RECORD

Eno.102 不明門通 辰巳の記録

【日記20】梅雨入りの話





蛇の目でお迎えに来てくれたのは、母親ではなく。


「居たのショウ兄やったんよな」
「来てくれたのは、ねね婆だった」

「嬉しかったなあ、あれ」
「……嬉しかったよ」





螺千城:累卵道






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若旦那 [Eno.102] 2025-06-10 23:53:15 No.1627799

「もうそんな時期だったか?」

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ミケ [Eno.102] 2025-06-10 23:54:29 No.1627869

「ええ。向こうはもう水無月を迎えて少し。
 先日はお誕生日でございましたでしょう?
 であるのならば。」

「開けるなら今日が丁度よろしいかと存じます。
 あちらの気候に合わせてみてもよいのでは?」

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若旦那 [Eno.102] 2025-06-10 23:56:22 No.1627997

「……毎年忘れちまっていけないな。
 暦ってのはどうにもこう身につかないもんだ。
 そうだな、丁度いい。今日開けるか」

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鬼六 [Eno.102] 2025-06-10 23:58:39 No.1628199

「おう、今日開けるのか?
 常の細石の方の河童御前もそろそろかね。
 みかまりのみちは……あちらさんは気まぐれだが」

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敷布被り [Eno.102] 2025-06-10 23:59:56 No.1628274

「ワァ!開クノ、久シブリ!全部流ソウ!」

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葬列婦人 [Eno.102] 2025-06-11 00:01:12 No.1628562

「あまり瓦卵堂の方に流さぬよう。
 前にそれで随分と揉めたでしょう」

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若旦那 [Eno.102] 2025-06-11 00:02:39 No.1628844

「そういや景気よく土砂降りにしてトラブルになったな。
 あの時はちょっと羽目を外しすぎた。気を付けよう」

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  [Eno.102] 2025-06-11 00:12:46 No.1630013


「ではこちらへ。若旦那様、足元お気をつけて」

「ああ。結構狭いんだよなここ……よっ、と」

それ・・があるのは累卵道のとある一角。家と家のわずかな隙間に挟まれている、よく探さなければ見つからない小さな扉の向こう。
おもむろに置かれている盥一杯の濁った水を根城にするのは、ゆらりと泳ぐ鮒一匹。

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若旦那 [Eno.102] 2025-06-11 00:24:55 No.1630813

「───お久しう御座います、水神どの」

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  [Eno.102] 2025-06-11 00:27:51 No.1630968

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  [Eno.102] 2025-06-11 00:28:01 No.1630976

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  [Eno.102] 2025-06-11 00:36:13 No.1631741

「東の都は梅雨入りだ。派手に往きましょうや」

雨乞い。神仏に祈願し慈雨を求む。
それは世界各地で見られる宗教的な儀礼だ。無論それは表も裏も例外なく、ここでも同じように祈り開ければ。然ればたちまちこの通り。


───開けよ開け開け、水神御納戸!

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  [Eno.102] 2025-06-11 00:54:23 No.1632880

盥からぶわりと雲が膨れ上がった。
本来暑い時期に自然発生する積乱雲に似たそれが、もくもくと形を成して、しかし育ちきることはなくある程度の大きさで留まる。螺千城全体を覆うことはなく、たった一区画だけ、ささやかな狭い範囲をしとどに濡らす慎ましい雲。
それを青年はまるで綿飴でも作るように、傘の石突でくるりと絡めとって引き上げる。

累卵道にほんの一時だけ雨が降り出した。

雨がトタンを、木材を、瓦を、茅葺を。
ひしめき合う材質様々な屋根を濡らしていく。

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  [Eno.102] 2025-06-11 01:06:07 No.1633891

住民達が何人か家から飛び出して来た。
大きな水瓶を引っ張って来て軒先に並べだす。器の形状をしていれば十分だと釜や鍋、果ては湯呑に茶碗までもが皆一様にして整列している。


「あれ?もうバケツってないんだっけ?」

「アンタが持ってるそれで最後だよ。
 ほら早く貯めないと雲が逃げちまう!急げ急げ!」

「あらまあ……ご自宅の水道から
 錆水が出る方達は大変ですのねえ……」

「ケッ、良い御身分なこった。
 こうしちゃいられねえ、俺らも水を汲まないと。
 最近は水売りも高ェからな」

「マタネ、若旦那!ミケチャン!」

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若旦那 [Eno.102] 2025-06-11 01:10:12 No.1634200

「この時期に1回だけ、梅雨入りを転機に
 開けさせて貰ってるが……次はいつになるだろう。
 もう少し暑くなってからか」

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ミケ [Eno.102] 2025-06-11 01:11:02 No.1634254

「悠長な事を仰っている場合ですか!
 家のそこらじゅうから皿を出しに行きますよ!」

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若旦那 [Eno.102] 2025-06-11 01:14:52 No.1634526

「えっ、あ、わ、分かった。すぐ行く」

ウチも水道から錆水しか出ねえんだよ!
大慌てで水神御納戸を後ろ手に閉める。やがてカラリと晴れて、いつものように夕陽が差し込んでくるまで。累卵道には薄く水が張って家々を反射していた。

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そうして家の中の皿と言う皿を、器と言う器を外に出した後。
ぴたぴたと跳ねる水滴の音に、青年はふと思い出したように顔を上げた。

「ミケ、少し空ける」
「お出かけでございますか。いってらっしゃいませ」

浅葱色の傘をさして累卵道を往けば、近所の子供たちが傘をささずに降りしきる雨にはしゃいでいた。
昔は自分も同じように傘をほっぽりだして遊び、濡れ鼠で帰って来ては、世話になっている人に叱られていたのを思い出す。
思わず口元に笑みがこぼれた。
朝焼け夕焼けばかりのこの世界で、真水の入手手段が限られている螺千城で、雨は非日常の一つとして輝きを放っている。

路地に張った水が鏡のように反射して、ただでさえ縦に長い螺千城をさらに縦へ引き延ばす。
足元に映りこむ橙色。聳え立つ家の隙間に広がる空の景色が、今は青年の足元にある。
そんな風にいつもは見上げる空を、今だけは足の間から覗き込むのが存外面白い。
天地無用もなんのその。雨が降った時ならば、この世界はいとも簡単にひっくり返るのだ。



雨がまばらになった頃、青年の周りにいくつかふよふよと赤い尾ひれの金魚が戯れだした。
羽織の隙間にもぐりこんだり、首筋をくすぐったり、柔く肌を滑らせてくる。

「エサクレ!」
「エサホシイ!」
「ワカダンナ!」
「エサナイノ?」
「エサー!」
「ユビ!」
「ウデ!」
「アシ!」
「指も腕も足も駄目だ。やらないよ」
「ケチ!」
「ケチンボ!」
「吝嗇で結構」

口々に好き勝手言う金魚達に好きにさせていると、やがて一回り大きな金魚と相見える。
風に舞うカーテンのように鰭を動かして、その金魚は優雅に揺蕩っていた。









「これお前たち、たかるのはおよし。人間を食ったら腹を壊しちまうよ」
「紅御殿。ご機嫌麗しゅう」
「雨を引き連れてよく来たねえ若旦那。随分と久しぶりに会った気がするけれど」
「雨の降る日にしかアンタに会えないからな」
「普段のここはどうにも乾涸びていてよくないよ。毎日雨が降りゃいいのに」
「それじゃ累卵道が水浸しになっちまうだろ」

紅御殿と呼ばれた金魚は鰓からごぼりと泡を吐いた。
笑ったような、怒ったような、判別の出来ない声で仰々しく言う。

「こんな街、いつか沈んじまえばいいのさ。綺麗な水が足りないんだろう?一生溺れて暮らせるよ」
「大した野望だ。言いだしてかれこれ何年だ?」
「ハハ! 言うようになったじゃないか、小童」

紅御殿はその身体をゆらゆらと揺らして、楽しげに泡を吐く。
本気ではない、ただの軽口の応酬だ。その証拠に次に出した声はやわらかく優しいものだった。

「また次の雨に会おう、若旦那。達者で暮らしな」
「ああ、紅御殿も息災で」
「ねね婆によろしく言っておいてくれるかい」
「なんて言えば?」
「決まってるだろう。【一体いつになったらくたばるんだい】だよ!」



青年は珍しく声を上げて笑った。