翳し、瞳を閉じる。視界なんていらない。腕力も、翼も無用なのだ。
私ができることといえばただ思索するだけ。現実から深く沈み、思考の渦となるだけ──。
「 “横溢するポラリスの重力” 」
言葉を発する。社会においては何の意味も通らない、今、私の中だけで価値のある言葉。
それはイメージと直結し強固なものとなる。──私の思考は現実を侵食する。
私の足元から『結論』が這い出でてくる。擬似的な、本物ではない夢の水の形をとって。
そう。何の力も持ち得なかった私にあの日目覚めた、神秘。
「 “カウンタークロックワイズの嗄れ声” “林立し“ “損耗を拒絶するミオソティス” ──!! 」
言い切って、現実を見据える。
虚構の水は幾重もの槍の形を取り、私を襲いくる怪異ひとつひとつにその穂先を向けている。
それは、私が言葉を用いて頭の中で思考し思い描いていた光景と寸分違わず同じ物だった。
つまるところ──彼らに与えられる結末さえ、私が想像し脳内で作り上げたそれの再演となるだろう。
分かっている。
これから私はたくさんの物を傷つける。襲いくるものも、そうでないものも、きっと。
だって、それだけがこんな私でも持ちうる、外世界との交流手段の全てなのだから。
そうしてでも守りたい平穏を、私は身勝手に愛しているんだ。
そう、これは。
取り立てて何の取り柄も無い私が、
今まで見ていた世界の全てを無に帰された後で、
それでも心の奥底にたゆたう無音を抱く物語。
「往くよ」
──北摩アザーサイド怪奇譚 Episode “ Zero ”